人は1人で生まれてきて1人で死ぬ。基本的に孤独な存在。誰かと完全に理解しあって愛し合うというのは、ほぼ不可能なこと。個人という壁を越えて、ダイレクトに繋がれたらという妄想を実現しようとしたら、連蔵殺人犯になってしまうこともある。究極の共生を求める怖さを思い知るエピソードを、掘っていこうかと…
※「普通こんな会話しないよね」なセリフやアートすぎなイメージや音楽も、回が進むほどに重要な意味を持ってくるので、詳しく掘ってます。
- ブライアン・フラー料理長のお手並み拝見
- 菌類がつなぐ精神のネットワーク
- ウィル・グレアムと女性たちのつながり
- ウィル対フレディ対ハンニバルのパワーゲーム
- ハンニバル対ジャックのパワーゲーム
- スタメッツとウィル・グレアムとのつながり
- どんどん近づくハンニバルとウィル
- ハンニバルの誘惑
- ハンニバルの"神コンプレックス"
ブライアン・フラー料理長のお手並み拝見
アミューズ・ブーシュというものは、コースの中でも特別。
アタシの経験ですと、ツマミ的な感じのオードブルで、小さなシュークリームのふりをしているんだけれど実はホタテのグラタンだったり、1口サイズのブルーベリームースに見えてたのがタラだったり。
シェフのキュイジーヌにかけるセンスの予告編みたいで、すごく楽しみです。
世間受けする犯罪捜査物の体裁で始まった第1話「アペリティフ」は、高級なジンベースの食前酒ってなかんじで、ピリッとコクがありました。
で、番組のシェフであるショーランナー、ブライアン・フラーがアミューズ・ブーシュとして仕掛けてきたのは、1話完結でどんどん進む犯罪捜査物のフォーマットを大きく外れる、心理サスペンスへの番組展開です。
主人公のウィル・グレアム特別捜査官は、第1話で射殺した連続殺人犯"ミネソタのモズ"ことギャレット・ジェイコブ・ホッブズの死体のイメージに憑りつかれ、何をしていても、ホッブスの死体を見てしまう。
精神不安定で正式なFBI捜査官になれず、特別捜査官として犯罪解明に参加しているウィル・グレアムみたいな人物が、初めて人を殺したら、それは1話で完結しないショックでしょう。
この辺り、主要人物の丹念な心理描写が、アタシなどには『ハンニバル』の美味しさなのです。
そして、「1話完結型犯罪捜査物のふりをしているけれども心理サスペンス」というように、○○の振りをいるけれど実は△△というのが、『ハンニバル』の基本フォーマットになるわけですが、心地よく騙される楽しみに、フラーシェフのお手並みの見事さが表れていると思うのですね。
菌類がつなぐ精神のネットワーク
生き埋めにされた人体や半腐りの死体を原木代わりにしたキノコ栽培場のイメージはショッキングなのですが、事件は孤独でさえない中年の薬剤師エルドン・スタメッツの犯罪としてあっけなく解決されてしまいます。
では、今週の殺人の何が重要なのか?
重要なのは、犯人の動機や殺人の持つ意味が主人公のウィル・グレアムの心理状態と緊密に結びついて、心理サスペンスの縦糸となっていくという点です。
このつくりこみ、シビレます。
エルドン・スタメッツが意図したデザインを、博識なハンニバルと想像力に溢れたウィル・グレアムが、簡単に見抜きます。
HANNIBAL:Mycelium kills forests over and over, building deeper soil to grow larger and larger trees.
菌糸体は森を殺戮し続けるのだ。地中深く入り込んで、より巨大な樹木を育てながら。
WILL GRAHAM:If it were just about the soil, why bother keeping the victims alive?
単に土がわりなら、なんで被害者を生かしておく必要があるんです?
HANNIBAL:The structure of a fungus mirrors that of the human brain. An intricate web of connections.
菌類の構造は人の頭脳に酷似している。複雑につながるネットワークなんだ。
WILL GRAHAM:Maybe he admires their ability to connect the way human minds can't.
もしかしたら、犯人は人間の精神には不可能な"つながる能力"をあがめているのかもしれない。
孤独な男が考え出した、菌類で人をつないで、個人を超えた精神のつながり、理解と受容のネットワークを創ること。これが、エピソードの重要なデザインなのです。
ウィル・グレアムと女性たちのつながり
「ミネソタのモズを見つけた手掛かりは何だと思う?」
と、FBIアカデミーでプロファイリングを教授するクラスの学生たちに振っておいて
「手がかりなんてなかった。ただのまぐれさ」
と言い放ち、質問しようとする女子学生もまるで無視。ウィル・グレアムは偏屈で孤独な男です。
ただ、世界は男性原理だけでは成り立ちません。ウィルは女性たちとのつながりを深く求めています。
まずは、第1話で父親ホッブスを殺害してその生命を救ったアビゲール。ホッブスに憑かれたウィルはアビゲールを他人と思えず、父親代わりのような気分になり、殺人の共犯と疑われる彼女の毎日病床に通います。が、頸動脈を切られて昏睡状態のアビゲールは、ウィルの存在に気づいてもいません。
第1話以来、精神不安定で共感能力が高いウィルが連続殺人犯をプロファイリングすることを心配し、第1シーズンでは蝶のようにウィルの周囲を舞う、同僚の精神科医アラナ・ブルーム(カロリン・ダヴァーナス)。
一見、笑顔の素敵を見せるやさしげな女性ですが少女時代にはフラナリー・オコナーに夢中だったといいう彼女。オコナーといえば、残酷なまでに不条理な世界観をもつ作家、やたらに深いVラインで男の目を惑わすアラナも一筋縄ではいきません。
ウィルを気遣い、気があるようなそぶりを見せながら、決してすぐそばに近づけない。
「なんで、一部屋に二人きりで時間を過ごしたことがないのだろう」と、恋愛対象にしてもらえないウィルの敗北感を増す存在に見えます。
男前な科学捜査官ビバリー・カッツ(ヘティエンヌ・パーク)は、ウィルの弱点をバシバシ指摘。気持ちのいい同僚で、いい感じになってくれそうな雰囲気ははありますが、少しばかりウィルの劣等感をくすぐるようなところがあります。
ウィル対フレディ対ハンニバルのパワーゲーム
なんといってもこのエピソードで特筆すべきなのは、ウィルの天敵フレディー・ラウンズ(ララ・ジーン・コロステッキ)の登場。
赤いクリクリ巻き毛で、見るからに勝気そうなフレディ。特ダネを仕入れるために警察関係者をセックスで操り、その人物が殺されてもなんとも思わない。まさにサイコパスなあくどいジャーナリストではありますが、驚くような洞察力の持ち主。
うまく挑発してウィルが抱える危うさを見抜き、スキャンダラスな記事で彼を追い詰めます。
これが、ハンニバル相手だと大人と子ども状態。
どうやら偽名で予約を取り付け。ハンニバルの待合室に入り込んで、ウィルとの心療を録音してつつけるネタを ゲットしようとしますが…
ハンニバルの優雅なディヴァンに叱られる小学生みたいに座らされて、レコーダーを取り上げられ、自分から録音を消すように仕向けられてしまします。
ハンニパパに勝てるわけがない!ってとこでしょうか?
ハンニバル対ジャックのパワーゲーム
社交的なハンニバルは、FBI行動分析課の長であるジャック・クロフォードもしっかり取り込んでしまします。
手製のディナーをふるまい、うまいワインを飲みかわす。体格からしてグルマン、ディンクスで宵が寂しいジャックが誘いを断るわけもない。
策略家のハンニバルですから、ジャックを手なずけてFBIの捜査状況を把握しようとしているのは確か。ゴリゴリの正義感ジャックに人肉を食べさせて、その茶番を嘲笑うような悪意も感じます。
ジャックが「ウィルを"壊れた仔馬"だと思っているようだが、前にも"壊れた仔馬"がいたようだ」と、過去の人事的失敗を言い当てて、ちょっといじめたりもします。
とはいえ、
「次は、ぜひ、奥さん同伴で」というところなど
大人の男同士の、成熟した友情の始まりも感じます。
スタメッツとウィル・グレアムとのつながり
孤独なスタメッツは、理解しあい共感しあう輪をつくろうとして、殺人を犯したわけですが、一番の理解者はウィル・グレアムのはずだと考えます。
昏睡中でウィルが思いを伝えることができないアビゲールを菌糸類のネットワークに繋いで精神の交流を可能することで、ウィルを取り込もうとしますが、当たり前のことながら手ひどく拒絶され、銃撃されてしまいます。
どんどん近づくハンニバルとウィル
どんなに偏屈で孤立した人物でも、心の底には、自分を本当に理解してくれる誰かと出会い、無条件で受け入れてもらいたい、愛されたいと望んでいるものです。
女性たちに頼られ、尊敬される、愛される男には程遠く、連続殺人犯からつながりを求められてしまう不運に気づいてしまったウィル・グレアム。
第1話で社会の守り手であるマングースと評価してくれ、ジャックが求める「犯人を射殺したエージェント用のの精神鑑定書」にメクラ判を押してくれる、ただ一人の味方ハンニバルに、ウィルはどんどん近づいていきます。
本来、精神科医の心療であれば同じ高さの目線以上は許容できないはずですが、中2階の書庫を歩き回って、上から目線でウィルがはなすこともハンニバルは受け入れています。傷ついた小動物みたいなウィルにあえて上手を取らせて安心させていくわけですね。パワーゲームの達人ですねえ。
心理セラピーを拒絶していたにもかかわらず、患者ではなく友人として話し合おうと自分を受け入れてくれるハンニバルの診療室に足げく通うようになり、その包容力、炯眼と博識、雄弁にみせられていくウィル。
心理分析されるのは大嫌いなはずなのに、他者の視線から自分を守るようにかけていた眼鏡もハンニバルの診療室でははずしています。
知的なレベルがあまりに周囲とかけ離れている人物は、他人とのコミュニケーションをあきらめがち。そんな二人の男が自分と対等にわたりあえる人物と出会ったら、その対話は中毒症状を起こすほど魅力的なわけです。
ウィル役のヒュー・ダンシーが語っていました。
「演技上の魅力は、なんといっても、診療室でマッツと向かい合って会話することなんだ」
「第1話の出会いはまるでロマンチックコメディみたいで感心しなかったけど、第2話に診療室でマッツ(ハンニバル役のマッツ・ミケルセン)と会話しているときに、すごい手ごたえを感じたんだ」
マッツとヒューの、極上のケミストリーは、物語の進行につれて激しく、深く燃え上がっていきます。この関係がシリーズの核になるのが、このエピソードで少し見えてきます。
ハンニバルの対応は診療ではなくサポートグループだと批判しながらも、彼に対するウィルの依存度はウナギ上り。
「You're supposed to be my paddle. あなたは、僕の櫂になってくれるんでしょう」といい募り、10発も銃弾を撃ち込んで、ホッブスを過剰殺害した快感まで認めるようになります。
ハンニバルの誘惑
ウィルを甘やかせて安心させ、心を開かせて殺人の快感に気づかせる。それが、ハンニバルの誘惑の始まり。
HANNIBAL: Killing must feel good to God, too. He does it all the time, and are we
not created in his image?
殺しは神にとっても気持ちいものに違いない。神は殺戮を繰り返している。そして、人類は神の似姿として創造されたのではないかね。
WILL:Depends who you ask.
それは、人によると思いますが。
HANNIBAL: God's terrific. He dropped a church roof on thirty-four of his worshippers last Wednesday night in Texas, while they sang a hymn.
神はサイコーだ。水曜の晩にはテキサスで34人の信者が讃美歌を歌っている最中、教会の屋根をその頭の上に落としただろう。
WILL: Did God feel good about that?
それが神にとって気分がいいことだというのですか?
HANNIBAL: He felt powerful.
神は自分がパワフルだと感じたのだ。
これが、第2話の最終シーン。
ハンニバルの"神コンプレックス"
この番組の証明だと、ハンニバルを演じるマッツ・ミケルセンの瞳は金色に見える上にキャッチライトの光点が入っていて、超自然的な存在に見えるから、まるで神が殺戮の喜びを語っているようです。
そう、第2話でつながりを求める人々の上に君臨するのはハンニバルの根深い"神コンプレックス"。
ジャックやフレディという、関わってきたすべての人物を蜘蛛の巣のような見えない糸に巻き込んでコントロールしようとする。
無防備に心を開いてしまったウィルに対しては、人格を操作しようとするピグマリオン状態。
自分を神に例えたがったり、神のポジションをとろうとしていることが推測されて、怖いですねえ。
ブライアン・フラーの哲学的大風呂敷が拡がるアミューズ・ブーシュ。実に堪能できるコースでありました。