ウィルは本当にハンニバルを許したのか?許せるのか?ハンニバルはそれを受け入れられのか?気になることばかりの前話エンディング。ということで、シーズン3第3話を読みこんでみました。
- べデリアの恋愛セラピー
- 失われた故郷を求めて
- 蛇が這いまわる家のマングース
- MISCHA LECTERって、何よ!
- 恒例のディナーと殺人を犯すべデリア
- 夢想家と現実主義者と善人の信心
- 廃城の囚人、千代との邂逅
- 二人の虜囚の語らい
- 私は忽然と出現したのだ
- 解放者にして堕ちる者
- べデリアの大手
べデリアの恋愛セラピー
フィレンツェにあるアパルトマン、いつになく物憂げで目元が潤んでいるようなハンニバル。
「彼(ウィル)の姿が見られて良かった?」
赤ワインを片手に、べデリアは担当直入な質問をします。
それを肯定し、ウィルが「自分と会える場所を知っていた」と、感慨深そうなハンニバル。
「あなただって、彼が分かってると知ってたでしょ」と、いい募るべデリア。
「許してくれるって言ってた」
ウィルを見たけれども、面と向かって会うという行動を起こせず帰って来たハンニバルの惑いを、べデリアは的確に攻めてきます。
Forgiveness is too great and difficult for one person.
許しという行為はひとりの人間には荷が重すぎるわ。
It requires two: the betrayer and the betrayed.
2人が必要なのよ。裏切り者と裏切られた者。
Which one are you?
あなたはどっちなの?
ハンニバルは答えを濁します。と、べデリアは~~
Betrayal and forgiveness are... best seen as something akin to falling in love.
裏切りと許しは、よく言えば恋に落ちるのと同じね。
さすがですね、べデリアさん。今となっては、ハンニバルはどちらがどちらを裏切ったのか分からない。許されるのか?許せるのか?それすら分からない。何故なら、ハンニバルとウィルは単に犯罪者と潜入捜査官という関係性ではなく、明らかに恋愛感情を持つカップルだったから、事情が込み入ってしまうのです。
You cannot control with respect to whom you fall in love.
誰と恋に落ちるかなんて、慎重に配慮することはできないよ。
遂にハンニバルさんも本心を認めてしまいました。
ウィルの周囲を迂闊にうろつくことで「逮捕されるわよ」と、たしなめるべデリア。分かっていてもやめられなかったハンニバル。
アントニーという恋敵の登場で、ハンニバルにとって自分は交換可能なパートナー、喰らうべき豚に過ぎないと知り、恐れ慄いていた第1話から一転。「身の処し方は分かっている。自分の心配はしていない」と、自信に満ちた態度でハンニバルの恋心を指摘するべデリア。
一見矛盾する態度ですが、第1シーズンの力関係を思い起こすと納得がいきます。
べデリアは最優秀なお抱え精神科医としてハンニバルの真情を吐き出させることで、彼に対して圧倒的な優位を保っていたのです。
恋人として失格になった以上、セラピストとしての立場は維持して延命する。べデリアの生き残り戦略として、恋愛セラピーが発動したわけです。
相変わらず、べデリアさんの根性は並外れています。
ウィルは次に何処に行くかと聞かれたハンニバルは答えます。
Someplace I can never go. Home.
私が決して行けない場所。故郷だ。
失われた故郷を求めて
ウィルはと言えばハンニバルの読み通り。ハンニバルが生まれ育ち、もう帰ることのない、リトアニアにある故郷の城を訪ねていました。
何、この人達ったら魂で繋がってるの?ってなった瞬間でした。
このお城はゴシック様式で、人里離れた霧深い森の中に先祖伝来の墓地に囲まれて、朽ち果てた姿佇んでおります。もう、ドラキュラが住んでそうな廃城って感じで、見るだけでホラーです。
ところで、このお城は実際に失われた城なんですね。ベルギーにあるミランダ城というところなんですが、管理費がかさばって所有者一族が維持できなくなり1991年頃から放置されていた。で、番組で撮影された翌年の2016年には解体が始まり、2017年には更地になってしまったという...。
非効率的な貴族文化のなごりが欧州でもどんどん廃れていく。時代の流れというか、なんとも諸行無常なもののあはれ。
ドラマで描かれるハンニバルのメランコリーにも、潰えていく種族の末裔的な無常観を見てしまうのは、あたしだけでしょうか?
主のいない城は、当然のことながら門扉から閉ざされている。高い塀を攀じ登って、不法侵入、うろつき回るウィル。
単純にハンニバルを逮捕したいならフィレンツェへ直行すればいい。それをわざわざ、生まれ故郷にまで来るなんて...。
ウィルが着てるネイビーのオーバーコートが素敵ですね。カッコイイ。ハンニバル関連でお出かけするウィルは、いつもオシャレ、気張っています。
風雨に曝された墓石に刻み込まれた「MISCHA LECTER」の文字をウィルは見出します。ハンニバルが長い人生の中で唯一人愛した妹、ミーシャの墓ですね。
ウィルお得意の幻想の中、森の奥深くでウィルとハンニバルはセラピーの時のように向かい合って語らいます。
Hannibal:It's not healing to see your childhood home, but it helps you measure whether you are broken, how and why, assuming you want to know.
ハンニバル:子供時代の家を見ても癒しにはならない。だが、君は知りたいようだから、我々が壊れているかどうか、なんで、どれだけ壊れているかを測る救けにはなるだろう。
Will:I want to know. Is this where construction began?
ウィル:知りたいんです。ここから建設が始まったんですね?
ウィルはハンニバルの中核をなす「記憶の宮殿」の礎、源流を知りたい。ハンニバルを底の底まで知り尽くしたいのですね。
Will:The spaces in your mind devoted to your earliest years... are they different than the other rooms?
ウィル:あなたの幼少期に捧げられた心の空間は、他の部屋部屋とは違うのでしょう?Hannnibal:This room holds sound and motion, great snakes wrestling and heaving
in the dark. Other rooms are static scenes, fragmentary...
ハンニバル:この部屋には音も動きもある。巨大な蛇たちが闇に蠢き、絡み合っている。他の部屋は静止画で断片的だ。
最愛の妹ミーシャと生き、残酷にも彼女を奪われた記憶は、何よりも鮮烈でしょう。ウィルもそれには気づいていた。その確証が見たかった。
存分にシャレ倒して故郷を訪ね、あなたの総てを知りたい。それは愛の行為であり、独占欲と言えるでしょう。
でも、その独占欲はミーシャという巨大な記憶に阻まれているのがわかる。ボルティモアでの自分との思い出も、原初の記憶には及ばない。
そして、ハンニバルの行動原理はミーシャを奪われた記憶に基づいている。ウィルの思いは複雑でしょう。
蛇が這いまわる家のマングース
ところで、この門扉の紋章が気になるのです。真ん中には「LECTER DVARAS」と書かれています。これはリトアニアの表記で「レクター家の領地」てな意味になるそうな。
で、その下には蛇がのたくり、両側にはネコ型亜目とおぼしき鼻面の長い動物が立ち上がっています。蛇は繁栄の象徴ということですが、ネコ型亜目でやたら立ち上がって威嚇する姿が目につく種といえば、マングース。紋章の動物、マングースに見えますね。
ということで、第1シーズン第1話に戻ってみます。すると、会ったばかりのウィルに向かってハンニバルは、こう言っているのです。
The mongoose I want under the house when the snakes slither by.
(君は)蛇たちが這いまわる家にいて欲しいと私が願うマングースだ。
森の中の対話でもあるように、レクター家は「蛇が這いまわる家」だと、ハンニバルは認識しています。
ということは、会った瞬間からハンニバルはウィルに家族になって欲しいと言っていた。プロポーズをしていたということになるのです。
この番組は一目惚れロマンスだった!って、これは、アタシの戯言じゃないですよ~~。ジワジワ、他にも種明かししていきますよ~~~。なんです。
MISCHA LECTERって、何よ!
墓石の「MISCHA 」という表記に、なんとも合点がいかないアタシです。ミーシャ(Mischa)って、スラヴ文化圏では英語のマイケル(Michael、女性形だとMichaela)の愛称なわけです。マイケルって大天使ミカエルのことですから、キリスト教世界ではメチャ高人気の名前。英語圏だと愛称はマイクとかミックとかミッキーですが、スラヴ圏ではミーシャ。
例えば、アタシが一番尊敬するミーシャさんはミハイル・バリシニコフさん。20世紀にソ連からアメリカに亡命して一世風靡した超絶ダンサー。ロシアだとミハイル(Михаи́л)がマイケルなわけです。
厳密には純然たるスラヴ圏ではないということですが、リトアニアは旧ソ連邦なので、この文化を踏襲していても不思議はないですよね。
小説世界のミーシャはハンニバルが8歳の時に亡くなってますから、ハンニバルが愛称で呼んでるのに抵抗はないんですけど、墓石に愛称だけ刻むってどういうこと?ってなるわけです。
調べましたらね、リトアニア式だとMichaelaに当たるのはMichalinaになるようです。リトアニア文字だと視聴者が読めないので、英文式表記には譲りましょう。まあ、LECTERって苗字自体胡散臭いんですけど、せめて墓石には2ndネームは無理としても、正式な1stネームの表記くらいして欲しいと思うのです。
てえ、スラブ文化が好きなアタシの泣きが入ってしまいました。
恒例のディナーと殺人を犯すべデリア
レクター家領地の森を徘徊するウィルは、ミリタリー風のコートを着て、銃で鳥を撃つ東洋系で城住まいの女性を発見。ストーカーみたいに、彼女の監視を始めます。
女性を演じるの日本出身のファッションモデル、TAOさん。背が高く、超スリムな体型に刀身のような鋭さがあって、眼福です。
この女性が、鉈のような肉切り包丁で鳥を捌くシーンに、男の腕をぶった切って調理するハンニバルが被ります。なんか、この女性とハンニバルのよく似た死体への無感動加減が不気味で、この女性にハンニバルへの近親性を感じてしまう視聴者でした。
アントニーの死体は皮を剥いてトピアリーにしてしまっているので、新たに誰かを殺したんでしょうね。1人殺したら止まらなくなってしまったのか?
で、この腕肉を使ったディナーに招かれたのはソリアート教授。今シーズン第1話の舞踏会でハンニバルのイタリア文化に対する造詣が浅いのではと疑い、逆鱗に触れた人ですね。なんかヤバそうです。
と思っていたら、瞬く間に側頭部にナイフを突き通されてしまいました。ナイフが刺さったままなので視神経が損傷した以外は傷が表面化せず、釣り針にかかった魚みたいに無様に口をパクパクしています。耐えきれずに教授からナイフを抜くべデリア。それにより、脳内血管やら神経やらの切断が明確になり、即死する教授。日本式の表現だと、断末魔の苦しみに情けをかけたというところでしょうか。
「厳密には、殺したのは君だ」と、嬉しそうに宣うハンニバル。
確かに、その通り。凶器を抜かなければ教授は生きていた。ハンニバルに殺意はあったけれども殺傷は殺人には至っていなかった。ナイフ引き抜きが直接の死因です。
べデリアの過去の殺人は、FBIとの取引で帳消しになっていました。ハンニバルと逃亡してからの犯罪は、逃亡幇助とか殺人犯隠匿などの重くない従犯の扱いとなったでしょう。ところが、今回でべデリアも実行犯になってしまった。「観察者」に留まろうとするべデリアを煽って、一蓮托生とする目論見が見事に決まったハンニバルでした。
互いに画策して互いをハメようとしながら共生している。なんとも2人には相応しい共同生活。
「カポーニ宮の関係者を2人も殺して、警察を呼びこんでいる...と詰るべデリアに、
「私が殺したのは1名のみ(アントニーのこと)」と。さらに、
You cannot preserve entropy. It gradually descends into disorder.
エントロピーの増大を防ぐことはでいない。物事は次第に無秩序へと向かうのだ。
なんて、実に適切な理論を操ってハンニバルは自分の破滅的行動を擁護します。
「ローマ時代には、死肉はまずは貴族に、次に聖職者に、3番目に市民に、4番目に兵士に与えられた」なんていうペダンティックな注釈をつけられながら、ソリアート教授の死体は、着々と次のディナーになっていきます。
ハンニバルが務めるライブラリーの運営委員会の長夫妻、世知に長けた感じのアルビッツィ夫妻が招待され、舌鼓を打っています。その口元のアップに被るドニゼッティのオペラ『ドン・パスクワーレ』からの愛の歌。
人間が持つ欲望、食欲と愛欲が重なって醜悪な地獄絵を織りなす。そんな、ハンニバル世界を象徴するような、印象深いシーンでした。
人肉ディナー癖が止まらなくなってしまったハンニバルです。
夢想家と現実主義者と善人の信心
ウィル、ハンニバル、べデリアという不可解にロマンな民が、それぞれに夢想したり、理論武装したり、策謀を巡らせたりしながら奇妙な脳内鬼ごっこを展開している間も、現実は休まず逃避行に追いついてきます。
まずは、パッツィ&ジャックという2人の捜査官たちがノルマンニ宮殿で邂逅します。ハンニバル逮捕に無様に失敗したジャック、誤認逮捕に納得せずイル・モストロを追い続けて笑い者となっているパッツィ。
汚名返上に手を組もうと言うパッツィに、「ここに来たのはハンニバル逮捕のためではなく、ウィルのため」と、主張するジャック。
ハンニバルに逆上せているウィルを、ジャックは救けに来たというところでしょうか?現実主義的善人の信念ですね。迷える魂を悪より救い出すってところでしょう。
献灯するジャックにパッツイは宗教心の有無を問います。
「信心のない者はいない。...我々は来世を思い描くのだから。...ウィルも私も一度死んだ。それは想定外だったが...」と、『水物』の惨劇を思い起こすジャック。
ジャックが繰り返したimagineという言葉尻を取って、「ウィル・グレアムは何を思い描いいているのだろう?」と、問いかけるパッツィにジャックは答えます。
I borrowed his imagination... and I broke it.
私は彼のイマジネーションを借用して、壊してしまった。
I don't know how he managed to piece it back together again.
彼がどうやってそれを修復したのか、私には分からない。
善人のジャックは、アラーナの再三の制止も聞かずに精神の不安定なウィルを現場に出し、ハンニバルの虜にしてしまったことを、後悔しているのですね。それで、白馬の騎士みたいに、ウィルを救けに来たんですかね...。
「神に近づくために人々は教会に来る。ウィルも同じだろう?」と詰め寄るパッツィ。夢想家のウィルが、ハンニバルを神のように信心していることに、彼も気づいているのですね。
Will Graham understands Hannibal. He accepts him.
ウィル・グラハムはハンニバルを理解し、受け入れている。
Now, who among us doesn't want understanding and acceptance?
我々の中に、理解と受容を望まない者がいるだろうか?
質問に質問で返すジャック。2人のアウトサイダーが理解と受容を求めて心を寄せ合っている。ジャックもウィルとハンニバルの関係性の本質にやっと気づいたのですね。
だったら、放っとけ、お節介オヤジ!と思うんですが...。
善人のジャックはウィルを救わないと自分が浮かばれない。現実主義者のパッツィはハンニバルを捕えて汚名返上しないと気が済まない。それが、この二人の頑固な信念、信心なのですね。
廃城の囚人、千代との邂逅
開く扉がなく、城内に入れないウィルは、蛍が飛び交う幻想的な森で焚火をして潜伏。
深夜、例の東洋系の女性が使用人入り口みたいなところから外出するのを確認、その扉から地下の食料倉庫のような場所に忍び込みます。
そこには、多分撃ち落とされた鳥の短い関節骨と頭のようなものを組み合わせた、不気味な赤子の人形のようなものが飾り巡らされ、蝸牛の這う朽ちたような牢があり、痩せこけて半裸の囚人が捕らえられていました。禿げあがった長髪で襤褸をかろうして纏い、意味不明な異国の言葉をつぶやく男。どうやら長い間、獣扱いの捕囚生活をさせられていたようです。
半分狂っているような、不気味な囚人を演じるのはカナダの俳優ジュリアン・リッチングス。最近では『スーパーナチュラル』の死神役も印象的だった、癖のある名脇役。ブライアン・フラーはこういう、玄人好みな濃い~役者さんが好きですねえ。アタシもですけど…。と、また脱線してしまいました。
当然、ウィルはすぐに千代に見つかって銃口をむけられてしまい、「ハンニバルの友人」などと誤魔化して取り入ろうとしますが、女性は冷淡な疑いの目を向けるばかり。
「君は彼(囚人)から最低限の人間的尊厳を奪っているようだね」と、いつものウィル節が出てしまいます。
「あいつが自分から人間的尊厳を捨てたのよ」
さらに、女性は続けます。
All he's allowed is the sound of water.
こいつに許されているのは水音だけ。
It's what the unborn hear. It's their last memory of peace.
最後の平穏の記憶として、生まれぬ胎児が聞く音だけ。
なんとも詩的で不穏な言葉です。胎児殺しに匹敵するような、残忍な罪を男は犯したのでしょうか?
失礼な物言いばかりで女性を懐柔できずに城を追い出されるウィルは、執拗に会話を続けようとします。男がミーシャを喰らったことを女性は明かします。
「どれ程の期間、彼を捕えていたのか?何で君はこんな状況になったの?」と聞くウィルに、女性は答えます。
We've been each other's prisoner for a very long time.
私たちは、長いことお互いの囚人なの。
The question applies to both of us.
(なぜこの状況に陥ったかの)質問は、あなたにも当て嵌まるわ。
勘のいいウィルは、「答えも同じ」だと察します。女性は千代と、自らの名前を告げ、ウィルがハンニバルと知り合った経緯を訊ねます。
One could argue, intimately.
それは親密に論じるべきかな。
「仲間なの?」と、ウィルに不信感を抱きながらも、受け入れ始める千代。
ハンニバルに付けられたスマイリーのような腹の傷跡をウィルは彼女に見せ、千代の居住区に「話を聞かせて」と招かれます。
千代というのは、『ハンニバル・ライジング』に描かれたハンニバルの叔母、レディ・ムラサキの小間使い。
「第3シーズン」にはレディ・ムラサキを出すと言っていた製作総指揮のブライアン・フラーですが、ムラサキではなく小間使いの登場となりました。でも、TAOさん、『ハンニバル・ライジング』でムラサキを演じたコン・リーに面影が似ていますね。
パリの叔父叔母に引き取られた孤児ハンニバルとほぼ同い年と、千代は原作には記されていますが、TAOさんはマッツ・ミケルセンより20歳若い。ドラマ版千代の見てくれは、どんなに譲っても10~15歳くらいはハンニバルより若いというところでしょう。ハンニバルがパリにいたのは思春期から医学校時代までなので、その間の千代は幼児から小学生くらい。
小間使いになるには幼過ぎ、時間軸が合わないのですが、ここは深く追求しないでおきましょう。
それよりも、ウィルと千代の会話の象徴的な意味合いが際立っていることに、アタシは着目致します。
千代は囚人を監視するために、この城に囚われていた。ウィルはハンニバルに囚われているからここに来た。俯瞰して見ると、ウィルと千代はハンニバルの魅力が張り巡らせた巨大な蜘蛛の巣に取り込まれているからここにいる。2人は共にハンニバルの虜囚。だから、「答えも同じ」なのですね。
同じような境遇の二人がシンクロして、親しく語らうことになる。それは当然の成り行きなのですが、どこか不穏でもあるのです。
二人の虜囚の語らい
日本式の千代の居間で、ちゃっかりお茶をふるまわれるウィル.。
千代の不可解な囚人環視生活を鑑みて、「人は受け入れがたい状況ではお伽噺を作り出す」なんて、いつもながらの尋問のようなモノローグを始めます。
ミーシャを殺しカニバッた犯人に対するハンニバルの復讐を信じる千代を真っ向否定。
Mischa doesn't explain Hannibal.
ミーシャはハンニバルの説明にはならない。
She doesn't quantify what he does.
彼の行為を、ミーシャが意味付けはしない。
さらに、囚人がミーシャを殺したということは、千代がハンニバルから聞いただけの話だと告白させます。つまり、ハンニバルが彼女を騙してると匂わせる。
何故か、千代に出会った途端、ウィルはハンニバルに対して敵対心を露わにし始めています。
足元を掬われるながらも、千代はウィルの中にハンニバルへの憎悪を見抜きます。
「ハンニバルに誰かを奪われたから、あなたも誰かを奪いに来たの?」と、鋭い指摘。
「僕がハンニバルと同じような人間なら、既に君を殺している」と、嘯きながらも「ハンニバルが何処にいるか知っている?」と、執着も見せる始末のウィル。
「そんなスマイリーを残されたのに、何で彼を追い廻すの?」と、もっともな千代。
I've never known myself as well as I know myself when I'm with him.
あの人と一緒にいるときほど、自分のことがよく分かったことがないんだ。
なんて、千代を煽っていたつもりなのに、うっかり本心を漏らしてしまうウィル。
千代も、ハンニバルは男を殺したがっていたけれども、自分は反対した。だからハンニバルは男に対する生殺与奪の権を千代に委ねたのだと事情を明かします。復讐は続けたいけれども殺したくはない。警察に突き出すか、殺す方が楽だけれども、そうはできない。それが千代なりの正義なのでしょう。
さらに、「ハンニバルはここへは来ない。悪い思い出があるから来れない場所もあるの」と、彼女はウィルに告げます。
ハンニバルが帰ることなく、彼女が囚人を逃す気も殺す気もない以上、千代はここにとどまって監視を続けなければならない。彼女は、永続的とも言える手詰まり状態を受け入れているのです。
あらゆる条件を考慮しても、ハンニバルの傷ついた魂を信じ、その上で自分の不殺の信念を貫きつつ復讐を続ける千代。ハンニバルを信じたい気持ちと憎しみの間で揺れ続けるウィル。
ウィルは千代に意地悪なように見えます。家族だけが持てる、絶対的な絆をハンニバルとの間に持っている千代に、ウィルは嫉妬しているようにも思えてきました。
「あの人は、君に人殺しができるかどうか、興味津々だったし、今もそうだろう」
ウィルの最後の一刺しが、何だか空しく響きます。
私は忽然と出現したのだ
ミルク色のバスにつかるべデリアの髪を洗うというセンシュアルなシーン。ハンニバルが、若い頃はメフィストフェレス派でファウストを軽蔑していたと語ります。魂を交換条件に今生の欲と栄華を味わい尽くそうとするファウスト。誘惑者でありながら、ストイックに契約は守るメフィスト。確かに、ハンニバルはメフィスト志向でしょう。ウィルに対しても、べデリアや千代にも誘惑者であるとともに、リトマス試験紙のように機能していますから。悪魔って、人類の善性に対するリトマス試験紙なんです。
過去の話を始めた機会を逃さず、べデリアは問いかけます。
Would you like to talk about your first spring lamb?
あなたの最初のスプリングラムのことを話したくはないの?
スプリングラムとは、滋養たっぷりの春の子羊のこと。子羊はユダヤ・キリスト教文化圏では聖なる犠牲を象徴しますから、これはハンニバルの最初の犠牲者のこと。
べデリアは「何故、あなたは故郷に帰れないの?あそこで何があったの?」と続けますから、当然、彼女はハンニバルの最初の犠牲者はミーシャだと確信していると言えるでしょう。
Nothing happened to me. I happened.
私には何も起こらなかった。私が忽然と出現したのだ。
と、言い返すハンニバル。
小説では、城を襲撃してきたナチス協力者にハンニバルとミーシャは監禁され、ミーシャは殺されてその人肉料理をハンニバルも食べさせられた。このトラウマでハンニバルは殺人カニバルになってしまったという設定。
ですが、堕天使サタンとしてハンニバルを描きたかったマッツとブライアン。特に、マッツは外的要因、つまり偶然の凶行の犠牲者であるハンニバル像を好まなかったのです。ですから、メフィストのごとく忽然と出現したというハンニバルの恐るべき矜持が、非常に重要な相違点となるのです。
サタンもメフィストも、誘惑者でありリトマス試験紙であるわけですから。
短いながらも、意義深いシーンです。
さらに、べデリアは浴槽の白濁した湯の中に心地よげ人沈んでいきますが、ハッと気づいて戻ってくる。ここも重要。
彼女は、もう黒い液体に絡めとられて沈みこみはしないのです。ということは、ハンニバルの悪の世界に、もう囚われていない。自分で自分を救い出す算段の目星がついているということですね。
解放者にして堕ちる者
ウィルは、捕らえられている男を夜の森に逃がします。警察に届けるでも、病院に連れっていくでもなく、牢から出して森に放置する。法的には理解しがたい行為。彼は、何を考えているのでしょう。
長い年月、湿って薄暗く寒い牢で虐待されていた男は、当然ながら千代に復讐するために戻って来ます。
押し倒されて首を絞められた千代は意識を失いかけますが、「ごめんなさい」という言葉とともに反撃。手近な鳥の骨を首に突き刺して男を仕留めて殺害します。
千代の叫びを聞いて駆け付けたウィルを「逃したのね。あなたのせいよ」と、非難します。
全くその通り。FBIの最優秀プロファイラーであるウィルですから、近くの森に男を逃がせば、意趣返しに戻り千代を襲う。千代は自衛のために不殺の原則を破らなければならない。それくらいのシナリオは読めていたはずです。
「僕は君を解放したかっただけだ」と、言い訳するウィル。当然、千代が自分を解放するには、不殺の原則を破る、善人ぶることを止める必要もあるわけです。
「あなたもハンニバルと同じで、私に殺せるかどうか興味津々だったでしょ。...あの人の真似をしてるのね。仲間として、誇りに思ってもらえるわね」と看破する千代。
またまた、全くその通り。他人を教唆し殺人へと駆り立てるのは、精神科医ハンニバルのお家芸。ウィルも同じゲームを、千代相手に楽しんでいるわけです。いけずな男は、さらに続けます。
He created a story out of events that only he experienced.
あの人は、自分だけが経験した出来事から、物語を紡ぎだしたんだ。
"All sorrows can be borne if you put them in a story."
「出来事を物語に落とし込むと、あらゆる悲しみが生まれ来る」ってね。
ハンニバルがミーシャを出汁に捻りだしたホラ話に、世間知らずの千代が騙されたという意見のダメ押しをするウィル。因みに、2行目はデンマークの作家カレン・ブリクセン(英語圏ではアイザック・ディネーセンとして知られる)が残した言葉。彼女の原作による映画『バベットの晩餐会』はデンマーク映画評価の先駆けとなった作品ですから、マッツへのリスペクトかしら?なんて思う視聴者です。
ウィルの底知れない悪意に気づきながらも、「ミーシャのために」と復讐の祝杯ともいうべきものをウィルと交わし、「もう城にいる必要がないから、ハンニバル探しを手伝うわ」と持ち掛ける千代。何を考えているんでしょう?最大の敵は身近に置けということでしょうか?
そして、蝸牛が這いまわる男の死体にワインボトルのガラス片で作った羽をつけて巨大な蜻蛉のオブジェを作って地下牢に飾り付けるウィル。
もう、完全に小ハンニバル状態。レクター城に来た本当の目的は、ハンニバルの過去を経験して、よりハンニバルになること、演劇的殺人のディレクターへと堕落することだったのでしょうか?
相変わらず、ハンニバル憎しと愛しの間で揺れ動いているウィル・グレアムでした。
べデリアの大手
ハンニバルがピアノを弾いています。新居にハープシコードを取り寄せる暇がなかったのでしょうか?
演奏している曲目はサティの『幻想・ワルツ』。とても、ハンニバルらしいですね。ピアノの冗長性を好まず、音が瞬間的に完結するハープシコードを好むハンニバル。
情念的なまだるっこしさよりも、数学的な美学を持つバロック音楽が好きなんですよね。だから近代でも、複雑な和声の組み合わせである調性音楽を排除したサティを選ぶわけです。
明晰を志向する。これもハンニバルのパーソナリティの重要なポイントですかと。
ところが、恋というものは明晰でも論理的でもなく手に余るのでしょう。
切り捨てたはずのウィルの不在に悩まされ、隣にべデリアというパートナーがいるのに寂寥は積もるという、理不尽な情念世界。失意というのも同様です。
ハンニバルの不安定な精神状況を、べデリアが放っておくわけがありません。
What your sister made you feel was beyond your conscious ability to control or predict.
あなたの妹があなたに感じさせるものは、抑制し予見するというあなたの顕在能力を超えているわ。
I would suggest what Will Graham makes you feel is not dissimilar.
ウィル・グレアムがあなたに感じさせるものも、同じでしょう。
A force of mind and circumstance.
精神と状況の持つ力ね。
という分析で、彼女はハンニバルがこの2人に対して感じているのは「愛」だと認めさせます。さらに、「許しも裏切りも同じ」と畳みかけます。
「裏切りの女神は、許しの女神を前提にしている」と、軟化するハンニバル。
「人間は皆裏切るの。他に選択肢がないときもあるわ」と、蜜のように許しと愛へと誘い込むべデリア。
「ミーシャは私を裏切らなかった。私が自身を裏切るような影響を与えただけだ。だが、その影響を私は許した」ミーシャとウィルはあくまでも違うと、言いたいハンニバル。
ハンニバルがミーシャをカニバったと知るべデリアは、彼にとって許す行為がカニバルことだと知悉して、
「過去の行為は未来の行為をも示すもの。ウィル・グレアムを許す手段はただ一つ」と、言葉を重ね、
「私は彼を食さねばならない」という結論へとハンニバルを導きます。
お見事な大手です!べデリアさん。ハンニバルの恋心を自覚させ、彼の注意をウィルのみに向け、許す手段はカニバルことしかないと知らしめる。そうすることで、自分の食用豚としての未来を回避するとは!!
素晴らしい策士ですね。
ところで、ハンニバルの嫌悪と執着から現実的に逃げ出し、法の目も掻い潜る手段はどうするのか?べデリアさんの最後の打ち手が、とんでも楽しみな展開になってきました。