マリインスキー・バレエがまだキーロフ・バレエと呼ばれていたソヴィエト連邦時代の、しっとりと古都の栄華を匂わせる『パキータ・グラン・パ』。気難しく偉大な亡き友の思い出とともに、作品や踊り手にまつわるあれこれやを記しておこうと思います。
- 友が最も愛した『アルミードの館』ヴァリエーション
- 『パキータ・グラン・パ』の成り立ち
- アントレ:子供たち~コールドのマズルカ
- アントレ:コリフェ~真打登場
- アダジオ~アレグロⅡ
- パ・ド・トロワ
- 第1ヴァリエーション:『せむしの仔馬』より
- 第2ヴァリエーション:『カンダウレス王』 より
- 第3ヴァリエーション:オリジナル
- パキータのヴァリエーション:『トゥリルビー』
- コーダ
- 亡き友を偲ぶ
友が最も愛した『アルミードの館』ヴァリエーション
米国在住の友人、Rさんが2月2日に永眠しました。
動画サイトでロシアのバレエを検索すると、元々は彼のコレクションだった映像をたくさん見かける。というか、この人なしにロシアのバレエは語れないというくらいに、手に入る限りの公演映像を収集している人物でした。
その友人が4~5年前に突然送って来たのが、上の『パキータ』の第3ヴァリエーション。エレーナ・エフテーエワが踊る『アルミードの館』からの短い動画(31:11開始)でした。
「このヴァリエーションの中では一番好き」と言ってました。
1991年撮影、ユリア・マハリナ主演の『パキータ・グラン・パ』でこの演目を知り、惚れ込んで、ラリッサ・レジュニナが4回転ピルエットも交えてキレキレのテクニックを魅せるアルミードが最高だと思っていたアタシには晴天の霹靂でしたねえ。
エフテーエワは技術力のバレリーナではないので、回転といい、ポワッソンといい、ポワントしてアラベスクのソテといい、地味。
でも、よく見ていると高速テンポなのに、はんなり淑やかに踊り上げている。そしてチェレスタを用いたこの曲の華やかだけれどメランコリックな雰囲気に合う、しっとりした情念に満ちていることに気づいたんです。
そうだ、エフテーエワは情念のバレリーナだったんです。
1968年、ナタリア・マカロワで撮影が予定されていた『白鳥の湖』の主演に抜擢されたのが入団間もないエフテーエワで、なんとも成熟した演技を堂々と披露したのは、もはや伝説と言えます。続けて『ラ・バヤデール』のニキヤ、『海賊のメドーラ』なども大成功だったにも拘わらず、グランドバレエの主演を軒並み制覇してプリンシパルを目指すことなどなかった人。
エフテーエワが本領を発揮したのは、『ジゼル』や『ロメオとジュリエット』『ラ・シルフィード』や『エスメラルダのパ・ドゥ・シス』のタイトルロールですとか、『バフチサライの泉』のマリアとかいった、薄幸の娘役。異例のスターでしたねえ。
今ではマリインスキーでコーチをされえますが、不器用なオクサナ・スコリクをグランドバレエの演目一連に対応できるプリンシパルに育て上げたのは、とんでもない快挙だと思っております。
このパフォーマンスは悲劇的情念の人が三十路を超えたからできる細やかで成熟した表現。見れば見る程、味わい深いですねえ。さすがはRの御大、芸術性を見る目がありすぎです。
踊り手のみならず、作品としても異例のアルミードのヴァリエーション。マリインスキーのサイトなどには、作曲レオン(ルートヴィヒ)・ミンクス、振付マリウス・プティパって書かれてますが、大違い。作曲したのはニコライ・チェレプニン、振付はミハイル・フォーキン、ディアギレフ率いるバレエ・リュスの演目として有名になった作品なんです。
『パキータ・グラン・パ』っていうのは、作曲は概ねミンクス、振付はほとんどプティパっていう方が正確ですね。
『パキータ・グラン・パ』の成り立ち
なんでこんなに表記がややこしいことになってるかっていうと、キーロフ/マリインスキー版の『パキータ・グラン・パ』は継ぎ接ぎな作品だからなんです。
元々は1846年のフランスはパリで大当たりしたバレエ。当時人気絶頂のカルロッタ・グリジとリュシアン・プティパ が主演、エドゥアール・デルデヴェスって人の楽曲にジョゼフ・マジリエが振付した作品。舞台はスペイン、ジプシー娘とフランス軍将校の恋物語。バズりはしたんですけど、フランスのバレエはブールバール笑劇に追いやられて下火となり、何気に消えてしまいました。
で、リュシアンの弟のマリウス・プティパがサンクトペテルブルクのロシア帝室劇場 (後のキーロフ現在のマリインスキー劇場)に招かれて、大ヒットの評判から『パキータ』の上演を依頼されたんですね。ミンクスの音楽も新たに高名なパ・ド・トロワやグラン・パも加えて1881年のマリインスキー版も成功したのです。翌年には帝室(現在はワガノワ)バレエ学校の生徒に踊らせるマズルカも加わって、パリ・オペラ座が上演した復刻版のような形となりましたかと。
ところが、次第にグラン・パのみの上演になり、1917年のロシア革命後にはそれさえ途絶えていた不憫な作品でした。
因みにパリ・オペラ座版の第3幕のグランパを見ても、ちっとも面白くありません。バレエ技術の違いも大きいですが、このヴァージョンには当然ながら、キーロフ/マリインスキー版のように華やかな女性ヴァリエーションが大盤振る舞いで入ったりしてないんですね。だから、しょぼく感じてしまう。
プティパ(マリウス)の作品の多くはバレエ譜として保存され、キーロフ周辺にはその振付を身体で覚えている方々もおられました。そうやって上演されずに残っていたヴァリエーションをセレクトしてつなぎ合わせたのが、キーロフ/マリインスキー版の『パキータ・グラン・パ』なんですね。
では、これをつなぎ合わせた人は誰なのか?
マリインスキー劇場のサイトでは、この復刻版プレミアは1978年6月29日となっています。復刻版のコンサルタントとしてはピョートル・グセフ他の名が挙がっています。この方は1945年からキーロフの芸術監督になり、1952年にマールイ劇場(現ミハイロフスキー)のために『パキータ・グラン・パ』の改定上演をしたんですね。これが所謂グセフ版です。
でも、キーロフ版でグゼフはあくまでもコンサルタント。1978年にヴァリエーションをセレクト、構成・演出した人は誰なのか?マリインスキー劇場のサイトは頑なにその名前を表示していません。
1977年に、新鋭の振付家でマールイ劇場を率いていたオレグ・ヴィノグラードフがキーロフの芸術監督に着任しました。このヴィノグラードフこそが現在知られている形で『パキータ・グラン・パ』を、グセフ版をベースにして復刻演出した人なのです。
何でそんなことを知ってるかというと、wikipediaの英語版にも掲載されてますし、91年版のVHSに収録されていたヴィノグラードフ自身のインタビューを、アタシは見ていたからなんです。
「古い、埋もれたヴァリエーションを繋げて作品にするのは大粒の真珠を連ねてネックレスをつくるようだった…」なんて、言ってましたっけ。
プティパと言いつつ洗練されたフォーキンの振付を混ぜ込むとこなんて、とてもヴィノグラードフらしいと感じてます。風雅を好むな人なんですよ。
何でマリインスキー劇場はヴィノグラードフを無視し続けるのか?
収賄がらみのスキャンダルで更迭されたからなのか?1997年に後任の芸術監督に就いたヴァレリー・ゲルギエフが、未だに信奉者が現役で活躍してるヴィノグラードフを認知したくないのか?その辺、アタシのような門外漢には分からないところです。
伺っても、意見は人それぞれ違いますし…
更迭後のヴィノグラードフは韓国のバレエ団や米国のキーロフ・バレエ学校の長を務めていましたが、またサンクトペテルブルクに戻り、ミハイロフスキーやコンセルヴァトワールの芸術監督などを歴任。
「何故、グローバルなんていう低水準にロシアバレエが合わせなければいかんのだ?」なんて、もっともな憎まれ口を叩いて邪魔にされてましたねえ。
とはいえ、今年のTVショー『グランド・バレエ』に往年のプリマで、この『パキータ』主演でもあるガブリエラ・コムレワさんと並んで審査員なんかしてるので、レジェンドとしての位置は確実。
一つの演目に明確なヴィジョンを持ち、それを可能にする技術と表現を熟知して、思惑を超えて来たコンテスタントには惜しみなくブラボーを叫び、それ以下だと徹底指導。底知れないバレエ愛を遺憾なく発揮する師匠。最近は忖度ばかりの審査員が多い中、そのブレなさに感動。マリインスキーにはこの人が必要なのよと、涙ぐむ視聴者でした。
マリインスキーも2017年にはデルデヴェスの楽曲を第1、2幕に配し、ユーリ・スメカロフ作・演出(第3幕グランパはユーリ・ブルラカ版)の全幕『パキータ』を復刻したことでもあり、旧い確執は水に流してヴィノグラードフ師匠の功績をそろそろ称えて欲しいものです。
アントレ:子供たち~コールドのマズルカ
幕が上がって最初に登場するのは、ポロネーズで行進するワガノワバレエ学校の生徒たち。1991年版で初めて見たときは本当に驚きました。エレガントで堂々たる歩みぶり。子供がこんなに上品だなんて、初めのビックり体験。
メロディが少し哀調を帯びたマズルカに変わると、さらに驚愕。ポジションも動きも素晴らしく美しい。女の子たちは小さなレディだし、男の子たちは小さなナイトで、女の子たちをしっかりエスコートしてます。殆どは、簡単なマズルカ・ステップで構成されているのですが、なんとも華やかな雰囲気があるですねえ。
日本の10歳くらいの子供たちなんかだと、結構難しい技なんかはできても、完成された動きには程遠い。ワガノワの子供たちは難しい技は披露しないけれども、簡単な技が高度に洗練されて、一瞬一瞬が絵画のよう。
ああ、この子たちはプロなんだなあ。チケット代に値するパフォーマンスを繰り広げるプロなんだなあと、いたく感心したものです。
続いて現れるのはコールドの女性陣によるマズルカ。
CDのタイトルリストなんかだと、アレグロⅠとか、そっけない表記がされてますが、あからさまにマズルカです。同じマズルカステップでも子供たちとは異なりアサンブレ(足を打ち付ける技)などが入ってて高度です。そこに夫々の踊り手固有のエポールマン(肩と首の動き)が入って、何とも色っぽい。
今どきのコールドと比較すると、太目でちょっと重苦しい。その分肉感的な女性たち。こういうところも情趣がありますねえ。
スペインの話なのに、なんでマズルカやねん?と、お思いの方も多いと思います。デルデヴェスの楽曲はスペイン情緒溢れておりますが、ミンクスはロシア受けを狙ってるオーストリア人ですから、マズルカで景気よくスラブ魂を盛り上げよう的に狙ってきたのは、ありなんじゃないか。と、適当に解釈しています。
マズルカはポーランド起源の民族舞踊ですが、当然長いスカート踊るものです。だから、どんなに込み入ったステップを踊っていても、魅せるのは上体の動き。腕とエポールマンが勝負なんですね。
往年の名プリマ、その技術力が様々なヴァリエーションの振付を画期的に高度化させたとして名高い、ナタリア・ドゥジンスカヤさんは民族舞踊の名手でもありました。お年を召したドゥジンスカヤさんがマズルカの指導をされるところを拝見したことがありますが、肩を捻るだけで魅了されるんですね。これを至芸と言うのだと、肝に銘じたのを憶えています。
アントレ:コリフェ~真打登場
コールドの小さなアサンブレがカブリオーレになったところで、2人組のコリフェ(ドゥミ・ソリスト)たちが、次々と登場します。
アタシの経験から言うと、コールドに選ばれるのとにかく容姿端麗な方々。コリフェより上になると、少なくとも一芸に秀でた皆さん。大きなジャンプが得意だとか、アダジオやアレグロの名手だとか、何かしら際立っておられます。
2組目の向かって右側、でキレキレのシェネを見せてる方は1977年のドキュメンタリー『劇場通りの子供たち』の主人公だったエレーナ・ヴォロンツォワさんじゃないかと思ったりいたします。今はマリインスキーでコーチをされてる方ですね。
その際立つ2人がピタリと振りを合わせるペア3組の場が終わったところで、主役のコムレワさん登場。結婚式の場面なので、お一人だけ花嫁さんの白の衣装です。
いきなり踊りのスケールがデカくなって驚きます。150cmもないんじゃないかっていう、めちゃくちゃ小柄なのに、高くて飛距離の長いジャンプで空間鷲掴み、回転も速くて正確なランディング。なんとも堂々としたパキータっぷり。
コムレワさんは『白鳥の湖』『ラ・バヤデールといったドラティックな演目から、『眠れるの森の美女』『ライモンダ』のクラシックの粋、『ドン・キホーテ』みたいな技術力押せ押せ演目と、グランドバレエを総て制覇、人民芸術家の称号も持つ大プリマ。この撮影時は、御年48歳。もう、化け物でしょ、と言うしかないです。
往年のプリマさんは50歳近くまで現役を続ける方が多く、キャリアが長かったですねえ。今は30代後半で息切れして不惑で引退みたいな方が多いです。
極端にしなう高い甲や伸び切った膝とか、高く上げるアラベスクやエカルテなんてものが必須の現代の踊り手さんは身体の消耗が激しいから、怪我が多く劣化が早いんじゃないかと疑いを持ってるアタシです。
アダジオ~アレグロⅡ
アレグロパートが終わると男性パートナーが登場して、おおどかなアダジオが始まります。アダジオっていっても、今に比べるとハイ・テンポです。
男性はコンスタンティン・ザクリンスキー。今では、ワガノワの前校長アルティナイ・アシウムラトワのご主人という髪結いの亭主的なポジションですが、80年代初頭には大スターでした。190cm近い高身長(アタシの体感)、10頭身のイケメンですから主役にしたいのは分かりますが、大雑把なダンスで特別な身体能力もなかったですね。
でも、この時期映像化されてたのはいつもザクリンスキー、1986年の22年ぶりの米国ツアーでも『白鳥の湖』の王子はどこに行ってもザクリンスキー。この辺、イケメン王子を意識したヴィノグラードフ師匠の采配は当たってましたね。
なので、ここでもザクリンスキー。でも、身長差がありすぎてピルエットのパートナリングとか、逆にキツそうです。それでも負けないコムレワ女王。体幹が斜めにズラされても、真直ぐな姿勢を保ったまま高速回転されてます。さすがです。
この振付、基本的に40年以上変わっていないんですけど、11:08から始まるダブルフラぺを2セットというシーケンス、スメカロフの全幕版だと1セットで男性のサポート付に変化してるんですね。主演級の脚力とバランスを魅せるパートなのに、なんでステップのグレードを下げてしまったのか?全幕だと足が疲れるからってことなのか?
ちょっと不満だったりしますね。
どんな状況でもペースを乱さず、余裕で踊り切るコムレワさま、素晴らしい!
14分あたりから始まる、スパニッシュ風味のアレグロⅡ。
ここはね、コールドの細かい繋ぎのステップが難しいなといつも思っております。16分当たりのクぺ~クペ~クペなんて、普通だと縦にデコデコしてみっともなくなりましょう。キャラクターダンス(民族舞踊)に力を入れてるワガノワ出身者だから魅せられるシーケンスと有難く拝見しております。
パ・ド・トロワ
17分あたりから始まるパ・ド・トロワ。踊り手は左から順に、ナタリア・ボリシャコワさん、ワジム・グリャエフさん、オリガ・イスカンデロワさん。ボリシャコワさんグリャエフさんはウラル・オペラ・バレエで振付などされ、イスカンデロワさんはマリインスキーでコーチを務め、惜しくも2018年に亡くなられてます。
音楽は、デルデヴェスの楽曲をベースにセザール・プーニやらアドルフ・アダンの曲をこき交ぜてミンクスがアレンジしたという、かなりいい加減な代物ですが、
飛んで飛んで飛んで、バットゥリー、バットゥリー、回って方向転換で攻めてくるハイパワーな演目です。最新の全幕版では第2幕でパキータと恋人アンドレスと友人の踊りになってます。
エントランスのソロでエフレモワさんがアントルシャしてるところ、91年版だとイリーナ・シトニコワさんが空中でダブルロンデジャンの超人技をだしてましたっけ。高さのあるカブリオーレも凄かった。シトニコワさんは凄かった。って、パ・ド・トロワは91年版に適うものなし!
白いスカートのイスカンデロワさんは、アントルシャシスからエファセ~ポーズの2セットから入るでっかいアレグロの骨頂なヴァリエーション。そこからカブリオーレ~ダブルピルエット、トゥール~グランジュテと大技のコンビネーション。イスカンデロワさん、キレキレですね。
全幕版だと、これがパキータのヴァリエーション。エファセ~ポーズの後のデガジェでバチュが入って一段と技が難しくなり、ヴィクトリア・テリョーシキナ女王がこれらをバンバン決めて大ブラボーが来ましたかと。
91年版のエレーナ・パンコワさんキレキレというよりも、フワッと空中遊泳みたいな踊り方で、それも素敵でした。
エフレモワさんのヴァリエーションは、高速の足技を無難に決めて、クリーンなシャッセターンでフィニッシュ。
ここもシトニコワさんが凄かった!速くてもブレない体幹、連続アントルシャのとこなんて宙に浮いてるみたいで、ジュテ~パドゥシャのシーケンスの滑らかさなんて、夢に出てくるくらいです。
グリャエフさんは、まあ、この時代まであった男性特有の無骨さというか...
コーダも卒なくまとまってますね。
91年版だと、ステップ~クッペのところがアサンブレバチュになってたり、アレグロの職人技満載で感動します。
って91年版のことばかり語ってしまうアタシです。
で、パ・ド・トロワが終わると、『パキータ』の大粒真珠であるヴァリエーションが始まります。
第1ヴァリエーション:『せむしの仔馬』より
一番手は『せむしの仔馬』からの闊達なヴァリエーション。踊り手はソヴィエト時代の大スター、アラ・シゾーワさん。
シゾーワさんは、ソヴィエトが生んだ世界のスターであるルドルフ・ヌレエフのパートナーとしてブレイク、彼が西洋に亡命した後はユーリ・ソロヴィヨフのパートナーに定着。
このソロヴィヨフこそ、Rさんやアタシなどのキーロフ担が真の天才と崇めるお方。ノーブルかつパワフルなソロヴィヨフさんのデジレ王子とキラキラしてリリックなシゾーワさんのオーロラが共演する1964年の映画版『眠れる森の美女』は、夢のようでした。
晩年のヌレエフが「シゾーワのエレヴェーション(ジャンプの高さ)だけとっても、ロシアに帰る価値はある」と言ったとか言わないとか。
この動画のシゾーワさんは47歳なのに可愛さたっぷり、今時のバレリーナさんほどエクステンションはありませんが、見事なグランジュテや正確なイタリアンフェッテを披露してまかつパワフル素晴らしすぎ、観客も超ブラボー!
シゾーワさんは88年に引退された後、ワガノワやキーロフ・アカデミーで教鞭を取り、2014年に逝去されてます。もっと長く活躍して欲しかった方...
作品情報としては、ワガノワの字幕など見ますとチェーザレ・プーニ作曲、振付プティパとなっております。『背むしの仔馬』はアルテュール・サン=レオン振付だったものをプティパが改訂上演したんですね。
現在のマリインスキーでは、ロディオン・シチェドリン作曲アレクセイ・ラトマンスキー振付の新版を上演してるので顧みられなくなった作品。でもこのヴァリエーションやワガノワの卒業公演の演目に定着してた『フレスコ』など入っていた旧版を、また見て見たいものです。
第2ヴァリエーション:『カンダウレス王』 より
2番手は大好きなリュボフ・クナコワ・コーチが舞う『カンダウレス王』のヴァリエーション。テリョーシキナ女王のコーチですから、やっぱコーチって呼んじゃいます。
クナコワ・コーチは気さくで温かいお人柄。アタシらなどにも「ヴィカ(テリョーシキナの愛称)はまだ来ないわよ」なんて気軽に声をかけてくださいます。
ヴィカのオディールのヴァリエーションのリハ動画をご覧になった方も多いと思いますが、教えるのが上手ですよね。的確な指示出しで、ランヴェルセなんか2パターン示して選択肢を増やしてくれたり、教わる方の技術に合わせて工夫してくださるとこが、素晴らしいですねえ。
教え方が整然としてるのは、コーチがペルミのバレエ学校出身で、キーロフのスタイルにどうアジャストしてくか苦心されたからかなと思ってます。だから、クラスノヤルスクのバレエ学校からワガノワに転校して最終3年間を過ごし、純粋にワガノワ的ではないヴィカとの相性が抜群だったのではと考えてます。
当時21名のプリンシパルを抱える巨大バレエ団だったキーロフ。マリインスキーもそうですが、配役は徹底したタイプキャストでシゾーワさんは娘役型。同じプリンシパルでも高身長で堂々たる体躯のコーチは女王型。だから主役に加えて『眠れる森の美女』のライラックの精、『ラ・バヤデール』のガムザッティ、『バフチサライの泉』のザレマなどあり、『愛の伝説』ではメフメネバヌーで貫禄ある演技をしてらした。
そんなコーチは、『パキータ』ではアントルシャトロワで始まるカンダウレス王のヴァリエーションに特化してました。ゆったりして複雑なステップとか入らないこのヴァリエーションを大らかに、華やかに踊り上げているところが素敵ですねえ。
1991年版もこの作品はクナコワさん担当でしたね。81年にはギリ20代のクナコワさん、91年版よりも身体の可動域が広く、一段と華やかです。
ヴィノグラードフ時代には、主役のパキータには「エトワールのヴァリエーション」とか決まっておらず、その時の主役が一番得手とするものがパキータのヴァリエーションとなってました。ですから、クナコワさん主演時は、カンダウレス王のパキータのヴァリエーションでトリとなってましたっけ。
そういう時代でした。ヴィノグラードフって、徹底して自分の気に入ってるものしか見せてこないって感じ。だからヴィノグラードフ時代のキーロフは何を見ても大満足でしたっけ。
『パキータ・グラン・パ』のヴァリエーションなんてプリンパルやスターさん満載で超豪華でした。今みたいに、主役以外は第2ソリストだらけなんてことはありませんでした。とはいえ、一昨年前くらいまで、第2ソリスト界隈もベテランコリフェさんたちも主役級の曲者揃いではあったのですが…
このヴァリエーションに話を戻すと、作曲は本来プーニなんですけど、プティパが改訂した時にリッカルド・ドリゴの楽曲を付け足してまして、このヴァリエーションがどちらに属するのか分からないものです。
ご存じの方、教えてくださいませ。
第3ヴァリエーション:オリジナル
スヴェトラーナ・エフレモワさんが踊る、『ドン・キホーテ』の第2幕夢の場面からのキューピッドのヴァリエーション。
『ドン・キホーテ』はご存じのようにミゲル・デ・セルバンテスの名作をプティパがメタメタに脚色、ミンクスの音楽に振り付けた作品。なんですけど、キーロフ/マリインスキーで上演されているのはゴルスキー版。
ゴルスキーはプティパの作品をさらに改訂。夢の場のヴァリエーションは全部新規追加分とのこと。中でもキューピッドのヴァリエーションの音楽はバルミンという作曲家により『パキータ』のために書き下ろされたもの。ってことは、キューピッドのヴァリエーションという呼称自体が利便的なものなのですね。
振付もこちらが本来なのは、納得できます。
足数が多いので、個人の技量でステップが変化する演目ですが『ドン・キホーテ』と比較して明らかに異なるのは回転シーケンス。『ドン・キホーテ』だと、ドゥミポワントからポワントにアップする代わりに一回転の連続ですが、こちらだとピケで入る代わりにとにかく沢山回転する、2回転は当たり前。エフレモワさんはシャープに1回転2回転の繰り返し。スピードがあって小気味いいですね。
今どきの踊り手さんがテンポを緩くしても、グランジュテ並みにブチかましてくるグランパドゥシャもさらっと小さなステップとして対応。昔はね、死ぬ気でデカくするグランパドゥシャなんてありませんでした。もっと粋だったんですよ。
エフレモアさんは、ステップワークにキレのある高速バレリーナでした。この他にも、『くるみ割り人形』や『ヴェニスの謝肉祭』のグランパの動画が残ってます。『ヴェニスの謝肉祭』って、今ではエフゲーニヤ・オブラスツォーワさま御用達演目になってますが、エフレモアさんの圧倒的キレには叶いません。
エフレモワさんは、テリョーシキナ女王が苦労する『眠れる森の美女』のダイヤモンドの精とかも、チカチカ、キラキラ軽くこなしてましたねえ。
こういう、職人技のバレリーナさんは絶対必要だと思いますよ、アタシは。小さくてキレがあって速い人がいないと、物足りないよう!
パキータのヴァリエーション:『トゥリルビー』
第4ヴァリエーションはエフテーエワさんの『アルミードの館』。
で、パキータがコムレワさんなんでトリは『トゥリルビー』からの第5ヴァリエーション。御年48歳にしてスケールがでっかく、高難度の技を嫣然とこなすお姿に大満足。会場のブラボーも止まりません。
『トゥリルビー』はシャルル・ノディエの幻想小説を元に、ユーリ・ゲルベルという作曲家が音楽を担当したプテイパ作品ですが、今となっては失われた演目。『海賊』の高名なグランパドゥドゥの男性ヴァリエーションとして一部が残っているということですが、これに関してはワフタング・チャブキアーニが自分仕様で改変してしまったので、今一つ不明。キーロフ/マリインスキー版グランパのコンラッドのヴァリエーションかしらと思ったりもしますが、今となっては直接結びつくのは『パキータ』のこのヴァリエーションくらいです。
デッカいグランジュテでダイアゴナルに舞台を横切って始まるトゥリルビーのヴァリエーションはダイナミックでゴージャスですねえ。コムレワさんと並んで今やマリインスキーのバレエマスターを務めるタチアナ・テレホワ女王、現女王のテリョーシキナと、超越的技術力を誇るプリンシパルの皆様に受け継がれてきたヴァリエーションです。
5回のグランジュテで下手の端っこの境目ギリギリで舞台から飛び出しそうな位置まで来ちゃう、上背もたっぷりのテレテレ軍団と違って小柄なコムレワさんは6回使ってほどほどの位置に来るだけですが、空間の掴みはデカいです。そこからアラベスク~アティチュードの連続ピルエットをブレずにこなすこの技量。
最期のシーケンスはダイアゴナルに戻って、高速の2連続ダブルピルエットからグランジュテ入ってますね。片方が1回転になる時がありますが…。スピード感でクラクラします。
テレホワさんも、ダイアゴナルで締めてました。現存する動画だと1回転、1回転だけれどアンドゥオールで回転するのでスピード感がありますねえ。
ヴィカはここがマネージュで、アンドゥオールのピルエットが1回転2回転でストゥニュ入れて間を合わせてますねえ。超絶技です。このマネージュ打ち上げ花火みたいにゴージャスで大好きです。
で、このマネージュ方式でも一番スゲェかったのは、若い頃のコムレワさんでした。アンドゥダンのダブルピルエット2連続からグランジュテでマネージュされてたんですよ。これも、夢に出るような素晴らしさ!
80年代までのバレリーナさんて、ピルエットの時のパセが低めでしたよね。この若干の空間の違いで、空気抵抗はかなり変わります。弱まります。だからでしょうか?高速ピルエットに強い方が多かったです。ヴィカもここのマネージュでは80年代方式。
話がそれましたが、コムレワさんのトゥリルビーは大満足!会場の拍手もなかな終わりません。
コーダ
そして男性ヴァリエーションなしで始まるコーダ。
91年版ではイーゴリ・ゼレンスキーさんのために、『コッペリア』からフランツのヴァリエーションを挿入してましたが、こんなもんです。2009年のアリーナ・ソーモワ版だと、ダニーラ・コルスンツェフさんはパキータの短いソロのところで、即興みたいなシーケンスを貰ってました。
キーロフ/マリインスキーなんて、そんなもんです。長年、貴族方や革命政府の高官方がキレイなお姉ちゃんを見に来ていた場所。かかあ天下な劇場なんですね。だから、男性はパートナーとしての本分を尽くせばOKって感じなんです。
ってことで、キレイなお姉ちゃんがズンチャカズンチャカ、足技を魅せまくるコーダ。
コムレワさんのグランフェッテはシッカリしてるけど地味めなシングル。コムレワさんは、連続ダブル回転のするグランフェッテのパイオニアですが、やはり48歳ともなると、シングルになるんですねえ。
その後は、いつもエポールマンの美しさに感心するアンボワテの2人組が来て、コムレワさんはソテからソドバスク~カブリオーレを決める華麗なソロ。鞭がしなうような手脚の動きを見せるここの振付がとっても好きざんす。右左右のダブルロンデジャンから最期はダイアゴナルの回転シーケンスでフィニッシュ。
なんちゅう、体力。そして、どんなに高度で困難な技でも、しなやかさと品格を失わない女性舞踊手たち。
ヴィノグラードフによる黄金時代の醍醐味がギッシリつまった『パキータ・グラン・パ』。超超ブラボーです。
教えてくれてありがとう。我が友よ!
亡き友を偲ぶ
雑談のようなブログをアップしてしまいました。
Rさん存命中は、友人連中でこんな雑談をしながら彼のコレクションにあるバレエ動画を見たものです。
Rさんは子供時代からNYCバレエ団付属の学校でジョージ・バランシンに師事していたのだけれども、プロの道を断念して大学進学を選びビジネスマンとなったということ。アメリカ式のバレエには、何か違う感を持っていたようです。
そんなRさんが、1986年のキーロフ米国ツアーでこの偉大なバレエ団に触れ、これこそバレエの神髄と入れ込んだ。その後は団員たちと親しくなりツアーに同行、ヴィノグラードフにも認められて座付きカメラマンのように受け入れてもらい、数々の舞台やクラス、リハーサルの撮影を許されて来たということでした。
ヴィノグラードフ大尊敬の珍しい日本人ということで、アタシなどもお仲間に入れていただき、氏のコレクションを拝見させていただきました。
Rさんはロシアバレエ愛を広めたいという志で、仲間には強制的に映像を見せて高説をたれて、反論すると攻撃しまくる。ディスカッションが大好きなバレットマンでした。
アタシなども、このディスカッションの中でバレエを見る自分の視座が明確になっていったと思います。
Rさんはワガノワならではの優雅な上体と腕のラインを最重要と考え、アリーナ・ソーモワやユリア・ステパノワを推しまくってましたが、ヴィカ推しのアタシなどは恰好な攻撃対象とで、始終煽られておりました。
売られた喧嘩は買う質なので、攻撃される度にワガノワ/キーロフ/マリインスキースタイルとは何かを学び返し、対応する演目の歴代名演のステップの違いなんかもガチで暗記し、一歩も引かない毎日でしたね。
で、自分の結論としては:ワガノワ/キーロフ/マリインスキーのラインを完璧に再現できなくても、ヴィカにはそれを補う腕と肩関節の柔軟性がある。ヴィカの硬質さは、私たちが至高と考えるガリーナ・メゼンツェワに通じるものがある。20世紀バレエ界のスーパースターであるナタリア・マカロワが「上半身は感情下半身はパッションを表現するんだ」と宣ってましたが、自分はこの表現が的確にできる身体があれば、ラインは最上でなくてもいい。音楽上のフレージングやビートが曖昧なステップで濁ること、テンポが重苦しく遅れることは好まない。だから、ソウルフルでキレキレでポージングをベストタイミングで決めてくるヴィカを高く評価するんだとなりました。
お互い譲りませんから口喧嘩ばかりでしたねえ。そういうことが沢山ありました。でも、喧嘩することで自分は成長できたと思ってます。
Rさんも信念を曲げない人間が好きなので、喧嘩しながら随分と仲良くさせて貰いました。勿論、侮辱されたと感じて離れていく人も多かった...
例の💉が出てきたときは、懐疑派のアタシは慎重になって欲しいといろいろ記事を送りましたっけ。
でも、アタシの手元に有害事象の論文がそろう頃には、米国では既に2回済のブースター待ちとなり、負けん気のRさんは
「こんなもん、痛くも痒くもないワ!ガハガハ」なんて言ってました。
それから突然、長い間連絡が取れなくなり、時折ごく短い返事しか来なくなって心配してました。
去年のクリスマスにようやく連絡がついて、「腕が痛くてもう起き上がれない」と告げられてしまい、多臓器不全で闘病してたことがわかりました。
そこからまた連絡が取れなくなり、2月には逝去の訃報が入り、奥様から「コロナ罹患と心不全で亡くなった」と告げられました。
訃報を聞いてからアタシは何もする気になれずボーっと、どことなく胸が痛み続け、戦友を失うってこんな感じなんだろうかなんて思ったりしてました。
でも、2カ月を過ぎ、自分も前を向かなきゃあと思い始めて...
Rさんに限らず、キーロフ/マリインスキーのバレエが何であるか、手を引いて教えてくれた先達たちは皆亡くなっていることに気づきました。
諸先輩の思いに報いるには、残された自分が伝統を語って次の世代に残していくくらいしかないだろうと考えて、雑談のような『パキータ・グラン・パ』語りとなった次第です。
また、踊り手の皆さんが冷たいというわけでもありません。皆さまお忙しく、訃報自体耳に入っておられないのです。伝え聞いたアンドレイBさんやマリアCさんは悲しんでくださったと伺っとります。
友よ、天国でセンチメンタルなアタシを嘲笑ってくれ!
REQUIESCAT IN PACE