エンタメ 千一夜物語

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ベン・ウィショーの『ジュリアス・シーザー』 見事なまでに情けないブルータスの絶妙

 

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実物は、か細くて繊細で存在感もウスいのに、やや情けないキャラづくりに異様な説得力があるので作品のナラティヴを変えてしまい、圧倒的に新鮮な解釈をみせつけてくれるベン・ウィショー。

一部では当代随一といわれる役者のベン・ウィショーが、シェイクスピアに主演するということで、大喜びでナショナルシアターライヴに出かけたアタシ~~~です。

 

 

 

「ブルータスよお前もか」で有名なアレです

 英語のクラスなどで、必ずといっていいほど読むことになるシェイクスピア。その作品中でも、『ハムレット』や『マクベス』『オセロ』『リア王』の四大悲劇と並ぶ傑作といわれる『ジュリアス・シーザー』ですが、人気度はやや落ちますかと。

 

というのも『ジュリアス・シーザー』はローマ史に基づく政治劇なので、タイトルロールのシーザー(ガイウス・ユリウス・カエサル)に興味がないと複雑な政治的背景とか理解しずらいからかなと思います。

 

ガリアを平定してガリア属州総督となったシーザー。その力の増大を懸念した元老院から総督解任と武装解除しての本国召還を命じられたにも関わらず、自軍を率いたままルビコン川を越えたことで国家大逆罪を犯し、反対にローマを制圧して共和制を解体、圧倒的な民衆の支持を得て終身護民官に就任して実質的な帝政への移行を始めるようとしますが・・・

 

元側近のケイアス・キャシアス、キャスカらはシーザーに対する嫉妬や、疑心暗鬼に囚われてシーザーが息子のように可愛がっていたマーカス・ブルータスを抱き込んでシーザー暗殺を企て・・・。

今回のニコラス・ハイトナー演出ですと、ブルータスに銃口を向けられて絶望したシーザーが

「ET TE BRUTE(ブルータスよお前もかの意のラテン語です)」と絶望して死を受け入れるというところまでが、前半です。

 

 

ロックコンサート付きのシェイクスピア

上演された場所は、座席も含めて劇場全体が可動式になっているロンドンのブリッジ・シアター。

今回は円形劇場のスタイルで客席が平土間を囲み、平土間には椅子がないスタンディング仕様で可動式の舞台が必要に応じてグラウンドからセリ上がってくるかたちです。

なので、平土間の観客は俳優と入り乱れてローマの群衆の役割を演じることになります。観客が参加するわけなので、俳優陣のコスチュームも違和感ない普段着的にデザインされています。

 

で、驚いたのは、上演開始と思ったらど真ん中に登場したのはガレージバンド。『ロッキー3』の主題歌「アイ・オブ・ザ・タイガー」や、アタシ的には2013年にマイアミ・ヒートがNBA2連覇を果たした時のイントロだったザ・ホワイト・ストライプス「セヴン・ネイション・アーミー」なんかのカヴァーが、爆音ライヴ演奏されて盛り上がり~~~

 

って、実はこれが、シーザーの選挙運動だということになります。

 

 

シーザーはポピュリスト

アタシの長年の解釈では、シーザー(カエサル)って人は戦略に優れた軍人であるばかりでなく、拡大するローマの経営に迅速な対応ができなくなりつつあった共和制を配して、権力を一極集中することでさらなる繁栄へ向かう基盤を構築した、先見の明ある偉人なのですが・・・

 

英国演劇界のベテラン、デヴィッド・カルダー演じるシーザーは、赤い野球帽をかぶって、ロックコンサートで人気取りをするトランプ的なポピュリスト(大衆迎合主義者)として描かれています。

 

前回の『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』 もそうでしたが、英国演劇界は反トランプ色で埋め尽くされていますね。

大衆迎合主義のいきつくところは個人的自由の拡大や経済的自由の拡大を阻害することになるので、同じく大衆迎合主義のボリス・ジョンソンが首相となったイギリスでは、もはや対岸の火事ではあり得ないということでしょうか?

 

 

デヴィッド・モリッシーのマーク・アンソニーは・・・

日本では、『ウォーキング・デッド』の悪役ガバナーでおなじみのデヴィッド・モリッシーですが、彼が演じるマーク・アンソニーは、

ロックコンサートの最中に、シーザー支援のスローガンをプリントしたオソロのTシャツを着て、ノリノリで登場します。

よくいる、選挙運動員のアレですね。なんか、頭まで筋肉のお祭り男ってな感じです。

 

その筋肉バカがシーザーの暗殺をキッカケに変わっていく。

 

Friends, Romans, countrymen, lend me your ears

「 わが友、ローマ市民、同胞の諸君、耳を貸してくれ」の名台詞は、マーク・アンソニーがシーザーの死を悼む弔辞の出だしですね。

 

筋肉男には小ジャレた理屈なんてありません。シーザーの偉大さと彼への愛慕を剛球のような悲嘆とともに語ります。それが民衆の心を掴む。

デヴィッド・モリッシーはシェイクスピア的な音韻を極力おさえて、リアルなエモーションでぐいぐい引っ張ります。うまいです。

 

貧しい生活や単調な毎日に抑圧されている民衆というものは、アタシも含めて、残酷な流血や激しい情念に飢えています。なので、激情的な演説を聞くと追随してしまう。

ヒトラーだったり、トランプだったり、彼らの強みはスピーチで情に訴えることだと、つくづく感じます。

 

で、民衆の支持をを得て、ブルータス一派を暗殺者としたマーク・アンソニーは、政治家としても成長し、第二次三頭政治の一角を占めることになる。

というのが、今回の演出の流れです。

 

 

キャトリン・スタークはやっぱり好戦的

『ゲーム・オブ・スローンズ』のキャトリン・スタークことミシェル・フェアリーは、元老院議員で元々はシーザーの盟友だったケイアス・キャシアスを演じます。

元老院議員に女性はいないので、本来男優が演じる役柄ですが、今回はジェンダーを変えてミシェル・フェアリーが演じています。

 

一人勝ちしていくシーザーに嫉妬して人望あるブルータスを暗殺計画に引き入れることで自分たちを正当化しようとする。

そのキャラは、「やせ細って野望に燃えた」キャシアスということで、そのギラギラした、切羽詰まった感じはキャトリンそのもの、ある意味適役です。

 

なのですが、教科書的な台詞回しやブルータスを説得しようとして腕をやたらに振り回すところなど、硬さが目立って面白くありません。

 

何よりも、共和制ローマというは男性中心社会。少年時代は友とレスリングに興じ、公衆浴場で裸の付き合いをし、男たちだけで議会に集い、戦に赴き宴を囲む。ホモソーシャル(同性間の結びつき)な欲望に裏打ちされた社会なのです。

そして、シェイクスピアはソネットを書いた人物ですから、当然のことながら、ホモソーシャルな欲望に関するサブテクストは戯曲の端々に現れる。

 

ですから、シーザーがブルータスをどれほどに愛しているか、ブルータスがシーザーでありキャシアスをどれほど愛しているかが、セリフの随所に出てきます。

 

もし男優がキャシアスを演じたとしたら、学友のブルータスを説得するシーンは、もっとフィジカルでホモエロティックなものになったと思います。

 

女性が演じることで、キャシアスが体現する人間関係は極端にアセクシュアルなものになり、ローマ社会特有のホモソーシャルな熱さが消えてしまった。のは、ひどく残念なことです。

 

ベン・ウィショーって相変わらずオイシ過ぎ~~

長くて重厚なセリフ回しを英語で聞き続けるというのは、アタシにはケッコウ退屈です。で、キャシアスが盛り上がらないので、かなり飽きかけていたのですが・・・

 

ベン・ウィショー演じる主役のブルータス中心に舞台が回り始めると、突然、超オモロくなるのです。

 

猫背で前かがみで、あまり自信なさそうな早口で喋るブルータス。ベンの台詞回しにシェイクスピア特有の音韻なんて、全くありません。でも、とても聞きやすい。

書斎にこもって暮らす、愚痴っぽくオタクな知識人です。   

  

こういう人って、たまにいるんだよね~~と、つい引き込まれてしまいます。

 

で、他の俳優さんがセリフで一杯、一杯なところ、ベンブルータスはいつもチマチマ何かやってる。神経質そうにやたら髪の毛触ってたり、机の上の手紙や本をあちこち動かしたり、水を飲んだり、お茶を飲んだり、従者に文句を言ったり、心配したり、とにかく忙しい。

 

私人として深くシーザーを愛しながら、公人として独裁者の誕生を許すわけにはいかないという理念から、暗殺計画に加わったベンブルータス。

情ではなく理念で行動する知識人の脆さ、危うさ、民衆に対する説得力のなさという図式化しがちなステレオタイプが、子ねずみの愚痴のように語られると急に現実味を帯びます。

 

ただ、こういう人物にカリスマはないので、民衆の支持を得ることもできず、挙兵してもマーク・アンソニーやオクタヴィアヌスの"仇討軍"に追いつめられてしまいます。

投降の屈辱は拒絶したいのだけれど、自害することもできずに、従者に殺してもらうありさま。

 

とことん、情けない男です。

 愛妻のはずのポーシャに仲間との秘密を明かすように迫られて、思わず身体的に引いてしまうところ、殺してしまったシーザーの死体に負い縋るように触れる瞬間、ちょっとした瞬間にストイックな学者肌のダメ男が見せる、さらなる隙。

その隙に垣間見られるホモソーシャルな欲望。

 

ミシェル・フェアリーの起用でウスくなってしまったシェイクスピアならではのサブテクストを一人で埋めてしまうベン・ウィショー。

 

政治劇も、超絶役者が演じれば、色っぽかったり、コミカルだったりしながら、現実味のある悲劇になります。

 

これだから、ベン・ウィショー観察はやめられません!

 

 

※ナショナルシアターライヴ ロンドンのナショナル・シアターその他の上演演目を世界中の映画館やアートセンターで上映するエンタメの形式です。 

 

 

www.biruko.tokyo

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