エンタメ 千一夜物語

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追悼:ウラジミール・シクリャーロフの光と陰(動画付き)

from the older Mariinsky site

11月16日、マリインスキー・バレエの男性プリンシパルであるウラジミール・シクリャーロフが亡くなりました。39歳の若さでの急逝に気持ちが追いつかなくて1週間ほどボーっと暮らしておりました。なので、私なりの追討をここに記しておきたいと思います。

 

 

月光のように美しい人

シクリャーロフというと、少年のような美貌であることが一番最初にくる印象です。

東京文化会館の楽屋口に近い暗闇の中、スタッフの方と歩いてくるシクリャーロフを見かけたことがあります。照明がないので皆の顔が影のように沈んでいる中、シクリャーロフの貌だけが、何故か青白く発光しているように見えました。本当に美しい人は月のように、闇の中でも輝くものなだと、言葉を失って立ち竦む私。そのまま、彼は歩き去っていきました。
その晩のハイライトは、背が高く振付師としても活躍する才人のユーリ・スメカロフ。静かに立ち去ろうとしていたのに、出てくるフェロモンが半端ないので人が集まってしまいます。「スメカロフさんだ、スメカロフさんだ!」と、中年のオッサン迄もが乙女のようにはしゃいで周囲に大きな人垣ができ、私なども聞きたいことが一杯あったし、トコトコ吸い寄せられてしまいました。

テスタトロンとかフェロモンとかの出力とは異なる、美術品のような美しさがシクリャーロフにはあったのです。

 

ページ頭のプロフィールは、長い間マリインスキー劇場のアーティスト頁に掲載されていたもの。まさに美少年。さらに、その若者らしい瑞々しさが長く衰えを見せなかったのも奇跡的でした。だから、私はこのプロフ写真を飾りました。

 

若いシクリャーロフは美しい踊り手でもありました。2004年の『ラ・シルフィード』とか、『ジゼル』の『ペザント』の動画とか見ていただくと、彼が本当にしなやかでワガノワらしいノーブルかつアカデミックな動きに恵まれていたのだと、よく分かります。

 

信じられない夭折

アイドルのように人気があり、恵まれたキャリアと家庭を持ち、若く美しく快活そのものだった人だから、亡くなってしまったなんてまだ信じられません。

 

マリインスキー劇場の告別式には、沢山のファンが集まりました。

彼を惜しんで世界中のメディアが哀悼の意を表しています。
「one of the greatest of his generation/彼の世代の最も偉大な踊り手の一人」とかね。i生きてる時はgoodとかcharmingとかしか言わなかったのに。そういう美辞麗句は生きてる時に意ってやって欲しかったですね。

 

charmingで十分ですよ。とっても魅力的な王子様で、女性の踊り手さんには心づかいのあるパートナーだったですから。

そんな彼がいなくなってしまったので、マリインスキー・バレエは恐るべき人材枯渇に直面していますかと。だから年末年始は『くるみ割り人形』の公演ばかりなんでしょうね。若手も皆基本的に踊れる少人数演目だし、ワガノワ版もあるし、ミハイル・シュミアキンが美術を担当したさらに小規模な現代アート版もあるし。シクリャーロフが抜けてしまったスケジュールを調整して、ドル箱演目のパートナーをシャッフルするには丁度いい演目ですかと。

 

団員の方々も悲しんでます。愛される同僚で素敵なパートナーでしたから。長年パートナーだったヴィクトリア・テリョーシキナなんて、弔辞の途中で泣き崩れてしまったようです。
格別にファンでなかった私も、とても悲しいです。だって、愛されるために生まれてきたような優しい、お茶目な人だったから。そんな人が若くして亡くなるなんて、あまりにも不条理です。

ですから、私の目で見たシクリャーロフのダンサー人生を振り返って、追悼したいと思います。

 

とってもラッキーだった人

シクリャーロフは2003年のワガノワ・バレエ学校卒業生。同学年にはウクライナ紛争が始まったら退団してジョージアに行ってしまったプリンシパルのアリーナ・ソーモワがいます。

「真剣にキャリアのことを考えるようになったのは、入団してから」なんて言ってた青年なのに、出世街道を飛ばしまくりで2011年にプリンシパルになっています。如何にも王子様のキラキラ感があって様々な大技も卒なくこなす人ですから、当然。っていう風にならないのが劇場の世界。そういう要素があっても、マリインスキーでブレイクできなかった方は数知れないのです。

そのキャリアがブレイクした切っ掛けは、1年先輩のエフゲーニャ・オブラスツォーワだったかと…。大御所のニネル・クルガプキナに師事して、2005年にはモスクワ・バレエコンクールで金賞受賞、映画『Russian Doll』に女優として出演も果たして飛ぶ鳥を落とすような勢いだったエフゲーニャ。彼女のボーイフレンド&メインパートナーになったことが大きかったかと思います。

そんなことが重要なの?って、重要みたいですよ。エフゲーニャ曰く、「学校時代は良い結果を出せば認められるけど、団員になってからは誰にどう思われてるかの方が重要になるの」だそうです。

で、時の芸術監督代行はマハール・ワジーエフ(現在はボリショイの芸術監督)。ワジーエフ自身が現役時代は奥様で大スターのオリガ・チェンチコワのパートナーとして活躍してましたから、カップル推しはお気に入りのよう。だから、オレシア・ノヴィコワ&レオニード・サラファーノフに継ぐスターカップルとして、オブラスツォーワ&シクリャーロフの売り出しを図ってたって感じです。
2007年には『フローラの目覚め』や『ラ・カルナヴァル』なんていうセルゲイ・ヴィカーレフ版復刻上演のプレミアがオブラスツォーワ&シクリャーロフでありましたっけ。

お人形さんのように可愛らしいカップルですから、当然、人気沸騰が見込まれましょう。

 

でも、競争は激しかった

だからって、2人がすんなり頂点に昇りつめ~~。なんてことにはならないのです。

あの頃の男性プリンシパルは充実してました。往年の国際的大スターであるファルフ・ルジマートフやイーゴリ・ゼレンスキーがまだ健在で、絶対王子のアンドリアン・ファジェーエフ、芸術を追求しきるイーゴリ・コルプがいるなかで、超絶技量のサラファーノフが「King Of Ballet」として突出してました。才能あるスターがミシミシだったんですね(ダニーラ・コルスンツェフとエフゲニー・イワンチェンコは、あくまでもバレリーナ様のパートナー枠です)。
それぞれの世界観を確立しきったベテランの先輩方と違って、3年先輩なだけなのにバレエ界のキングと呼ばれているサラファーノフ。柔軟で強健なバネに恵まれた身体を持ち、ラインが美しいうえに、軽~く超絶ジャンプやバットゥリーをこなし、着地時間が短いので空中で舞っているよう。おまけに反時計回りのマルチ回転もスムーズな上にバレリーナさんみたいなアラベスクターン迄持っている。とにかくもう神がかってる人だから、同じ基準に立ったらダメなんだけど、一番仲良い先輩でしょ。僕もここまでやらなきゃってなりますよね。だから、サラファーノフが傍にいたことが励みにもなり、プレッシャーにもなっていたかと思います。

 

女性プリンシパル陣の方は、絶対女王のウリヤナ・ロパートキナ&国際スターのディアナ・ヴィシニョーワを擁してましたが、期待のスヴェトラーナ・ザハロワはボリショイに出てしまい、ダリア・パヴレンコやイルマ・ニオラーゼは衰えがきてて、新しいスターを求めておりました。で、それまで頭一つ抜け出てた感じのエカテリーナ・オスモルキナとノヴィコワは次々と妊娠してしまって...。だからって、エフゲーニアのチャンス到来とはならなかったんです。
ここでグ~ッと飛び出してきたのは、豊かな音楽性と揺るがぬ技術に白鳥の腕を持ったテリョーシキナと、バービー人形のようにスタイルよくて可愛らしくてハイパーな柔軟性を持つソーモワだったんです。マリインスキーのドル箱演目は『白鳥の湖』『海賊』『ラ・バヤデール』。小柄で足技巧者のエフゲーニアよりも、この2人はドル箱演目の主演適性が高かった。だから、どうしてもエフゲーニアは『眠れる森の美女』や『ドン・キホーテ』のグランドバレエの他は、『ラ・シルフィード』『ロミオとジュリエット』『シンデレラ』なんかの小さな演目用員になっていたんです。

テリョーシキナ&ソーモワは2008年にプリンシパルに昇進するんですけど、この時の空気感とかは2007年の『ボリショイ・バレエ&マリインスキー・バレエ合同ガラ公演』など見ていただくと、分かるかと思います。

 

別れ

2009年の1月にアンドリアンが怪我をして、ノヴィコワは産休。新プリンシパル2人にパートナーが必要となり、ソーモワ&サラファーノフ、テリョーシキナ&シクリャーロフが定着していきましたっけ。ソーモワとシクリャーロフは同級生でもあり、音取の感覚とか、逆ペアの方が見てて気持ち良いんですけど、ソーモワだとシクリャーロフの頭上にそそり立ってしまうので、この組み合わせに落ち着いたのかなと思います。

※ソーモワ、シクリャーロフとワシリー・トカチェンコ。和気藹々な『イワンと仔馬』練習風景

 

バラバラになりかけていたオブラスツォーワ&シクリャーロフ。2009年にクルガプキナが亡くなり、オブラスツォーワはカンパニー内に後ろ盾がいなくなってしまいました。クルガプキナの逝去は、師事していた多くのバレリーナの運命を変えましたっけ。

オブラスツォーワ&シクリャーロフは同年にエイフマン・バレエから移籍してきたユーリ・スメカロフの振付を受けてました。で、その年にモスクワ国際バレエ&振付コンクールに出場、シクリャーロフは金賞を受賞しました。
でも、もっと波及効果の高い成功を収めたのはオブラスツォーワ。スメカロフと振付部門で『別れ』を踊り、スメカロフが金賞受賞。
『別れ』は『暗殺者のタンゴ』に載せて、うらぶれた酒場でヤサグレた男女が出会い、つかの間孤独な魂が交差するみたいな、ハイパーにドラマティックな、私も大好きな作品です。2人の役者魂が見事作品に嵌る絶品で、いろんな機会にTVでも放映されてバレエ界に留まらない大ヒットとなりました。

元々、外部にゲスト出演が多く人気もあるのにプリンシパルに昇進できない状況に満足できなかったオブラスツォーワ。2011年頃にはシクリャーロフとのステディな関係も消滅し、国民的大スターになった勢いを得てスタニスラフスキーやモスクワ歌劇場のゲスト・ソリストになり、2012年にはボリショイに移籍して待望のプリンシパルとなりました。

 

『別れ』が導く別れと成功なんて、皮肉だなぁと思ったファンでした。

 

シクリャーロフの大ブレイク

さまざまな巡りあわせでテリョーシキナのメイン・パートナーに収まったシクリャーロフ。大抜擢ですけど、それなりに苦労があったと思います。
あの頃のテリョーシキナはバランスが盤石で、ピルエット4回転は簡単にいくし、リフトなんかも自力で男性の肩迄飛び上がってしまいます。その上、音楽が流れるままに踊るので、もたもたしてると置いてかれてしまいます。パートナリングが楽と言えば楽ですし、大変と言えば大変なお相手なんですね。例えば自分で決めた回転数と止まる方向をパートナーが間違えると自力で所定の角度に戻ってきちゃいますし、『白鳥の湖』の第3幕でロットバルトの上に飛び上がってズンと肩の上に着地して、自力でロットバルトを祓除したように見えちゃったり、パートナーの面子ガタガタなんてこともありました。とにかく技術力が高いので見劣りしない踊りを見せるのもキモですし。

だから、シクリャーロフはとにかく頑張ってましたね。2011年にオブラスツォーワと踊った『ドン・キホーテ』のグランパなどみますと、サラファーノフが魅せる大技はなんでも取り入れて、無理やりやってるように見えます。
そんな風に無理やり頑張ってると芝居が疎かになりましょう。だから、運動会を見てるみたいだなんて批判もありましたっけ。
でも、『ロメオとジュリエット』だけは最初からメチャ嵌ってました。2007年にオブラスツォーワとやったものなど見ますと、2人がお互いを大好きで恋に突っ走る感じが痛い程伝わってきます。まるでロメオが生きてそこにいるかのようで、涙を誘われたことが何度もあります。

※ヴィシニョーワとの公式撮影版『ロメオとジュリエット』。踊り、語るシクリャーロフ。


シクリャーロフ自体、ロメオ役が自分としても合ってると感じていたようです。若者特有の視野狭窄ゆえにとてつもなく、愚かしいほどに純粋に恋する魂に共感できるのでしょうね。

 

そんな彼が殻を破ったのは、プリンシパルに昇進した2011年末の『ラ・バヤデール』。私自身、見られたことが一生の宝だと思っているテリョーシキナのニキヤとノヴィコワのガムザッティが激突して燃え上がった神作品(残念ながら映像は流出してません)。シクリャーロフもメチャ気合が入って、付け髭で甘い容貌を隠し、ガムザッティとの力関係が明確に分かる凛々しいけれどヘタレなソロルを好演してました。影の王国のニキヤとのアダジオの最後、ニキヤを追って幕に入るところで見せた「ごめんなさい降参です」みたいなカンブレが素晴らしかったです。

それ以降は芝居も安定して、実に見事なパートナーになりましたね。
2014年のダンス・オープン国際バレエ祭では「Mr. Expressivity」なる賞を戴いてました。「ミスター表情豊か」ってとこでしょうか。

パートナーとしても優しさは健在。バレリーナさんを丁寧に回転させ、大切にリフトしてその後も丁寧でソフトに着地させる心づかい。本当に愛されるパートナーでした。

ソーモワの『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』にしろ、テリョーシキナの『ラ・バヤデール』にしろ、ヴィシニョーワの『ロメオとジュリエット』『シンデレラ』にしろ、2010年代前半のマリインスキー・バレエ公式撮影演目の男性主役はシクリャーロフというくらい、安定したスタープリンシパルでした。

 

幸福な家庭の夫であり父である人

オブラスツォーワとの別れの後、シクリャーロフはマリア・シリンキナとお付き合い、2012年に結婚。シクリャーロフは丸顔の可愛い女性が好みなんだななんて思ってました。とはいえ、年上でスターとしても格上、野心満々だったオブラスツォーワとは違って、当時のシリンキナは若いコリフェでシクリャーロフを頼り切ってる感じで、彼女のパフォーマンスの撮影動画なんかも見た方が良いかどうか、シクリャーロフが決めてるなんてこともありました。そこがまた良かったんでしょうね。

2人がお付き合いを始めてから、シリンキナのコーチング時間が他の団員さんの2倍与えられてるってクレームも聞きましたっけ。過去のオブラスツォーワとのように、サラファーノフ&ノヴィコワのように、ウラジーミル・ワシーリエフ&エカテリーナ・マクシーモワのように鴛鴦スターを目指してるのかなって思いました。念願叶って、2011年にシリンキナは第2ソリストに昇進、シクリャーロフの相手役として『ロメオとジュリエット』や『眠れる森の美女』の主役もいただきました。とはいえ、第1ソリストにはトントンと昇進せず、シクリャーロフのメイン・パートナーにはなれずにいました。

2016年3月にはテリョーシキナとシクリャーロフを主演のスメカロフ作品『青銅の騎士』なんてのもプレミアしましたが、シリンキナでも踊れるような役でも彼女に主演が回ることはなかったんですね。

そういう状況に焦れたのか、新しい経験を求めたかったのか、2012年からソリストになったキム・キミンの猛追から逃れたかったのか、2016~2017シーズンにシクリャーロフとシリンキナはマリインスキーから休養を取り、バイエルン国立バレエで踊り始めました。シリンキナも『ラ・バヤデール』のニキヤ他、様々な主役の経験を積み、翌年にはマリインスキーに戻ってきました。同年、シクリャーロフは英国ロイヤル・バレエにゲスト出演する栄誉も受けました。順風満帆の国際スターへと思われたのですが…

最大の誤算は、2015年にプリンシパルに昇進していたキム・キミンの急成長でした。元々、とてつもない技術力で様々な西洋のバレエ団にも沢山ゲスト出演していたキムですが、そこに表現力も加わり、女性陣のスター・プリンシパルであるテリョーシキナのメイン・パートナーのポジションを、サクサクと確立してしまったのですね。

Mezzoの撮影ですと、英国生まれのザンダー・パリッシュがテリョーシキナのメイン・パートナーみたいに見えましたが、本命はキム。この時点ではパートナリングにまだまだ弱点がありましたが、マリインスキー最高峰の技術力を誇る2人の舞台は壮観でした。

 

テリョーシキナのメイン・パートナーからは外れたようになり、シリンキナは昇進せず、様々なパートナーと組んで、シクリャーロフはちょっと漂流状態だったのを憶えています。

 

とはいえ、ご夫婦仲は抜群で2015年にはご長男が生まれ、2019年にはシリンキナが外部の経験を積んだことで第1ソリストに昇格、2021年にはご長女も生まれ、幸せそうな家族写真ががシクリャーロフのインスタグラムには溢れてました。
仲良し一家だねえ、幸福を絵に描いたような人生だねえなんて、ボンヤリ思っておりました。

 

 

シクリャーロフの試行錯誤

スイートなルックスと雰囲気でアイドル人気も高かったシクリャーロフ。とはいえ、王子様や恋人役だけでは行き詰まる、物足りなくなるのがベテランというもの。キャラクター性の強いお役へも挑戦してました。

まずは、2013年デビューの『淑女とならず者』。ウラジミール・マヤコフスキーの戯曲にショスタコーヴィチが作曲、サンクトペテルブルクの解放記念日には必ず上演される佳作です。

このシクリャーロフは全然ダメでした。この作品の原作は、無知無学なならず者が識字学校の先生に恋をするのだけれども、荒くれた男だから先生に拒否されて傷つき、これまで生きて来た犯罪世界でのボスに殺されてしまう。バレエでは教養高いゆえに孤独な淑女と心通わせたところで殺されてしまう。無学で犯罪の道しか選べなかった男の悲劇なんですね。

大大大好きなイリヤ・クズネツォフの代表作なので、私も研究したんです。イリヤが演じると、ならず者の危険な感じとか彼が根底に抱えている怒りや悲しみが伝わってきて、いつも大泣きしたものです。そこまで表現できなければ駄目な作品。この頃のシクリャーロフには、社会的悲劇を俯瞰できる経験がなかったのかと思いました

 

それから、2020年の公式映像が残っている『若者と死』。

※『若者と死』は1:40くらいから。

美しいけど、美しいが故に高評価は難しいなぁ。これはジャン・コクトーが入魂で台本を書き、バッハの『パッサカリアとフーガハ短調』にローラン・プティが振付して1946年にプレミアされた傑作です。初演のジャン・バビレをコクトーが指導するドキュメンタリーを日仏会館まで見に行ったことを憶えています。

1946年てことがとても重要です。ナチスの占領下からパリとフランスが解放されて、2年しかたっていない。バビレも大戦中はレジスタンスとして戦ったそうです。

新しい占領者である米軍も暴力的でなかなか苦しい時代。当時の思潮だったカミュの『異邦人』に見られるような不条理な虚無感、サルトルの『嘔吐』にあるような実存主義的絶望というものが時代背景にあります。絶望した人間の断末魔の痙攣が、この作品には基調としてあるのです。バビレの踊りは痙攣そのものでした。1975年に踊ったミハイル・バリシニコフもこの、破れかぶれな焦燥と苦悩を見事に伝えてくれました。

美しいアラベスクやアサンブレバチュは、その動きそのものが希望であり光です。希望と光をバレエ的な動きから奪って痙攣へと変える力技がないと、この作品の本当の怖さは伝わりません。破れかぶれな心理状態が一挙手一投足に反映されないといけない。死を演じるエカテリーナ・コンダウーロワが名女優なので、あらゆる挙動に禍々しさと嘲りが反映されているので、入魂で踊らないと敵いません

綺麗に舞い納めてしまったシクリャーロフが、実に残念です。

 

そして、昨シーズン末にプレミアとなったワシリーエフ振付の『アニュータ』。この作品では、シクリャーロフはモデスト・アレクセーエヴィッチを演じ、コミカルで可愛くて、難しい振付を難なくこなしてます。
でもね、それじゃダメなんですよ。モデストは、吝嗇だから妻の実家をないがしろにするし、金銭欲と出世欲から、妻を社交界の大物たちに次々と提供するような男なんです。TVのコンクール番組『グランド・バレエ』で、ワガノワの後輩、ニキータ・クセノフォントフがこの役を踊り、モデストの尊大にして卑屈、強欲な性情を表現しきる怪演でマリインスキー・バレエの元芸術監督オレグ・ヴィノグラードフにブラボーと言わせてしまったことが記憶に新しいです。

 

とはいえ、『バレエ101』のようにキャラの寝てる人がやったら退屈なだけの演目をシクリャーロフがやると、絶妙な間と表情で、美しいうえにコミカルな逸品になってしまうのです。

なんで、こうなってしまうのか?『別れ』の男やならず者や『若者』やモデストが何故駄目なのか?ずっと考えておりました。
そう、彼らは自分に内在する闇に圧し拉がれた男達でありました。
言葉を持たない表現芸術であるバレエは、演劇に比べて人間性の誤魔化しが効かない。
言い方を変えれば、その人の人間性、魂の在りようがあからさまになるパフォーミングアートだと思います。

例えば、シクリャーロフの演じる男達が女性を抱きしめる仕草は、女性を所有するというよりは、幼子が母親に追い縋るように見えましたっけ。そういう人だったんだと、幼く繊細な人、寂しがり屋の甘えん坊だたんだと今になって思い至りました。

やさしく無垢な魂だからスターになり、その性質と軽やかなユーモア故に周囲やファンから愛されたシクリャーロフは、自分に内在する闇や男性的欲望とチャネリングすることができなかった。それらを客観視して表現として出力することができなかったのだと、今では考えています。

 

シクリャーロフはどこまでも光そのものな、やさしい王子だったのだと思います。
それは、これらの役とは別次元で、とても貴重なことなのです。

 

シクリャーロフの死について

シクリャーロフの逝去に関しては、「11月16日未明に5階にあったアパルトマンから転落して亡くなった。背中の怪我のため、複雑な脊髄の手術が予定されており、痛み止めを服用していた」と、伝えられています。

建物の5階から転落って何?ってなりましょう。 
イリーナ・バラノフスカヤというダンサーの方が、「バルコニーに煙草を吸いに出て転落した」と伝えているそうです。バラノフスカヤさんて、どなたなんでしょう?ロシアのマンションのバルコニーは狭くて柵が低いですが、大人が転落するほどとも思えません。

だから、様々な憶測が飛び交ってますね。

 

「シリンキナと一緒に子育てはしていたけれども、一緒に住んではいなかった」とか、「別れてから、精神的に不安定で何かを思い煩っていた」とか。

バレエダンサーのご夫婦は、別居結婚がけっこうあります。例えばミハイル・ロブーヒンとヤナ・セリーナのご夫婦はボリショイのプリンシパルとマリインスキー・バレエのコーチ兼ソリストですから、シーズン中はモスクワとサンクトペテルブルクに離れ離れです。

でも、甘えん坊のシクリャーロフが独り暮らしなんて、本当だとしたら、とても寂しかったと思います。とても仲の良いご夫婦だったし、別居にはとても大きな理由があると思います。
シリンキナのインスタもMaria Shklyarovaのままですし、9月のインスタにも家族写真をアップしてましたし、仲違いしているのではないと思います

 

総ては噂と憶測の範疇ですが、シクリャーロフが人生の重大な岐路にいたのは確か

過激なムーヴメントを要求される男性のプリンシパルダンサーは30代の後半になると、めっきり衰えがきます。
2020年に『グランド・バレエ』で競うマリア・ホーレワの助っ人パートナーとしてゲスト出演してましたが、仔馬のように飛び跳ねる若い青年達の間で、シクリャーロフは重苦しく見えてしまいました。
2012年にアンドレイ・エルマコフの助っ人パートナーとして参加した最盛期のテリョーシキナがあまりにも素晴らしく、選外なのに特別賞が贈られ、名声を一段と高めたたのとは大きな違いです。

シクリャーロフは衰えを強く感じていたでしょう。今にして思うと、出演させるべきではなかった。出演させるなら、10年前にして欲しかった。これはファテーエフの失敗の一つと考えてしまいます。

 

衰えを感じると、サクッと転身する男性ダンサーは多いです。ファジェーエフは2011年、34歳でヤコブソンの芸術監督に転身していますし、クズネツォフは2014年に引退、自ら創設したバレエ学校の校長となりました。サラファーノフは今年からマリインスキーのバレエ・マスターとなっています。
彼らはやりたいことはやり切ったと割り切って前に進める、決然たる人間性の持ち主と言えるでしょう。

 

シクリャーロフは踊り手をやめた後の身の振り方が分からないと言っていたとも伝えられています。だからこそ、モデストのようなドゥミ・キャラクターやスメカロフのやウラジミール・ヴァルナヴァのコンテンポラリーに挑戦し続けていたのでしょう。

舞台の上で輝き愛されてきた幸福の王子には、教師やコーチングなど考えられないし、政治的駆け引きが重要な校長職や芸術監督など、もっと考えられないことだったのでしょう。

 

背中の怪我はどれほどのものだったのでしょう。シーズン明けの稼ぎ時、10月の訪中公演に参加しなかったことを考えると、慢性的な痛みとなっていたとも思えます。
とはいえ、本体が中国公演をしている間もノヴィコワとの『ドン・キホーテ』、コンダウーロワとの『シェヘラザード』に出演しています。
21日、クレムリンでのガラで長久メイさんと踊った『ジゼル』は動画が残っていますが、どこか疲れているように見えます。

本来であれば動けないような慢性的な痛みがあっても、薬で抑えて踊るってプロにはあり得ることです。それでいつしか薬物中毒になっていたなんて、珍しいことではありません。プレッシャーを撥ね退けるために薬物に走る方もいます。

勿論、シクリャーロフが薬物中毒だと言っているのではありません。男性ダンサーが置かれている、苛烈な状況を理解して欲しくて挙げた例にすぎません。 
薬物中毒は、激烈な競争の中にいる踊り手たちが、踊り続けようとすると起こり得る悲劇なのです。それくらい、男性ダンサーには成功と同じだけの自己犠牲が起こりうると言いたいのです。

 

シクリャーロフはウクライナ侵攻に批判的でしたが、これにより何らかの陰謀に巻き込まれたという憶測は、お門違いだと思います。
意見表明をしたのは2022年のことで、彼はその後も普通に活躍してました。元より好戦的でも策略家でもない、平和を愛する人の意見に過ぎません。

この話題を何やら言いたげに記事に添えるメディアは信用がなりません。

 

じゃあ、誰の言葉なら信じるのかと聞かれれば、「実直なコルスンツェフの弔辞を信じます」と答えます。

マリインスキー劇場での告別式の後、コルスンツェフは語ってました。

私が傍にいて君をサポートすべきだった。でも、ベストは尽くしたと信じたい。これは当面の問題で、君の創造的な生活は続くと思っていたんだ。なすべきことを成し遂げられず、必要とされた時にそこにいなかったことが申し訳ない

コルスンツェフは正直な人ですねえ。この言葉から、サポートしてくれる人が傍にいない状態で、シクリャーロフが孤独に悩んでいたことが察せられます。

ギリギリまで、痛みを隠し続けていたのかもしれません。

マリインスキー・バレエは1日に数公演を行う過密スケジュールのカンパニーですから、リハーサルなどスケジュールが重ならないと同僚と顔を合わせることもない。自分の昇進も後から人伝えに知ったなんてことも、ざらにあるようです。

色々と間が悪く、不運が重なった事故とした考えられません。

 

舞台の上では光と希望そのものだった人が、若くして突然亡くなってしまう。光が強ければ陰もより濃くなる。人生はそういうものなのでしょうね。

 

シクリャーロフに捧げたい言葉は『ハムレット』のホレイショの永訣の辞です。

Good night, sweet prince
And flights of angels sing thee to thy rest
おやすみなさい、やさしい王子よ 
空を舞う天使たちの歌が眠るあなたを包み込みますよう

 

R.I.P.