TV史上ベストエピソードの上位に常にランクインし続ける『水物』。マニアックなドラマなので放送時点で視聴率は稼げなかった。けれども、残酷で美しく、人間がもつ宿業を描き切る悲劇性、濃い~芝居、テンションの高さと、どこを取っても申し分ない!コアなファンが未だに増え続けるドラマの至高のエピソード、読み込んでみました。
※「普通こんな会話しないよね」なセリフやアートすぎなイメージや音楽も、回が進むほどに重要な意味を持ってくるので、詳しく掘ってます。
- ウィル・グレアムの両面性
- それぞれの別れ
- 記憶の宮殿
- 毒された者たち
- 今生の最後の晩餐
- 法を外れる人々
- ジャック対ハンニバルの戦闘
- 生きていたアビゲール
- 血の海、そして雨と涙
- べデリアの登場と初見時の思い
ウィル・グレアムの両面性
FBI行動分析課を率いるジャック・クロフォード宛にディナーの招待状をしたためるハンニバル。
前話でウィルの助言を聞き入れてジャックに正体を明かすことにしたハンニバルは、果たし状ともいうべき封書の表書きを、丁寧なカリグラフィで描いていきます。
ハンニバルの心療室。向かい合ってウィルとハンニバルが来し方を回想しています。
ウィルが座る「椅子の分子には、我々がこれまで交わしてきたあらゆる会話の振動が詰まっている」と語るハンニバル。真実を明かした後は、ボルティモアを立ち去る決意をしているのが分かります。
「矮小な苛立ちや致命的な開示、禍の告知も」と、過去への不満を漏らすウィル。それらこそが「 poetry of life人生という詩なのだ」と、過去を懐かしむようなハンニバル。これまで語り合ってきたことは「melody旋律」だと認めるウィル。
心理セラピーや犯罪の分析、心理操作というさまざまな事柄の手段として行われてきたはずの2人の会話。とはいえ、語られた言葉の数々はとても詩的なものでした。チェサピークの切り裂き魔を捜査するために周囲が右往左往している間も、ウィルとハンニバルは、詩的なシャボン玉のような、2人だけの夢幻の世界を漂っていたようで...。それが、よく分かる会話です。
「私も君もその椅子も、すべては炭素によるオーケストラなのだ」とハンニバルが続けると、「ジャックも」とウィルは付け加えます。
All our destinies flying and swimming in blood and emptiness.
我々全員の運命は、血と空虚の中で飛び交い泳ぎ回っている。
真実を明かすことが血塗られた不吉な未来にしかつながらないと、ハンニバルは心得ているのです。
FBIにあるジャックの執務室。ハンニバルとのディナーで逮捕の打ち合わせをするウィルとジャック。
「タルタルにしやすいように、あの人はあなたを台所で殺すつもりです」というウィルに、盗聴器携行とスワットチーム配備の予定を語るジャック。
今度はハンニバルに、「ジャックは武装してます。彼は強いし、訓練してる。ためらったら終わりです」とウィルは伝えます。
巧妙に2重スパイを演じているつもりなんですね。
ジャックもハンニバルもウィルが本当に自分の見方なのかを疑っています。
それぞれの部屋で「その時が来たら、なすべきことができるのか?」と、同じことを尋ねるハンニバルとジャック。2重スパイがバレバレなのです。
ハンニバルの部屋にいるウィルの右半面の顔と、ジャックのところにいる左半面の顔が重なって、「Oh, yes」と同じ回答をします。
ただ、ジャックに向かうウィルの顔は苛つきと怒りを表し、ハンニバルに向かう方は、かすかに切望を表しています。
善悪という義務に従おうとするウィルと、内なる情熱に従おうとするウィル。ウィルの真逆な両面が拮抗しているようです。
ウィルの幻想でしょうか?帰宅した彼を、第1シーズン第1話で射殺したギャレット・ジェイコブ・ホッブスの死体が待ち受けています。そして死に際の言葉、「see, see, see」を繰り返します。
ホッブス殺害で人殺しになったウィル。そんな自分の本質を「見て・理解して・受け入れろ」という言葉だと、アタシは理解しています。
ホッブスの言葉を聞かず、ハンニバルとの絆の象徴であるカラスの羽を持つ雄鹿を撃とうとウィルはライフルを構えます。それは、ハンニバルとの絆を断ち切るということ。本当に断ち切れるのでしょうか?
一体、彼はどちらに味方する気なのか?相変わらず、自分でも分かっていないのでしょう。
ところで、第1シーズン第1話のキーワード「見て・理解して・受け入れろ」。視聴率が低いので第2シーズンで終了の可能性もあったこのシリーズ。だからシーズンエンディングだけではなく、物語の1つのサイクルの終わりとして最初ののキーワードに回帰する、優れた脚本だと感嘆いたしました。
それぞれの別れ
末期の肺癌で入院するジャックの妻ベラに別れを告げに来たと思しいハンニバル。今シーズン第4話、尊厳を守るためにベラが試みた自殺をハンニバルは阻止しています。
「許すって深淵な意識的でもあり無意識てきでもある行為。私が選択できることではないの。自然に起きることなのよ」というベラの言葉から始まるこのシーン。ハンニバルは、彼女の尊厳を無視した非礼を別れの前に詫びにきたのでしょう。意外に信義に厚いハンニバルですが、許しは丁寧に拒絶されてしまいます。
「私は一度死んだのよ」
「あらゆる言葉に意味を与える読点を打ったということですね」
「あなたは読点を動かしてしまった。あなたは私の存在意義を変えてしまった..生きたくて生きてるわけではないの。ジャックを見捨てられないからこうしているの」
Love and death are the great hinges on which all human sympathies turn.
愛と死は、人間が持つあらゆる情愛を動かす偉大な蝶番です。
What we do for ourselves dies with us.
自分のための行為は、我々とともに死に絶えますが、
What we do for others, that's beyond us.
愛他的行為は我々を凌駕するのです。
またまた意外にも愛他的哲学を披露するハンニバルに、ベラは言います。
「あなたはジャックのために私を救ったでしょ。私が死んだら、私のために彼を救ってもらえるかしら?」
信義を貫くために見舞ったベラからジャックの命乞いをされる。こうなったらジャックを簡単に殺すこともできないでしょう。
ハンニバルはどう対応するのでしょう?
ウィルが偽装殺人を測ってFBIの保護下に入り、それも終わろうとし「サバイバルストーリーは売れるから、復活を楽しむわ」と嘯くゴシップ記者のフレディ・ラウンズの元にウィルは出向きました。
「その記事に自分やハンニバルのことは書いて構わないが、アビゲールのことだけは:遠慮してくれ...あの娘を安らかに眠らせてくれ」と、真剣に依むウィル。
その言葉から、ハンニバル逮捕にあたりウィルが死を覚悟していることを、フレディは察しました。
死んだ後もアビゲールの名誉だけは守りたい。ウィルがどれほど彼女を思っているかが伝わります。
記憶の宮殿
心療室のハンニバルとウィル。
ボルティモアから逃走するにあたり焼却しようと、ハンニバルは患者の診療記録をとしています。逃亡する犯罪者となる自分との関係で個人記録がFBIにさらされてしまうことに配慮しているのですね。ハンニバルは、真摯に患者の個人情報を守ろうとしている。ある意味、倫理観が非常に高い医師なのですね。
中2階から花びらのように降ってくる書類。中にはウィル自身の記録ノートもあります。感慨深げにノートを覗き、暖炉にくべるウィル。焼けていくページ。さまざまな思いに揺れた人生の一コマが跡形もなく消えようとしてる。
忙しく作業するハンニバルをウィルの視線が追い続けます。ハンニバルを逮捕する。ハンニバルを殺す必要があるかもしれない。ハンニバルがいない人生の虚しさに初めて気が付いて、ウィルはその一挙手一投足を目に焼き付けて一瞬一瞬を惜しんでいるように見えます。気づくのが遅すぎる男なんですねえ。
「これまでの自分は解体し...この人生を捨て去るけれども...この場所は自分の中に残り続ける」と語るハンニバル。
「In your memory palace?あなたの記憶の宮殿にですか?」質問するウィル。
記憶の宮殿というのは、ギリシア・ローマ時代から伝わる記憶術。想像内に架空の建物や市街を築き、そこに記憶すべきものを配置してイメージ化することで、よりヴィヴィッドに、大量で詳細な記憶を確立するテクニック。ハンニバルはウィルに答えます。
My palace is vast, even by medieval standards.
私の宮殿は、中世の基準に照らしても巨大だ。
The foyer is the Norman Chapel in Palermo.
広間はパレルモのノルマンニ教会堂。
Severe, beautiful and timeless, with a single reminder of mortality.
厳格で、たった一つの死を思い起こさせるシンボルを除けば時を超えた美しさがある。A skull, graven in the floor.
床に刻まれた骸骨を除けば...
ノルマンニ教会堂というのは、シチリアのパレルモにあるノルマンニ宮殿内のパラティナ礼拝堂のことです。9世紀にアラブの太守により建設され、12世紀にノルマンの王侯たちにより拡張された建築物と伝えられています。サラセン風のアーチで繋がれたノルマンスタイルの太い円柱が並び、ビザンチンのモザイクで飾られているという、様式の混合美が見事なハーモニーを奏でる特異な空間。時をかけてあちこちから集められた記憶の集積体に相応しい造りといえるでしょう。ただ、床のモザイクに骸骨が刻まれているというのは、全くの捏造。ハンニバルのグロ趣味に合わせているのですね。
壮麗な記憶の宮殿語りに対抗するように、ウィルは言い返します。なんか、ウィルって負けず嫌いなんです。
All I need is a stream.
僕に必要なのはただの小川です。
Put my head back, close my eyes, wade into the quiet of the stream.
頭を浸して、目をとじて、静かな流れに身を任せるだけでいい。
ハンニバルも自分の思いに浸っていきます。
If I'm ever apprehended,
まんがいち逮捕されたら
my memory palace will serve as more than a mnemonic system.
私の記憶の宮殿は記憶術以上のものになる。
I will live there.
私はそこで生きることになる。
「そこで幸せなんですか?」と、思わず尋ねるウィル。
「宮殿の部屋部屋は小綺麗で明るく輝いているとは限らない。我々の心と脳の円蓋には危険が待ち構えているし、精神という床は穴だらけだ」
美しく、同時に闇も秘めたハンニバルの記憶の宮殿。危険な未来を前にして、初めて胸を開いて語り合うかのような2人。なのですが、嗅覚に優れたハンニバルはウィルに赤毛のフレディの残り香を感知してしまいます。
フレディは生きていた。ウィルが自分を騙していたことに気づいたハンニバル。このシーンのマッツの表情が秀逸!これまでの26話彼のハンニバルを見てきた視聴者は、微細な表情筋の動きにさまざまな感情を読み取れるようになっています。一見無表情でも、裏切られたことに、ハンニバルが傷つき悲しんでいることが分かるんです。
ホンットに凄い、超微細表情。
とはいえ、ウィルもハンニバルを失う可能性に思い乱れているようです。
毒された者たち
アラナの夢。ベッドに横たわるアラナはタールのような黒い液体、闇の中に沈んでいきます。
「私は毒されてしまったわ」アラナはウィルに告白します。
信じて恋に落ち、ベッドをともにした相手はカニバル連続殺人鬼だった。騙されていた恨み、悔しさ。人喰いへの嫌悪で、ハンニバルが触れた場所のすべてが腐っていくような悪寒。それがあのタールのような液体の意味するところだったでしょうか。
「僕らは皆毒されてるよ...トラウマになる経験だった。でも、最悪な状況は終わったんだ」ウィルは無表情に答えます。
「あなたは罠をしかけて、ハンニバルを陥れたつもりでしょうが、ハンニバルがあなたを誘い込んでるとは考えないの?」
相変わらず精神不安定な彼を心配するアラナに対して、ウィルは硬い表情を崩しません。アラナの眼から涙がこぼれます。多分、部外者として惨劇を見るしかない立場に追い込まれた元友人、元恋人の悲哀と孤立感、そして憐みでしょう。
「僕には分からない」ウィルは何であれ、起こることを受け入れる覚悟なのです。
今生の最後の晩餐
ザクロと動物の肋骨が飾り付けられた食卓にハンニバルとウィルが座っています。ハーデースとペルセポネーの祝宴を思わせるような食卓。そんなエンディングをハンニバルとウィルが迎えられるのか?気になるところです。
※上の神話とドラマの関連性は、下記の「ザクロの図像学」で語っています。
ハンニバルは"imagoイマーゴ"のことを語り始めます。
It's the last stage of a transformation.
それは変身の最終段階であり、
It's also a term from the dead religion of psychoanalysis.
死に絶えた宗教的精神分析学の用語でもある。
An imago is an image of a loved one, buried in the unconscious, carried with us all our lives.
イマーゴとは、我々の無意識領域に埋められ、我々が一生持ち続ける愛する者のイメージなのだ。
1行目は昆虫学で使用される術語、成虫という意味のイマーゴです。2行目以降は、ユングによる術語のイマーゴ、基本的には父母の姿に基づき幼児期に形成される無意識的人物原型を語っているのでしょう。ただ、愛する者のイメージというところにハンニバルは力点を置いているので、かなりニュアンスが異なります。
むしろ、変身の最終段階を経たウィルがハンニバルが一生持ち続ける愛する者の原型的イメージなのだと言っているように聞こえます。とてつもない愛の告白です。
「理想像ですね。でも、僕らはどっちも理想からは程遠い」ウィルは懐疑的です。ただ、表情には混乱と迷いがある。ハンニバルを受け入れたい気持ちと拒絶したい気持ちが、また拮抗しているようです。
「ジャックが死ぬのが理想なのかね?」ハンニバルは問います。
「その必要があるんです。ジャックの運命は決まっている」ハンニバル逮捕の筋書に固執するウィル。
「2人で今夜逃げることもできる。犬に餌をやって、アラナに伝言を残して、彼女にもジャックにも2度と会うことなく。そうすれば、ほぼ礼にかなっている」愛の告白をして、裏切りを知りながらも共に生きる最後のチャンスを与えるハンニバル。紳士です。ロマンティック小説の主人公みたい。
「それじゃあ、これが最後の晩餐ですね」と、皮肉に笑うウィル。
「今生の。私は子羊の晩餐を用意した」続けるハンニバルの表情にはあきらめが。
「犠牲の子羊ですか?」キリスト教の贖罪の犠牲としての子羊をウィルは想像します。
「私は犠牲など欲していない」
「ジャックに教える必要があるんです。今もし、僕がジャックに総てを告白したら...」ウィルは揺れています。
「私なら許すよ。ジャックが許したら、君はそれを受け入れるのかね」
ここで、メランコリックにウィルを説得しているようだったハンニバルの表情が決然とします。彼はなにかを決意したのでしょう。
「ジャックは許したりしない。彼は正義を求めている。あなたの正体を。僕の変身を。真実を求めている」ウィルは、相変わらず対決のシナリオを語るだけ。
それを聞きながら、ハンニバルはかすかに皮肉な微笑を浮かべていきます。ウィルを裏切り者として見放したのですね。
「では真実に、それから、真実のあらゆる結果に」と、ワインを掲げたハンニバルの表情は完全に閉ざされています。多分、ここでハンニバルはウィルを敵と認識したのでしょう。
いつもながら、2人の会話には息づまるような緊迫感があります。そして、マッツの微細表情が露わにする細かな心理。極上なドラマ~~ですねえ。
法を外れる人々
ジャックから不確かな証拠に基づくハンニバル邸での逮捕予定の報告を受けた上司、ケード・プラーネルはその違法性を指摘。
「この捜査に関わる中で明確に殺人を犯したのはウィル・グレアムだけ」と、突き放します。
ウィルの証言を元に逮捕命令を出すなど、官僚としては自殺行為でしょう。ケードは「妻の看病で判断が狂っている」として、ジャックに強制休暇を言い渡します。
FBIのバッジと銃を返還するジャック。これで、スワットチームを引き連れての逮捕の夢は潰えました。
とはいえ、伏せるベラの傍らで新たな決意を固めるジャック。法規を外れてハンニバル逮捕の単独決行するのですね。
ケードの判断に抗議するアラナ。
「ジャックがすべきだった手続きをふんでいます。省ではハンニバルのパスポートを凍結し、捜査令状を申請しているところ」と、お役所仕事を続ける意志のケード。
「ハンニバルは既に物理的証拠を消しているはず。犯行時にしかつかまえられないわ。ジャックとウィルが最期の頼みなんです」アラナは、ケードよりはハンニバルを理解しています。
「ウィル・グレアムの殺人は正当防衛かしら?死体は損壊されて、頭も四肢も切断されたのよ。ある時点で正当防衛は終わったの。グレアムは止まらないわ」
ケードの見解、めちゃ正しいと思います。ウィルはもう一線を越えてしまった。ランドールの死体を料理してハンニバルと食べてますし、私もそう思います。
「ジャック・クロフォードは許可を与えて隠ぺいし続けたのよ」
2人の筋書にFBIが乗ってしまったら、裁判でハンニバルを有罪にするのも難しくなり、内部スキャンダルが明るみに出てしまうだけです。
「彼らは法を犯したの。私は彼らを訴追する予定よ。これから拘禁するわ」と、結論を出すケード。
でも、感情的なアラナに打ち明けるのはいかがなものかと。予定が狂いますよと、考える視聴者。
案の定、ウィルに逮捕令状が出ていると連絡するアラナ。
わざとアラナに逮捕予定を伝えてジャックとウィルを心理的に追い込み、FBIの法規から外れた捨て駒にして暴れさせ、ハンニバルに明確な犯罪を犯させようと考えていたのだとしたら、ケードはたいした遣り手ですかと...
アラナの連絡を受け、FBIのチームが自宅に向かってくるのを確認し逃亡するウィル。
そのウィルが電話した相手はハンニバル。
その言葉は「They know.奴らは感づいている」
第1シーズン第1話、FBIの追っ手が迫っていること知らせるために、ハンニバルがホッブスに電話をかけて伝えたのと、全く同じセリフ。ハンニバルは、興味本位で捜査をかき回すためにこの言葉を吐きました。
ウィルはハンニバルを逃したい。ここまで追い詰められてやっと、法という約束事を越えてハンニバルに味方する決意ができたのですね。
ただ、ハンニバルは既にウィルを裏切り者に区分しています。ウィルの思いは届くのでしょうか?
ジャック対ハンニバルの戦闘
ジャックがハンニバルのキッチンを訪問したところから、あの名高い格闘シーンが始まります。スタントの感想は、下記の「マッツ対ラリー TV史上最強の格闘シーン」で語らせていただいております。プロットの中で見直すと~~
「君の友情に礼を言いたい」と言うジャック。確かに友情は存在したのです。
「真の友情の美しさは、全き相互理解にある」と答えるハンニバル。友情の証に怪物としての自分の本性をジャックに見せるつもりなのですね。
ハンニバルの憎悪を察知しても、ジャックにはかすかな迷いがある。殺気を感知してからは、FBIの束縛から脱したジャックはハンニバルを殺しにかかってくる。ハンニバルはジャックの銃を落とすためにナイフを投げはしたけれども、2本目のナイフを手に取ることはなかなかしないし、やや防戦気味。ベラの「ジャックを救って」という言葉が重しになっているのかと、思いました。
戦う内に野獣の本能が剥き出しになっていく2人。長い間、ハンニバルを友として信頼してきたジャックの怒りは猛烈。自分より軽量なハンニバルをガンガン責めます。友情をここまで裏切られたら、やっぱり怒り爆発だよねと、ジャックに納得する視聴者。
生命に危険が及ぶほどに戦いが白熱したところで、漸くハンニバルは2本目のナイフを手にします。
それも振り払われて、首を絞められたところで狡猾パワーが覚醒、死んだふりのフェイントをかけてジャックの頸動脈に割れたガラスの破片を突き刺すハンニバル。
ジャックは血しぶきを上げて貯蔵室へと逃げ込み、追うハンニバルはその扉にタックル。もう、彼に後戻りは許されない。
男と男の信頼と友情が裏切られた時には、血みどろの肉弾戦が起きるしかない。男という生物の業の深さを、感じたシーンでした。
生きていたアビゲール
そこにやって来たのはアラナ。一体、何で来たのでしょう?第10話の会食の席では、ハンニバルとウィルの関係性の中にアラナの居場所がないことは、明らかでした。
このエピソードのウィルとの会話でも、ウィルは心を閉ざしているばかり。そんな彼女に何ができるというのでしょうか?少なくとも、何がどうなるのかこの目で見たい。せめて最後は部外者にされたくないということでしょうか?
争う音を聞きつけたアラナは警察に通報、血まみれでドアに飛びかかるハンニバルを見つけます。
「別れを告げずにすませたかった」ハンニバルは、彼なりにアラナを守ってはきたつもりなのですね。
「アタシには何も見えていなかった」とつぶやくアラナ。
「私は何も見せないよう努めてきた。見えないままで...立ち去り給え。君を呼ぶつもりはなかった。ここに留まるなら、君を殺さねばならない。見えないままでいなさい。勇気など必要ない」と、諭すハンニバル。
その言葉を聞きながら、アラナは怒りの形相を深めていきます。彼女にも、やっと自分の立ち位置が分かったのですね。ハンニバルの企みの中で、自分はただの偶発的な駒、殺すにも値しない不要な駒にすぎなかった。一度は恋人と信じた相手からこんな風に言われるなんて、アラナのように誇り高い女性には許しがたい侮辱でしょう。
激情に駆られて、ハンニバルに発砲するアラナ。でも、その銃弾はハンニバルの手で既に抜き取られていたのです。
アラナの殺意を知って、それまでの紳士的な態度から煩いハエを見るような忌々し気な表情に変わったハンニバルが迫ってきます。
2階の部屋に逃れて銃弾をみつけ、無暗に発砲するアラナ。その前には、ハンニバルに殺されたはずのアビゲールが。左耳を失ってうつろな表情をしたアビゲールは「ごめんなさい」と言いながら、アラナを窓から突き落とします。
驚愕の表情で落下していくアラナ、キラキラと降り注ぐ雨、窓ガラスの破片。そこに被る、音楽担当のブライアン・リーツェル作の透明感溢れる楽曲「Bloodfest」。
おぞましいはずの暴力シーンが、なんとも知れない美しさと悲しみを齎すのです。
この時思いました。『ハンニバル』は猟奇ホラーではなく、人間の情念の悲劇を描いている作品なのだと。
血の海、そして雨と涙
最後に登場したウィル。仰向けに地面に倒れたアラナに気づき、自分のジャケットを脱いで彼女にかけ緊急時初動対応部隊の出動を要請します。
「ジャックが中にいる」と聞いて、銃を構えてハンニバル邸に入っていくウィル。見つけたのは、床に流れ出す血と泣きながら震えるアビゲール。「どうしていいか分からなかったから、言われたようにしたの」と、訴えます。
殺人罪に問われたために、死んだふりをするために左耳の切除を受け入れ、ハンニバルに匿われ、彼とだけ過ごしてきたアビゲールは完全なマインドコントロール下にあるのでしょう。
アビゲールを殺したとハンニバルを責め続けてきたウィルは、動揺を隠せません。ハンニバルに対する憎悪の一番の理由を失ってしまったわけですから。ウィルは銃口を降ろしてしまいます。
自分の背後にハンニバルの気配を感じたウィルは「あなたは逃げたはずでしょう」と、悲し気に振り返ります。
「君なしで去ることは、私たちにはできない」と、アビゲールとウィルと3人で家族なのだということを匂わせるハンニバル。
ハンニバルを見つめるウィルの瞳が、不可解な渇望で輝きます。一番肝心なところ自分は騙されていた。だからハンニバルを裏切ることなったという恨み。とはいえ、彼が一番に望んでいたもの、自分とアビゲールとハンニバルの3人家族という夢を取り戻せる可能性。そんな思いもよぎったのでしょう。
近づいてくるウィルの頬をハンニバルの左手がやさしく愛撫します。ウィルの瞳に愛が灯る。でも、ハンニバルの右手にはナイフが握られ、ウィルの腹を抉ります。ウィルから吐息のような悲鳴が漏れる。
自分を傷つけるハンニバルにすがるウィル。しっかと抱きしめ、宥めるようにウィルの髪をなでるハンニバルのモノローグ。
Time did reverse. The teacup that I shattered did come together.
時間が逆転し、私が壊したティーカップが元に戻る。
The place was made for Abigail in your world.
君の世界にアビゲールのための場所がつくられていた。
Do you understand?
分かるかね。
勿論、ウィルは何を言われているか分からず、苦しそうに首を横に振ります。
That place was made for all of us, together.
3人で一緒に暮らせる場所を造ったのだ。
反応を見るためか、ハンニバルは抱擁を解いてウィルの顔を持ち上げます。
I wanted to surprise you. And you, you wanted to surprise me.
君を驚かせたかったが、君も私を驚かせようとしていた。
立っている力もなくなったウィルが床にずり落ち、傷口を抑えて震えています。
I let you know me. See me. I gave you a rare gift. But you didn't want it.
君に私(の本当の姿)を教えた。私を見せた。類まれな贈り物のつもりだったが、君はそんなものを望んでいなかった。
「類まれな贈り物」というところで、ハンニバルが涙ぐんでいるのが分かります。彼は後悔し、悲嘆に暮れています。誰も信じず、誰も愛さず、束の間の快楽の他には孤独理に暮らしてきた男ハンニバル。初めて理解し合える相手だと信じて胸襟を開き、真実という類まれな贈り物を与えた相手に、愛した相手に裏切られ続けていた。誇り高いハンニバルには受け入れられない事実でしょう。「逃げろ」という電話も、裏切りのという非礼を埋め合わせるものではない。だから、ハンニバルはウィルをナイフで罰するしかなかったのですね。
「Didn't I? 望んでなかったって!?」初めてウィルが逆らいます。気づいてはいなかったけれども、ウィルも望んでいた。だから、ランドールを惨殺して、ハンニバルと一緒に料理して食べるまでしたのですね。
You would deny me my life.
私の生命を取り上げようとさえしていた。
ハンニバルに責められて、ウィルは激しく否定します。
No. No. Not your life, no.
違う。あなたの生命なんて、とんでもない。
ハンニバルに逃げて欲しかったから電話した。それだけは理解して貰いたかったのでしょう。
My freedom then. You would take that from me. Confine me to a prison cell.
では、私の自由をだ。自由を取り上げ、牢獄の監房に閉じ込めようとした。
Do you believe you could change me, the way I've changed you?
私が君を変えたように、君も私を変えられると思ったのかね?
ハンニバルの詰問にウィルは、少し勝ち誇ったような恨みがましいような微笑みで答えます。
I already did. 僕はもう、あなたを変えしまいましたよ。
確かに変えてしまいました。ウィルに出会う前のハンニバルは、神のごとき傲慢で人を欺き、操り、屠ってカニバル冷血漢だった。今ウィルの前にいるハンニバルは、愛し裏切られたことに傷つき怒る唯の男に過ぎない。瀕死で喘ぐウィルが、ある意味ハンニバルという圧倒的な悪と優越性に打ち勝ったのです。
でも、完敗を認めるには、ハンニバルはあまりにも誇り高い。
Fate and circumstance have returned us to this moment when the teacup shatters.
運命と状況が、再びティーカップが壊れる瞬間に戻ってきた。
I forgive you, Will. Will you forgive me?
私は君を許すよ、ウィル。君は私(がこれからすることを)許してくれるだろうか?
「許してくれるだろうか?」というところでウィルは慌てて、「だめだ、やめてくれ」と叫びます。第1シーズン第4話でアビゲールがティーカップを割って以来、"壊れたティーカップ”の言葉とイメージが、たびたび出てきたこのドラマ。
だからハンニバルにとって、壊れたティーカップは様々な意味を持つけれども、アビゲールを象徴するものでもあるのです。ウィルは新たな凶行を予知したのですね。
ウィルの怖れどおり、ハンニバルはアビゲールの首を掻き切って殺してしまいます。ハンニバルは亡き妹ミーシャの面影をアビゲールに見出して、家族として迎え、世間から庇い通してきていた。そんな大事なアビゲールを何で殺してしまうのか?
ウィルの夢を奪いきって、彼を罰するためだったかもしれない。3人で家族になるというボルティモアでの夢を焼き尽くして、総てを清算するにはアビゲールを抹殺する必要があったのかもしれない。
「総て忘れなさい。頭を浸して、目をとじて、静かな流れに身を任せればいい」
飛び散るアビゲールの血しぶき。血みどろの床に倒れているウィルに、彼自身の言葉を慰めるように囁くハンニバル。この時点でこの言葉を引用する残酷。ハンニバルがウィルの裏切りに対して持つ憎悪の深さが伝わってきます。
アビゲールをなんとか救おうと、その首の動脈を抑えようともがくウィル。
自分が流す涙のような雨の中、倒れているアラナを無視して自邸を立ち去るハンニバル。
貯蔵庫で自分の頸動脈を抑えているジャックにかかってくるベラからの電話。
血の海に横たわるウィルは、自分とハンニバルの絆であるカラスの羽を持つ雄牛が息絶える幻覚を見ながら、意識を失っていきます。
残酷なシーンのはずが、音楽は美麗だし、ハンニバルとウィルのやり取りはとても親密で官能的。ジャックとの暴力的な闘いとは正反対の情念が炸裂する、ナイフという抱擁の世界。
これは、悲劇的な別離を描くラブシーン以外の何物でもないと信じる視聴者でした。
べデリアの登場と初見時の思い
あまりのことに呆然としてスクリーンの前にへたり込んでる視聴者。
ところが、ここで悲しい『Bloodfest』から音楽が番組のテーマ曲ともいうべき、典雅な『ゴルトベルク変奏曲』に変わり。バロック最後期のベネツィア派の巨匠ティポロの絵画にあるように突き抜けた青空にかかる雲と天上の光が差す光景が現れ、その中をジェット機が漂っていきます。
そのジェット機に乗っていたのは、ハンニバルとべデリア。シャンパンを所望したハンニバルと彼女が、緩やかな笑みを交わします。
何、ハンニバルはべデリアと逃避行。残された人はどうなったの的なクリフハンガーになるはずだったのですが…
初めてこのエピソードを見た時、血の海の物語のショックから立ち直れない視聴者のアタシは、先のことなど考えることができませんでした。
なんで、こんな悲劇が起こってしまったのか?お互いに、相手しか自分を理解して愛してくれる人物はいない。その相互愛は、ズッシリと伝わっていました。
だから、何があってもどうしようもなく惹かれ合う2人の男。憎しみを越えてウィルはハンニバルを選んだのに、何故、それが伝わらなかったのか?
どこで、何が掛け違ってしまったのか?
ぼーっとしながら、悩み続けておりました。
分からないから何度も繰り返し見て、字幕も頭に叩き込んで、音楽やイメージを掘っていったら、今までの読み込みのようにあまりにも必然な別離でした。
人間の愛憎って果てしない。それを描き切ったとてつもないエピソード。
そして、見事に閉じられたロマンスの輪。これが第2シリーズではなく、ドラマ自体のエンディングだとしても、自分は満足して何回も見続けるんだろうなと思い、その通り、DVDを抱えて何度も見ています。
勿論、第3シーズンも見ごたえタップリですが、『水物』は一生もののエピソードです。