エンタメ 千一夜物語

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ゲームオブスローンスのヴァリス圧勝 ヴァージニア・ウルフなんかこわくない

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『ゲーム・オブ・スローンス』のヴァリス役コンレス・ヒルがヴェラ・ドレイク』のイメルダ・ストウントンと一緒に主演を務める芝居『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』を見てきました。

3時間の上演時間中ずっと笑い転げてました。それも、悪趣味で後味の悪い笑い。そんな性悪な60年前の芝居を見に行くことに何の価値があるのか?考えてみました。

 

※ネタバレ 注意

 

 

『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』って何?

 

ピュリツァー賞に3度輝いた 米国作家エドワード・オールビーが1962年に発表した戯曲です。同年ブロードウェイで上演されてトニー賞受賞。エリザベス・テイラーとリチャード・バートン主演で映画化されて、アカデミー賞を5部門受賞したという名作です。

 

 

プロットは:

学長の娘と結婚した割にはうだつの上がらない万年助教授のジョージ。そんな夫に対する憎悪と侮蔑を隠そうともしない、6歳年上の妻のマーサ。二人のいがみ合い、ののしり合いは留まるところを知りません。

金髪・碧眼で絵に描いたようなオールアメリカンな若いカップル、新進の生物学教授ニックと純真な若妻ハネーは真夜中の酒宴にマーサからの招待を受けます。

マーサとジョージの罵り合いが仕掛ける残酷なゲームに強制参加させらたニックとハネー。ハネーは醜悪な罵り合いに嘔吐癖をつのらせ、ニックはマーサの誘惑に乗りますが、酔いすぎて行為に及べず、出世目的で関係を持とうとしたこともマーサに見抜かれます。

 さらに、ハネーは想像妊娠でニックとの結婚にこぎつけたこと。ニックはハネーの財産目当てで結婚したこと。マーサとジョージとなにも変わらない打算による結婚生活に気づかされることに・・・。

 

夜明けにはふた組みの幻滅した夫婦の姿を、観客は目撃することになります。

 

 

なんで『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』なの

ヴァージニア・ウルフというのは内的モノローグ(延々と続く独り言)スタイルの小説技法を確立した英国の女流作家です。

 延々と続く独り言ですから、混沌とした意識の流れに巻き込まれてしまいます。時に詩的な美しさを放ち、感覚的な豊かさに満ちていますが、直線的な物語を期待して読むと、大変に分かりづらいことになります。

また、男性から女性へとジェンダーを変化させながら永遠に生きる人物を主人公にした小説『オーランドー』などから、フェミニズムの先駆者とも評価されています。

 

つまり、ヴァージニア・ウルフというのは知識人にとっては知識人であることの試金石。男性社会にとっては、それに疑問を投げかけるスフィンクスのようなもの。恐るべき存在です。

 

「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない Who's afraid of Virginia Woolf」というのは、ジョージとマーサ夫婦のおふざけジョーク。ディズニー作品『3匹の子豚』にある「狼なんか怖くない Who's afraid of big bad wolf」の替え歌です。 

 

ジョークにも潜在的な意味はあるものです。ジョージにとっては女房の尻に敷かれて男の誇りが傷ついている状況への防衛本能でしょう。大学教授となって、自分で父親の偉業を告げないマーサにとっては、知性に対する反抗とも考えられます。

 

そこらへんに、「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」の意味するところがあると思います。

 

ウンザリするほど、自己欺瞞的な人々ですね。

 

ニューイングランドを舞台に、第2時世界大戦後のアメリカ的幸福を体現するはずの夫婦の自己欺瞞と愛憎。つまり、アメリカンドリームの偽善と欺瞞を描く作品には、実に相応しい題名ですね。

 

 

イギリス人がアメリカ英語を喋ってる~~~

 

3時間という上演時間を、飽きることなく大笑いで過ごせたのは、素晴らしいキャストのおかげです。

 

まず、驚いたことには全員が個性的なアメリカ英語を喋ってます。知識人のニックとジョージは標準語、マーサはニューイングランド風の発音、ハネーは泥臭い田舎訛りが。それでも、無理なく笑えるセリフまわしをしてくれる。

 

たいしたものですねえ~~~。

 

ローレンス・オリヴィエ賞マルチ受賞のキャストの実力ですねえ。

ローレンス・オリヴィエ賞は英国演劇界のオスカーともいうべきものですが、イメルダ・ストウントンは4度(アカデミー賞も受賞してます)、コンレス・ヒルは2度、若いルーク・トレッダウェイに至っては29歳で主演男優賞を獲得したという神童のような役者です。

 

 

残念なルークと壮絶なイメルダ

実はアタシ、見に行ったお目当てはルーク・トレッダウェイでした。

デビュー作品の映画『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』以来のお気に入りなんですね。パンクロックのスターになった結合性双生児の話ですが、ひ弱な方の、ということは切り離されたら死ぬしかない方の結合性双生児の身体的な違和感とか不安や孤独感を、パンクロッカーの粗暴な反逆性と同時に見事に体現していて、本当に感動的でした。

 

ただ、ハンサムで筋肉質という点を除くと、ニック役にはハマってません。

権力・出世欲がドライブになっていて、鈍感なニックだと、彼ならではの傷ついた人を演じきる感性が生きてこない。

自分の枠を超えたいのは分かりますが、今回は、失敗かなと思います。

 

 イメルダは凄かったです。ほぼ全編を通して、夫のジョージやニックを「ボケ・アホ・カス」と罵倒しまくりながら、狂い咲きのアラフィフならではの満たされない年増の色気を噴出しまくって、いやらしさ満開!

なのですが、その底には不妊の妻、アルコール依存性の人生の敗者としての劣等感や苦々しさ、寂しさが通っている。

エンディングで息子の自慢話に酔いしれているところ、夫のジョージに息子は空想にすぎないことを告げられた後、脆くも崩壊していく姿など、実に達者に見せてくれます。

 

 

でも、ヴァリス圧勝!

惹きつけるドラマって、たいがい重力の中心みたいなキャラがいます。

本来、それはイメルダ演じるマーサのはずなんですけど・・・。

 

今回、圧倒的な存在感を放つのはコンレス・ヒル演じるジョージですね。

一見、権力者の娘で年上のマーサに仕切られきって、目の前で浮気されても何事もないかのように受け止めている。猫背で出っ腹、マゾなのかと思うくらい気弱な中年男です。でも、彼の中では、フツフツと復讐心が燃え滾ってます。

 

ヴァリスもそうですが、穏やかな表ヅラとは裏腹に、根深い怒りと実行力を兼ね備えたクセ者ってのは、コンレス・ヒルの得意分野です。

 

優越感で気が緩んでいるニックから家庭の内情を聞き出して、自分の小説としてそれをハネーに聞かせて二人の結婚生活の破綻の種を蒔いたり、

マーサとの間の空想の息子が自動車事故で死んだという話を伝えて、ジョージをコケにしてやったと勝ち誇っているマーサの幻想を粉々に打ち砕いて、二人の力関係を根本から逆転したり・・・

 

考えてみれば、マーサもニックもハネーも、家庭的幸福という幻想に浸っていたのですね。ところが人間関係のヒエラルキーの最下層にいつもいて、劣等感にまみれて暮らしているジョージには、元々、幻想なんてないのです。

最下層にいるから、もう負けようがない。だから強者を倒せるんですね。

 

家庭内ゲームオブスローンス(玉座争奪戦)も、ヴァリス圧勝というわけです。

 

 

『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』を上演する必要性って?

そんなに嫌な相手なら、離婚すればいいじゃないか?っていうのが、21世紀的価値観だと思います。

でも、別れたくても別れられない腐れ縁てあります。そういう関係性って、どっちが支配権をにぎるのかというパワーダイナミックスだけが重要になってきたりします。

 

『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』は、そういう関係と、それを支えている幻想の醜悪さを客観視するよい機会かなと思います。

 

 

60年近く前のアメリカの芝居を、なんで今さらイギリス人が上演する必要があるのか?

やっぱり、アメリカがクシャミをするとイギリスは風邪をひいて、日本はインフルに倒れる的な国際的パワーダイナミックスって確実にありますよね。

 

核家族と物質的裕福さが、ベトナム戦争の泥沼まで続いていたアメリカンドリームですよね。

トランプが「make America great again」とかほざくので、はた迷惑なアメリカンドリーム復活熱が盛り上がっているのも確か。

 

鎖国に向かってくアメリカンドリームなんて質の悪い幻想だ!

って、イギリス人は言いたいでしょう。アタシもいいたい。

 

 そういう今日、『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』の幻滅には説得力があります。

 

 

 

やっぱり、ナショナルシアターライヴはオモロイです!

『ジュリアス・シーザー』も見に行かねば・・・

 

 

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