製作者のブライアン・フラーが、撮影開始前は犯罪捜査物的な台本を6話分ほど用意していたけれども、第1話収録後マッツ・ミケルセンとヒュー・ダンシーの芝居に感銘を受けて撮影を2週間中断、2人に合わせて全部書き換えたと言ってました。
ちゅうことは、『ハンニバル』がどんどん情念の物語になっていったのは、マッツとヒューのエレクトリックなケミストリーあってこそ!そして、ハンニバルの内面に入っていく『ソルベ』、読むことが多すぎです~~~~
※「普通こんな会話しないよね」なセリフやアートすぎなイメージや音楽も、回が進むほどに重要な意味を持ってくるので、詳しく掘ってます。
- 第1の殺人は『シャイニング』へのオマージュ
- チェサピークの切り裂き魔に寄せるウィルの複雑な思い
- 社交界のスター、ハンニバル
- ハンニ追っかけ、フランクリン
- 女性版ハンニバル?べデリア登場
- アラナ・ブルームとハンニバル の友情?
- 第2の殺人は、差別主義者へのお仕置?
- 孤独は鈍い痛み
- ジャック・クロフォードの孤独と痛み
- ウィルの鈍い痛みが求めるもの
第1の殺人は『シャイニング』へのオマージュ
ホテルのバスルームで、腎臓を切除され胸部を切り裂かれた死体が発見され、チェサピークの切り裂き魔の犯行が疑われます。実はこの事件、殺人ではなかった。臓器販売する救命士が摘出手術を試みたうえに、呼吸停止した患者に開胸心マッサージを行った故殺だったということになる第1の殺人。これは、プロット展開上のツールのすぎないので、内容は掘りません。
ですが、カバーとしてアップしたこのシーン、
スティーヴン・キングの原作をスタンリー・キューブリックが映画化した記念碑的ホラー『シャイニング』のシーンにクリソツ!
ブライアン・フラーは本当に『シャイニング』マニアですねえ~~。と、ヲタ心をくすぐられるアタシでした。
チェサピークの切り裂き魔に寄せるウィルの複雑な思い
事件の想像再現の際にもカラスの羽に覆われた雄鹿を見るようになっているウィルですが、FBIの講義ではこう語ります。
The Chesapeake Ripper murders in Sounders of three.
チェサピークの切り裂き魔は3匹ずつ屠殺する(sounderは豚を数える単位)。
That’s how he sees his victims. Not as people, not as prey. Pigs.
奴は被害者を、人間でも獲物でもなく、豚だと思っているのだ。
無礼な豚は喰っちまう。ハンニバルのカニバル哲学を見事に言い表した表現です。
切り裂き魔は「聖書に切り取った舌をしおり代わりに差し込んで教会の信徒席に被害者を放置する」ような皮肉で芝居がかった手口の持ち主。対して、外科技術はあるけれども凝った演出のない第1の殺人の犯人は切り裂き魔ではないと見抜いたうえ、酷く残酷な意見を述べます。
I see him as one of those pitiful things sometimes born in hospitals.
僕には切り裂き魔が、ときどき病院で生まれる哀れな生き物に思える。
They feed it, keep it warm, yet they don’t put it on the machines. They let it die.
そいつに栄養を与え、温めはするけど機械にはつながず、見殺しにするんだ。
But he doesn’t die. He looks normal...
でも、奴は死なない。奴は正常に見える…
切り裂き魔は、本来生き残るべきではなかった奇形の未熟児ということでしょうか?だから、切り裂き魔には人としての何かが欠けているという言いたいのでしょうか?
かと思うと、
The Chesapeake Ripper wants to perform. Every brutal choice has elegance, grace.
切り裂き魔はパフォーマーなんだ。あらゆる残忍な選択にエレガンスと美がある。
なんて、称賛するような言動を示したり。
ウィルが切り裂き魔に寄せる思いは、千々に乱れているようです。
そして、実際の切り裂き魔であるハンニバルはというと…
社交界のスター、ハンニバル
タキシードをエレガントに着こなして、チャリティコンサートに出席したハンニバルは、美しいソプラノが歌うヘンデルの『エジプトのジュリアス・シーザー』のクレオパトラのアリアに涙して、誰よりも早くスタンディングオベーション。
このアリアは、弟であり夫のプトレマイオスを倒してエジプト女王の座を得ようとローマからやってきたカエサルに近づいたクレオパトラがカエサルを心から愛するようになった。で、戦いに敗れて投獄されたカエサルの死を信じこみ、我が身の不運を嘆き、亡霊となってもプトレマイオスに復讐を誓うというもの。
この激情的な悲嘆と呪いという複雑な女心のエネルギーに共振して涙ぐんでしまうって、とてつもなくロマンチックな感受性。
ハンニバルの問題は、ウィルが指摘するような欠落ではなく、過剰にあると思ったアタシです。美しいものや人物、音楽への渇望と人間離れして強大な自負心と復讐欲。それがハンニバルなのだと。
こういう過剰な人物って魅力的です。だから、ボルティモアの上流社会はハンニバル・ファンがワンサカいて、ハンニバル邸恒例のディナーパーティーに招いてほしいとねだります。
ハンニ追っかけ、フランクリン
第1話の鼻かみ事件でハンニバルをオエップさせた、35歳の童貞男みたいなフランクリン(『ファンタスティック・ビースト』のダン・フォグラー)がハンニバルの追っかけだということも判明。
オペラを鑑賞するハンニバルを近くの席からじっとみつめていたり、同じチーズ店に通ったり、ほぼストーカー状態。自分としては親友だと思っているトバイアスに親友とみとめられていないことを嘆き、「あなたも(ハンニバル)に拒絶されてるような気がする。お友達になりたい。(患者として)お金を払わないと会えないのは辛い」なんて言い張ります。
ハンニバルはフランクリンに辟易しているようですが、フランクリンのお熱は止まりません。ハンニバルとマイケル・ジャクソンの偉大さが比較の対象になって、こんなことを言い出します。
I feel if I had been his friend, I could have saved him from himself.
もし(マイコーと)友達だったら、彼を彼自身から救えたかもしれない。
無意識ではありますが、ハンニバルにも被る、恋する女の直感みたいな、ハッとする発言。
幸福な人生を送るには、ハンニバルはハンニバル自身から救われる必要があるのは確か。それがフランクリンに可能なのかは別として、深いところをついています。
このシーンのハンニバルのお衣装も素敵!ベストなし縞の濃紺スーツに深紫のシルクのシャツと同じカラースキームのタイ。マイコーと比較しても引けを取らないというか…
女性版ハンニバル?べデリア登場
じゃあ、どんなんだったらハンニバルに追っかけてもらえるの?てえことになるんですが、ご寵愛のウィル以外だと~~
今回初登場のべデリア・デュ・モーリエみたいな人です。演じているのは、一世風靡した『X-ファイル』のスカリーこと、ジリアン・アンダーソン。プラチナブロンドの色っぽい年増になったジリアン、ミステリアスなクールビューティですねえ。眼福~~
べデリアは引退した精神科医ですが、ハンニバルは押しかけ患者として居座ってます。
女性版ハンニバルともいうべき怜悧なべデリアは、
Naturally, I respect its meticulous construction, but you are wearing a very well tailored person suit...it’s less of a person suit and more of a human veil.
精巧なのは認めるけれど、あなたは仕立ての良い"人型のスーツ”というよりは"人間の皮"をかぶっているわね。
と、ハンニバルが紳士の仮面の下に隠している本性を指摘します。
さらに、「あなたは複雑な、孤独な人ね。私の患者で同僚だけれど、友人ではないわ」とも。付きまとう患者と拒絶する精神科医、ハンニバルとフランクリン、べデリアとハンニバルの関係性は、一見パラレルを描いています。
とはいえ
突き放しながらも心療後にはワインを奨めるべデリア。ハンニバルを牽制しながら、付き合いを楽しんでいる様子。
赤でも白でもないピンク(ロゼ)を所望するハンニバル。魅力的な男女の微妙な駆け引きが展開します。
アラナ・ブルームとハンニバル の友情?
べデリアの炯眼だと、ハンニバルは人間の皮を被っているから本当の意味で友人を持てない孤独な男ということになるのですが、アラナにはそれが見えていない。
今回もハンニバルの第1の友人として、胸開き・肩出し露出度強のラップワンピで、自分専用の特別自家醸造ビールを賞味しながら人肉料理のお手伝いして、いい感じに~~
ウィルやジャックの様子をアラナの視点から探っているうちにミリアム・ラスの話題になってくると、
「(アラナが指導していた)博士号試験の学生たちは私と君が恋愛関係にあると思ってたようだが、何故そうならなかったんだろう」といきなり、誤魔化すように尋ねるハンニバルに
「だって、あなたは誰かと関係を持ってたでしょう」と切り返し、
「あなたとウィルは、口説き文句や恋愛話で問題を誤魔化す共通の性癖があるわ」と、付け加えます。
人間の皮を被ったハンニバルは、なかなかの遊び人の模様ですが…
第1話でジャックに受付嬢がいないことを指摘されて、受付嬢の駆け落ち話を始めたことも思い出し、人間の皮に盲目な以外はハンニバルの誤魔化し上手を指摘するアラナの観察の正しさを再確認しました。
第2の殺人は、差別主義者へのお仕置?
べデリアのブロックでピンクに拘ったのはなぜかというと、ナチスのピンクトライアングルとか現在のピンクキャピタリズムとか、歴史的にゲイ文化と結びつくことが多いということと、マッツ・ミケルセンが「ハンニバルは間違いなくゲイだ(番組のコンセプトとしてはパンセクシュアルですが)」と発言しているところにあります。
この文脈を考えると、今回のエピソードの第2の殺人、ディナーのネタ仕込みのためにハンニバルが犯した殺人の被害者である保険の医療調査員コールドウェル。彼との、本来の台本にはない会話に大きな意味が出てくるのですね。
コールドウェルは「ほかに感染してるものがあったら申告するように。感染は病気とは限らない。今報告しないで、私が発見したら保険に影響大だ」なんて、言います。
この発言だけで殺されてしまうのは何故?と、考えてみました。
ポイントは「感染は病気とは限らない」という言葉。コロナ禍の今では皆が熟知している概念ですが、番組放送の2013年当時このコンセプトが大きく示唆するものは、HIVの感染とAIDSの発症でしょう。
健康診断の質問に「男性とセックスした」という項目があって、ハンニバルがチェックをいれたとします。それを短絡的にHIVと結びつけた嫌味をコールドウェルが言っていたのだとしたら、それは大変な侮辱であり、マイノリティ差別です。
だとしたら、ハンニバルのコールドウェルに対するお怒りも納得できます。
かつまた、ブライアン・フラーがゲイであり、エイズに対する恐怖と偏見が猛威を振るった80年代に少年期を過ごしたことを考えると、この付加されたエピソードに、根深いリアリティを感じてしまいます。
孤独は鈍い痛み
心療が進んで、軽いボディタッチを始めたフランクリンに腹をたてる代わりに、ハンニバルは憂鬱そうに質問します。「トバイアスに性的欲望を抱いているのか?」と。
フランクリンは「大学時代に経験はあるけど、自分のブランドじゃない」と否定します。男性を欲望するのが好みじゃないのか?トバイアスが好みじゃないのか?微妙な発言ですが、意思表示するところでフランクリンがハンニバルを見つめるので、「ハンニバルがブランドなんだ」と納得してしまいます。
トバイアスに親友認定してもらえない辛さ、孤独感に話が向かっていくと、フランクリンはさらに語ります。
Being alone has a dull ache to it, doesn’t it? 孤独って鈍い痛みを伴うものじゃないですか?
またまた、刺さるフランクリンの言葉。
社交界の人々や美しい女性たちに囲まれていても、人の皮を被っているハンニバルは、誰にも理解されない孤独の鈍い痛みを抱えている。多分、それまで気づいていなかった痛みを、べデリアとフランクリンに気づかされてしまった。
この痛みとどう付き合うかが、このエピソードのキモだと思いまし。
その日の夕刻、ウィルの心療予約の時間が来て、うれしそうに扉を開けるハンニバル。姿を現さないウィルに意気消沈して、ケータイをチェックしたり、予約ノートを再確認したり。
このシーンに被るモーツアルトの名曲『ラクリモーサ(涙)』。歌詞の意味するところは
「嘆きの日よ。罪深き男が審判のために灰から立ち上がる。主よ、お慈悲を。心優しきイエスよ、彼らに永遠の平安を与えたまえ」
マッツ・ミケルセンの意見によると、"ウィルはハンニバルの人生の光"。つまり、被っている"人の皮"を超えて、互いに受け入れあう関係を持つことへの希望の光ということでしょうか?
そういえば、第5話のコキーユで、ウィルは光背に包まれていました。
ハンニバルは、人生の光との触れ合いを失うことに堪えられないのでしょうか?
「24時間以降予約キャンセル不可」なんていうポリシーを謳っているにも関わらず、1時間半もかけてクアンティコのFBIまでウィルを探しに行くハンニバル。
フランクリンがハンニバルに対して持つ、ハンニバルがウィルに対して持つ報われない思いのパラレルが、ロマンスしています。
ジャック・クロフォードの孤独と痛み
孤独なのは独身男だけではありません。妻帯者でも、癌を患う妻ベラに距離を置かれ、独り寝しているジャックも孤独な男。
彼の孤独な痛みは、愛する妻の命もかかっているので鈍いではすまない、腸がちぎれそうな痛みでしょう。とはいえストイックな仕事人ですから、傷ついた感情を職場に持ち込むこともなく耐え忍んでいます。
おまけに、愛弟子ミリアム・ラスからの電話と片腕の発見という、前話で切り裂き魔から受けた揺さぶりで動揺して、悪夢を見るようにもなっている。
未経験なミリアムを切り裂き魔捜索に駆り立てた自分のせいで、彼女が片左腕を切断され殺されたのだという自責の念にさいなまれているのですね。
死体置き場で、左腕を切断されたウィルの死体の幻を見るジャック。
ミリアムで失敗したにも関わらず、嫌がるウィルを無理やり切り裂き魔捜査に引き込んだことで、また同じ惨事を引き起こしかねない不安にかられているのですね。
けっこう、ボロボロなジャック。切り裂き魔ハンニバルの心理作戦、見事成功しています。
ウィルの鈍い痛みが求めるもの
ウィル・グレアムも鈍い痛みを抱える孤独な男。ハンニバルとの心療のアポイント時には自分が務めるFBIの講堂で、アビゲールに父と慕われる白日夢を見ていたのです。
日常生活が困難になる幻覚が進行しているのは確か。その上、ホッブスに憑りつかれ、彼の娘に対する妄執を引き継いでウィルの狂気は深まっているように見えます。
自分の様子を見に来てくれたハンニバルに対して、ぞんざいな 態度はいつもどおりですが、切り裂き魔の犯行を語りながら、自分からハンニバルのパーソナルスペースに入っていくウィル。人と身体的な距離をとることに必死な普段の行動パターンから随分成長しています。しっかり、ハンニバルになついているのですね。
肩を寄せて話し合う2人に、ジャックは臓器摘出犯の手がかりが出たことを伝えます。
さらなる腎臓摘出手術を行う犯人シルヴェストリの逮捕にあたって、被害者救命のため、ハンニバルが心臓マッサージの応急処置を行うのをじっと見つめるウィル。
普通の犯罪捜査ドラマだったら、教会を嘲る知的な元外科医はハンニバルしかいない。だから切り裂き魔はハンニバルって展開になるのですが…
このシーンに被るのはヴェルディの『マクベス』から「抑圧された祖国」。
「抑圧された我々の祖国よ、甘美な母の名を語ることもできない」
ということは、ハンニバルは真の栄光を奪われているだけ。ハンニバルの人の皮の下で抑圧されいる世界はウィルが帰るべき祖国という、孤独な男の鈍い痛みが求める意識下の願望でしょうか?
ハンニバルが抱える世界って、いったいどんなんでしょう。美食と贅沢、殺人と人肉喰らい、美学を超えて何があるのでしょう?
ボルティモアの上流社会の好き者たちが招かれたハンニバルのディナー、ロマンチックなヴィヴァルディの『四季:冬』をバックに、スーシェフを従えて料理するハンニバルを訪問するウィル。
なぜ外科医をやめたのかというウィルの質問に~~
「人の命を奪ってしまうことが多すぎたから、外科をやめて料理を追求することにした」と答えるハンニバル。意味深長な回答です。
「自分は社交性がないから」「チェサピークの切り裂き魔とデートがあるから」とディナーへの招待には遠慮しますが、はにかみながら、多分、高価なシャトーマルゴーのワインをプレゼントに置いていくウィル。
快心の微笑みを浮かべるハンニバル。
なんか、はじめてのデートにヘドモドする中坊みたいな人たちです。
ハンニバルの内面に踏み込んで、サブプロットを丹念に読み込んだら、サイコスリラーを超えてメロドラマになってます~~~
ブライアン・フラーにしてやられた感じですか?このしてやられ感が、癖になるのですね。
それでは、美しいオペラ歌手も侍らせたディナーでのハンニバルの会席の音頭を借りて
Before we begin, you must all be warned: Nothing here is vegetarian.
初めに断っておきますが、これは全部肉食系!!!