エンタメ 千一夜物語

もの好きビルコンティが大好きな海外ドラマやバレエ、マンガ・アニメとエンタメもろもろ、ゴシップ話も交えて一人語り・・・

2人のシャーロック役者が天体衝突な『フランケンシュタイン』

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外出規制で各国の劇場が封鎖状態になって、過去の上演策のYouTubeライヴが始まっていますね。中でも強烈にインパクトなのがナショナルシアターライヴの『フランケンシュタイン』。

『トレインスポッティング』のダニー・ボイル演出で2011年上演、『シャーロック』のベネディクト・カンバーバッチと『エレメンタリー』のジョニー・リー・ミラーという2人のホームズ役者が交代でダブル主演、同時にローレンス・オリヴィエ賞主演男優賞を受賞したという異例の話題作!評判を超える激激な傑作でした。

公開されている間に是非見ていただきたいかと💛

 

 

 

 

ホラー好きの原点、かな~~

アタシが子どものころ、TVではB級SFとかC級ホラーとかが放映されていたのですね。「アマゾンの半魚人」とか「巨大蜘蛛タランテラの襲来」とか「透明人間」とか「ミイラ男」とか「吸血鬼ドラキュラ」とか「狼男」とか…。

どれこれも大好きで!いつも、ワクワク・ドキドキしながら見てました。

 

そういう中に「フランケンシュタインの怪物」もありました。ハロウィンショップで売ってるマスクのまんまのアレです。

今から考えると、ホラー史上の不朽の名作、ボリス・カーロフ主演の「フランケンシュタイン」シリーズですね。

 

盗んだ死体をツギハギにして人造人間を作って、雷光を利用した高圧電流で生き返らせるシーンにメチャはまって、"○○ごっこ"みたいな遊びではキチガイ博士役になって、友だちに人造人間役を強要したりしてました。

 

ホラー好きな子どもって、大人の眼からみればかなりキモい存在かと思います。そういう子どもは、アウトサイダーに育ったりします。

 

 

原作は、神になろうとした男と異質な者のダブルな悲劇

アウトサイダーな大人になってから、ゴシック小説の代表と称されるメアリー・シェリーの原作を読んで、身につまされました。

英国ロマン主義の立役者バイロン卿傘下の詩人シェリーの奥さんのメアリーですね。

 

物語は、瀕死状態のヴィクター・フランケンシュタイン博士によって語られます。科学の力で2mを超える、美しい"理想の人間"を造り出そうとして失敗して、あまりの醜さを憎悪して自分の被造物(クリーチャー)を見捨て、その結果として反対にクリーチャーに人生をメチャクチャにされ、クリーチャーが邪悪であることを確信してその存在を抹消しようとする。それもできずに、野垂れ死にをする。

 

現代の遺伝子工学者やAI開発者にも共通する、聖なる領域の創造を行う権利があると考える人物の傲慢、生み出した息子が自分の要求する水準に満たないといって遺棄し、抹殺できると確信する親の身勝手な残酷。

 

醜悪で異質な存在を、排斥して差別する社会というものが孕む憎悪の怖ろしさ。

 

長年怪物(モンスター)だと思っていた存在が、むしろ被造物(クリーチャー)だったという点もショックでした。

 

本来、善でも悪でもなく、生きて愛されることを望んでいただけのクリーチャーが、創造主や社会の憎悪だけを学習して悪に染まってしまう悲劇。憎しみ、復讐という形でさえも父親と繋がろうとして、先立たれて絶望する息子としてのcretureの孤独と悲しみ。

 

とてつもない絶望に襲われる作品でした。

 

 

creature視点で描かれた劇場版はリリックで生々しい

ヴィクター・フランケンシュタインとcreatureをベネディクト・カンバーバッチとジョニー・リー・ミラーが交代で演じる劇場版。

 

ここにアップしたのはジョニー・リー・ミラーがクリーチャーを演じるバージョン。

 

ツギハギの大人の身体で生まれた新生児として、痙攣するように動き出す誕生の瞬間。

残酷な民衆から逃れて大自然の中で、満点の空を見上げて美しさに打たれる瞬間。

雨という恵みを知り、青草の中を転げまわって、植物の手触り、草いきれに触れる瞬間。

盲目の心優しい老人と出会い、人の温かさを知り、苦労して言葉を覚えていく瞬間。

 

クリーチャーが経験するすべての瞬間に、生きることの痛みと喜びが溢れていて…。

動きも発生もどこか不自然で不器用なのだけれど、幼子のように無垢な眼差しのクリーチャーが手にした喜びのリリックな美しさに感動するのでした。

 

そして

やっと育んだ信頼を裏切られて怒りにかられて、老人一家を焼き殺してしまう瞬間。

制御できない怒りに、愛を拒まれた子どもの癇癪のような哀れさがあり…。

 

ヴィクターの弟を殺して彼をおびきだし

「俺はあんたに見捨てられたんだ。こうなったのも、あんたが悪い。でも、孤独には耐えられない。ともに生きてくれる花嫁が欲しい。伴侶ができたら南米の密林の奥にこもって、もう社会には出てこないから」

と、懇願して造ってもらった伴侶。ポップカルチャーでも人気の高い"フランケンシュタインの花嫁"ですね。

 

人間よりも強靭で奸智にたけて、目的のためには犯罪も厭わない種族が繁栄することを恐れたヴィクターに、その花嫁を破壊されてしまい、創造主の裏切りにたけり狂って復讐を誓う瞬間。

 

腸が煮えかえるような怒り。

ジョニー・リー・ミラーのクリーチャーの感情表現は、いつも生々しくて痛い。

 

『エレメンタリー』の自閉症的シャーロックを見て、上手い役者とは思っていましたが、今回は圧倒され切りました。

 

 

曖昧な男、ヴィクター・フランケンシュタイン

獅子奮迅のクリーチャーと比較すると、ヴィクター・フランケンシュタインは受けの芝居。

ベネディクト・カンバーバッチ演じるヴィクターはというと、なんとも曖昧。

 

富裕な家柄に生まれて、自立できていない感じの男。

クリーチャーを生み出したことに感動するよりも、その醜さに驚愕して逃げ出してします。

美しい婚約者エリザベスがいるのに、熱い情動を持てない。

成長したクリーチャーの力強さや知性に感銘を受けながら、その暴力的な存在を嫌悪する。 

クリーチャーに花嫁を与えることの危険を承知しながら、完全な女、"女神"を創り出すという誘惑に負けてしまう。

完成した花嫁を目にすると、また恐怖に駆られて破壊してしまう。

婚約者エリザベスとの結婚式の前夜も、彼女の身を案じながら傍にいて守ろうとはせず、クリーチャー退治にでかけてしまい、潜んでいたクリーチャーにエリザベスを殺されてしまいます。

 

とんでもなく才能があるのに、まるで、何かを成し遂げることを恐れているかのように、なんでも中途半端に投げ出して、毀してしまう男。

 

意志の弱い、ヒッキーのような奴。カンバーバッチの芸風にはピッタリ。

メアリー・シェリーの原作の情動をかなり正確に再現してきた脚本を、役者の演技で別物にしてしまう手腕も 見事という他ありません。

 

とてつもなくアートなプロダクションデザイン

プロダクションデザインも魅力ですね。

 

上演劇場は、可動式の円形舞台を持つロイヤルナショナルシアター

 

ほの赤い体内のようなライティングの中、胎盤を思わせるような円盤が浮かび上がり、閃光とともにクリーチャーが生まれ出てくる瞬間の迫力。

 

フランケンシュタインの時代を象徴するような、蒸気機関車を思わせるオブジェが舞台上の線路の上を動き。

満天の星空を築く、無数の電飾の美しさ。

布製の農家のセットが宙から降りてくる。

 

眼福なモダンアートとすぐれた照明効果です.

 

ヴィクターの 下宿やフランケンシュタインの邸宅が舞台下に消えたり、浮かび上がってきたりする舞台転換にのスゴ技に驚愕。

 

いい役者とすぐれた美術に酔える作品。

 

 

これって、ハッピーエンド?

役者がほぼナラティヴを掴んで自由に組み立てているような舞台ですが、そこはダニー・ボイル、ただでは終わらせません。

 

最終盤に大逆転をしかけています。

 

北極までヴィクターの追っ手を逃れてきたクリーチャー、のはずですが

登場した彼は、見事に成長を遂げて力強い美丈夫になり、復讐を誓ったはずのヴィクターはボロボロ。

 

人間という存在から、憎しみや嘲り、相手を貶め、嘘で操ることしか学ぶことができず、心優しいエリザベスを殺してしまったことを嘆き

死にかけたヴィクターを蘇生させたクリーチャーは

「ご主人様、俺はあんたに愛されたかっただけなんです」

と、すがりつきます。

 

それに応えてヴィクターは

「私には愛がなんだか分からない。分かっているのは憎しみだけ。お前だけが私に生きる意味を与えてくれる。私の望みはお前だけ。お前を破壊することだけ」

と、告白します。

 

ここでクリーチャーとヴィクターの主従関係は完全に逆転します。

「いい子だ。それじゃあ、俺についてこいよ」

 

空白と憎悪しか持てなかった男とその怒りに満ちたクリーチャーは、2人だけの愛憎の世界に閉じこもり、北極の霧の中に消えていきます。

 極限の愛と憎しみは表裏一体。結局、すべての物語は2人の男の情念の中にあったのだ、ある意味、ハッピーエンドとも言える終末だと、妙に納得してしまいました。

 

2010年代になって、メアリー・シェリーの孤独と愛慕の物語は、大きく意味合いをかえたのです。

 

 

カンバーバッチ、クリーチャー版

 も、貼っておきます。

 

カンバーバッチが柔らかい身体性を活かして、暗黒舞踏みたいな動きを見せてくれるのが面白いです。

でも、セリフ回しが古臭いので、ちょっと違和感があります。

 

さらに、カンバーバッチには皮膚の下で蠢いているような攻撃性がないので、種としての脅威感がなく

反対に攻撃性に恵まれたリー演じるフランケンシュタインが、カンバーバッチのクリーチャーにパワー負けするところに説得力がありません。

 

終盤の主従逆転換も乏しいので、アタシ的には納得できないできですが

ご興味ある方は、見比べてください。

 

 

www.biruko.tokyo