10年前、映画の『ブラック・スワン』が大ヒットしたとき、『白鳥の湖』ってどんなもんよってな感じでみなさんが見にきて話題になり、あっという間に万単位のアクセスを獲得、あまりの人気にワーナー・クラシックスの公式看板コンテンツになったYouTube動画があります。
アップから7年たっても勢いは落ちることなく、今日2020年4月1日現在で40,331,138アクセスの大ヒット。ひとりでも多くの方に、これを見ていただければと願う激ファンなアタシです。
ちょっとでも興味がわいたら、とにかく、動画を見ていただきたいです!気がむいたら、解説も読んでいただければと・・・。
衝撃的な美しさ~~~
4000万回以上視聴されてるわけですから、ほとんどはバレエのバの字も知らない普通の皆さんがご覧になってます。それが口々に「なんんてキレイな・・・」「まるで夢のよう」とつぶやいています。
「出てくるお姉ちゃんが全員イケてるよ~~~。俺もここに行きたいよ」
なんて言ってるオヤジなんかもいたりします。気持ちわかります。
この『白鳥の湖』は1990年に撮影されたキーロフ・バレエ(現在はマリインスキー・バレエ)作品。
アタシは日本でVHSが発売された時からのお付き合いですが、VHSは何度も何度も見てヨレヨレになり、プレイヤも動かなくなってきたので、ようつべ鑑賞してます。
なんで、そこまで、繰り返し見ちゃったかというと、衝撃的に美しくて中毒症状を起こしてしまったからです。
自分も習ったり、公演を見に行ったりしてましたが、描いているイメージと現実があまりにも違うのでバレエにウンザリしてたところで、このVHSの自分の乏しいイメージをはるかに超える美しさに出会ったのですね。
まずは冒頭、宮廷人たちが、女子はもとより男子もお人形のように小ギレイで、たわむれるように軽やかに舞っているのにビックリ。頭がデカくて短足、太もも男やずんぐり女なんていないんですね。優雅な優雅な世界です。
で、「マクガイバー」のルーカス・ティルみたいにカッコイイ王子(イゴール・ゼレンスキー)がでてきて、滞空時間の長いジャンプをキメる。本当に驚きました。
SFXがなくてもバレリーナは白鳥なの
動画開始から31分にオデット役のユリア・マハリナが登場すると、このウキウキしたうれしさが別次元にブチ飛ぶのです。
長身でモデルのような10頭身にスラリと伸びた長い手脚。とてもスリムなのに胸や大腿部にはハリがあって、驚くほどしなやかに動く上半身がキラキラしています。
指先から足まで全身がえも言われないカーブを描いて、腕のラインも流線型で、両手を伸ばすと白鳥の翼のように見えます。
空中に浮いているような腕の動き。長い頸筋とS字を描く背筋に膨らんだ白いチュチュに腕の両翼があわさって、本当に白鳥のように見えるのです。
エレガントで貴族的で、メランコリックで、まさに白鳥の女王なユリア・マハリナ。
主役だから白鳥らしいのだと考えていたら大間違い、コールド(群舞)の最後のひとりまでが白鳥そのもの。42分近辺で王子がオデットを探してさまよいますが、このVHSを見るまで意味不明なシーンでした。
全員のうり二つな白鳥っぷりで、王子はだれがオデットなのかわからず、混乱しているのだと、これを見て納得してしまいました。
そこに登場する、格違いに麗しいマハリナは大粒ダイヤを連ねたネックレス真ん中に燦然と輝く特大のダイヤモンドの趣き。
もう、ウットリです。
身体だけが語れる情念のドラマ
バレリーナたちの身体は、とても雄弁です。
首を傾げて片足を後ろに引いて立つコールドの姿は、魔導士ロットバルトの呪いで白鳥に変えられてしまった乙女たちが運命を嘆き、うなだれているように見えます。
近づいた王子に片腕を上げる様子は「どうぞ見つめないでください。恥ずかしゅうございます」と語るかのよう。
とりわけて雄弁なのは、やはりマハリナ。
王子との出会い。繊細なブレ(ポワントで立った両足を細かく動かすこと)は、揺れ動く不安な心そのもの。何度もキメるアラベスクは、狩りに来て自分を捕えようとする王子から飛び去って逃げたいのだけれど、半分人間に戻ってしまっているので飛ぶことができない苦しみそのもの。
わが身の不幸と孤独をを嘆きながら、すこしづつ王子に心を開いて、その愛の告白に心を動かされながら明るい未来を信じ切ることはできないで終わる第1幕2場。
儚げなオデットはうって変わって、妖艶なオディールに変身して王子を誘惑する第2幕。
裏切られた悲しみと苦痛を訴えて、マハリナがもつ悲劇的な感性が炸裂する第3幕。
マハリナが登場してからは、"マハリナ歌舞伎"とまでいわれた名プリンシパル舞踊手が全身で表現する情念の物語に、ひたすら酔うことになるのでした。
実人生でもそうですが、人間は嘘をつきます。言葉が感情を裏切るのは、よくあることです。でも身体言語は、嘘をつけない。口では好きと言っても、身体は引いてるというのはよくあることです。
言葉を奪われたダンサーたちは、ボディですべてを表現するしかありません。だから、名ダンサーと言われる人たちは、ボディで語ることができるのですね。
それだけに、顔のアップと言葉でごまかせる映画やTVよりも、名ダンサーたちの演技はドラマティックな迫力に溢れているのです。
本家本元はソウルフルなの
西洋のバレエ愛好家がこの『白鳥の湖』を見に来て、ハッピーエンドで終わるのは間違ってると文句をたれます。でも、普通の人々は、エンディングにいたるまでのソウルフルなドラマに満足しています。
世界中のバレエ団が『白鳥の湖』をメイン演目にして、YouTubeにも多くの全幕が掲載されていますが、こんなに怪物的なアクセスを誇るのはこの動画だけ。
なぜでしょう?
それは、キーロフ(マリインスキー)劇場が、このバレエの本家本元だからです。
この作品、チャイコフスキー作曲というのは有名ですが、現在、バレエ公演の主流となっているのは、1895年初演のプティパ&イワノフ振り付け版。初演の舞台はもちろん、当時帝室マリインスキー劇場といわれたこの劇場です。
ソヴィエト連邦時代に悲劇的エンディングが禁止されて、1950年代に当時の芸術監督コンスタンティン・セルゲイエフがハッピーエンド版に改定したものが、この動画の『白鳥の湖』。現在でも70年の時を越えて、受け継がれているバージョンです。
『眠れる森の美女』のプティパ復刻版とセルゲイエフ版は両方ともマリインスキー劇場のレパートリーなので比較できますが、ステップは変わっていても音楽の解釈とか動きの抑揚は変わっていないのですね。抑揚を変更しようとすると、並みいるコーチ方が譲らなかったかったと聞いています。
マリインスキー劇場附属のワガノワバレ学校で学び、歴史的な名舞踊手を見て育ち、同劇場で地位を築いてコーチや教師なる皆様は、伝統の生き証人。彼らはその脚でチャイコフスキーやプティパの魂を後進に伝えてきました。だから、作品の魂である音楽解釈の変更は受け入れられないのだとおもいます。
舞踊手たちも同じように伝統を呼吸して育ってきたのです。だから、バレリーナたちにとって白鳥に変身するのはごく自然なこと。
だから、ハッピーエンドでもキーロフ版は魂がこもっているのだと思いました。
なんでこんなに美しいのか?
それは選ばれた人たちの精進の結晶だから。
ワガノワバレエ学校の前身である帝室演劇舞踊学校は、女帝アンナ・イワノヴナの肝いりで1738年に創設されました。メヌエットやルイ14世が得意としたバレエなどフランス的なダンスを踊るプロの舞踊団をロシアにつくるために、フランス人の教師を招いて始まったのです。
優雅な異国文化導入のための学校。生徒たちには、まず、美しく優雅であることが要求されました。
その舞踊が、ロマンティックバレエからプティパによるクラシックバレエへと変化して、高度な舞踊技術を要求されるようになっていきました。プティパは各地の民族舞踊をバレエに取りこんだという点でも革新的な振付家でした。
20世紀になってロシア革命が起こり、アグリッピナ・ワガノワがバレエというスペクタクルに対応する技術の体系的な指導方法を確立して、彼女の名を冠したバレエ学校へと帝室演劇舞踊学校は変身したのでした。
ソヴィエト連邦の体制下で、不思議なことに貴族的なバレエが民衆最大の娯楽となり、舞踊手たちは高い地位をえました。当然、全国からワガノワバレエ学校への入門希望者が殺到します。
大変に狭い門となったバレエ学校の選抜基準は恐ろしく高くなり、20世紀後半には、10歳の入学時点で「細身で頭が小さく、脚の身長に対する比率が52%で、関節の柔らかい子ども」というような選別基準になっていました。
選び抜かれた生徒たちですが、毎年の進級試験で各年度の指定基準に達していないと容赦なく退学となります。入校時点で30人いた生徒さんが、卒業時点では3人になっていたなんていうこともあります。
こんなふうにキビしいふるいにかけられて残った卒業生の中から、さらに才能ある生徒が選抜されてバレエ団に雇われるのです。
入団後も大変な競争で、朝8時のクラス稽古に始まって、コールドはマチネと宵の公演に向けた過酷なリハーサルと本番をこなして夜の10時くらいに仕事終了です。
休み時間をぬってソリスト演目のコーチングを受けたり、名コーチや新進振付家のワークショップに参加したりと、休む暇もありません。休んでいたら、昇進することも、再契約してもらうこともできないでしょう。1日ほぼ14時間、週7日の過酷なスケジュールをこなして、「○○役には□□さん」といわれて初めて、キャリアを確立できるのです。
むごい世界です。それを耐え抜いて珠玉の作品ができあがる。その苦労を微塵もみせないあでやかな舞台姿。
キーロフ(マリインスキー)のバレリーナの皆さまには、本当に頭がさがります。
とはいえ、今は昔
この動画が撮影された当時は、豊富な国家予算がバレエ学校にもバレエ団にも注がれていました。
天才的な芸術監督オレグ・ヴィノグラードフが、才能ある舞踊手をどんどん大役に抜擢し、ヴィクトール・フェドートフという名指揮者が、素晴らしい演奏を聞かせてくれていました。
バレエダンサーの身体能力は日々向上し続け、現在はヴィクトリア・テリョーシキナ、アリーナ・ソーモワ、オレシア・ノヴィコワといったとてつもないバレリーナたちが活躍しています。
とはいえ、
総芸術監督が指揮者のヴァレリー・ゲルギエフになってから、才能ある音楽家をオーケストラのコンサートやオペラに使ってしまうので、バレエの音は悪くなりました。
自由経済からグローバル化の時代になり、ワガノワバレエ学校出身でない外国人も多く雇うようになり、踊りの抑揚やしなやかな美しさもあてにならなくなってきました。
だいたい、今ではあまり儲からないバレエダンサーになるために、ワガノワに入学する男子自体が減っています。身体能力が高ければ、競技スポーツをやったほうがいいと少年たちが考えるのは、当然の流れかとも思います。
そこで、残念なことに、どんどん劣化しているマリンスキーのバレエ。とはいえ、腐っても鯛ではあるのですが…
この動画が撮影されたのは、キーロフ黄金時代の末期。
長年のファンにとっては、貴重なお宝です(涙)