エンタメ 千一夜物語

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『壊玉・玉折』夏油傑考 絶望した理想主義者は痛すぎだけど…

©芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

高専時代の五条悟と夏油傑の活躍、夏油の闇落ちを描き、作中でもコアな人気を誇るアニメ第2期『呪術廻戦 壊玉・玉折編』放送終了。「最強の2人 もう戻れない青い春」のキャッチコピー通りに、激エモい学園ストーリーに呑み込まれた人も多いようです。そこで、映画『呪術廻戦0』のラスボス役を経ても尚、乙骨憂太を抑えて人気投票4位(2021年第2回・2023年第3回)をキープし続ける夏油の魅力を読み込んでみますかと…

※表記内容を正確なものにするため、引用はコミックスから行っています。

 

 

友情・挫折・喪失の物語の魅力

※見下々作『呪術廻戦』といえば、『週刊少年ジャンプ』の看板作品。ジャンプ漫画の王道処方といえば「友情・努力・勝利」

『呪術廻戦』のパイロット版というべき『呪術廻戦 0 東京都立呪術高等専門学校』は虐められっ子の乙骨少年を中心に、ホラーファンタジーのスパイスを加えながら「友情・努力・勝利」の王道パターンを踏襲してファンを獲得。
この人気を受けて作者初の長編連載となった『呪術廻戦』。『受胎戴天』の少年院編からブレイクし始め、名作と言われる『幼魚と逆罰』から『起首雷同』等の章を経て不動の上位を確立し連載開始した『壊玉・玉折』。

 

『受胎戴天』辺りから、少年の正義感や義侠心が空回りして悲劇に繋がる様子がしつこく描かれ始めましたが、『起首雷同』まではこれも主人公虎杖悠二の成長の過程と解釈しておりました。

 

もともと、登場人物が『NARUTO』っぽいなどの評価があった本作ですが、微妙に人物の位相をずらす、逆張りするという形で
若さを肯定しつつも
はりぼての達観が
青ざめ、挫けていく様を見るのが
私達は大好きなのです。
という世界観に描き変えた下々氏は、五条過去編である『壊玉・玉折』を『0』の前日譚とすることで、「友情・努力・勝利」という少年ジャンプの黄金律を「友情・挫折・喪失」へと逆張ってきたのですね。

 

さらに、若者の「はりぼての達観」を見抜く作者の人間観察眼は、単純明快で一面的な人物像ではなく、善とも悪とも言い切れない深みのある登場人物たちとその葛藤を描き出してくる。ここに、『壊玉・玉折』という悲劇の魅力があると考えております。

 

で、『壊玉・玉折』という悲劇の核である夏油傑の物語は、『幽遊白書』仙水忍と比較されますが、ここではあえて文学史や思想史の中で捉えてみようというのが今回の読み込みの試み。本誌やコミックスのネタバレはできるだけ避ける所存です。

 

五条&夏油という陽画と陰画

闇落ちの運命を背負わされた夏油には、酷く人間らしい脆さがあって憎み切れない、青臭かった、みじめに愚かだた若い自分の姿と重なってしまう。そこが読者や視聴者にとって一番の魅力ではないかなと、考えております。

 

まずもって、五条悟と夏油傑のコントラスト、陽画と陰画というかミラーイメージみたいな対比が素晴らしいですね。


2人のルックス

フワフワの白髪に睫毛バチバチな碧眼五条は「光の子」感が半端ない。縦にばかり長くて緩やかに逆三角形のシルエットはなんとも現実感がなく空中を漂ってしまうような、天使的ともいうべきイメージが人外っぽく、近寄りがたくもあります。

 

夏油の方は長い射干玉の黒髪を結い上げて、糸目のザ日本人。耳朶環のようなピアスで仏像みたいでもあります。屈強な体躯ながらシルエットもボンタンのせいで安定の三角形ラインと地下足袋がちょっと変わったヤンキー感。我々の日常にも、いるかもしれない男前で安心感がそそられたりします。

 

出自と性格形成は

五条は呪術界の頂点である御三家出身400年ぶりの六眼と無下限呪術を抱き合わせた神童爆誕ということでめちゃめちゃ可愛がられて、深窓で育った超おぼっちゃま君。とはいえ、類稀な能力故に幼少時から懸賞首として命を狙われてきたといいます。我儘で甘えん坊だけれども尊大でアグレッシヴ戦闘民族そのものの性格形成が必然となるようなの土壌で育ってます。

 

一方、一般家庭出身の夏油は普通に義務教育を受けてスカウトで高専に入ってます。普通の環境で育てば社会性も身に付きます。
術式は4~6歳くらいで自覚するということであり、幼少期の師匠の言及もないので、かなり異質な子供として小・中学校時代を過ごしたことは自明でしょう。
自分の異質性にに気づかず過ごすには、夏油はあまりに知的ですから。何故自分は周囲と異なるのか?異質な自分の存在意義を考え続けたと推測されます。元ヤン風の外見にそぐわない聡明で内省的な常識人が出来上がっていくわけです。

 

甘えん坊で善悪判断を夏油に委ねてしまう五条と、五条を諫める立場に在ることで自尊心を擽られる異質系優等生夏油という、最強2人の一種依存的関係が必然のように生まれてくるのですね。

 

術式と人となりの対比  

五条の術式無下限呪術は、概念としてのみ存在する無限を実在化するものです。その中核をなす相手に触れることすら許さない不可侵は「アキレスと亀」というゼノンのパラドックスにより作者は説明していますが、その作用の基本的あり方は「拒絶」です。

そのメカニズムは「収束する無限級数」のようなもので、これを強化すると負の無限級数となり吸い込む力の"蒼"になり(筆者はこの説明に納得できません)、負と負の力を掛け合わせて弾く力に変た"赫"、"蒼"と"赫"を掛け合わせて仮想の質量を押し出す虚式"茈"が通常の攻撃手段となります。

膨大な情報処理を課すことで巻き込んだ相手の脳機能を停止させる領域展開"無量空処"といい、五条の術式の本質は概念的な存在、つまり"虚"により"拒"を操るのがではないかと考えています。
五条が術式展開すると周囲はブラックアウトならぬホワイトアウトのような形で廃墟・廃人と化す。近くに味方がいたら巻き込んでしまう。将に破壊特化の術式です。
そして、"虚"を操る術式はそのメカニズムを論理的に解析し、想像力で変換を加えることでどんどん強化されていく。数学や物理学のようにイマジネーションと推論で進化する美しい、ホワイトカラーな術式です。 

拒絶の術式が人間性にも影響しているようで、五条は常識を拒絶し、周囲を敬う気持ちもなく、他人の話に耳を傾けず、とっつきにくいヤンチャ坊主。とはいえ、何物にも染まらないで生きてきた彼は、同時に純粋無垢で信じた相手には生殺与奪の判断さえ委ねる素直さも兼ね備えています。

 

対する夏油の術式は呪霊操術。倒した呪霊を呑み込むことで主従関係を築き呪霊を使役する。『呪術廻戦』の世界では呪霊は実在するものです。即ち、"実在"を"受容"し使役することが夏油の術式の根幹です。 

呪霊は多種多様な能力を持っていますから、夏油の術式は破壊に特化しない広範囲なものとなります。コンバットスキルに秀でた呪霊操術使いの夏油は近接戦闘にも広範囲攻撃も突出していますが、加えて索敵・情報共有・移動・救助という後方支援機能も兼ね備えてているのです。攻撃特化の五条とのタッグは、将に"2人で最強"そのもの。
ただ術式強化は、「吐瀉物を処理した 雑巾」のような味わいの呪霊を果てしなく呑み込み続けるという苦行の地道な繰り返しで成り立つもの。とてつもない忍耐と努力を伴うブルーカラーな術式と言えるでしょう。
夏油のボンタンと地下足袋は、ブルーカラーな苦行のシンボルかもとも思います。
そして、"受容"という行為は夏油の人となりにも反映しています。
夏油のピアスは仏像に見る耳朶環に酷似しています。耳朶環は衆生の声に耳を傾けることの象徴というなのですが、それは『壊玉・玉折』を通しての夏油の周囲への対応、同級生の五条、後輩の灰原や七海、護衛対象の黒井や天内への心遣い、先輩の九十九へのリスペクトそのものです。相手の意見をよく聞いて、寄り添うように適切な言葉を投げかける聞き上手の人誑し。慇懃無礼な揶揄いに聞こえることもありますが、信頼と尊敬に足る親友であり先輩であり、女心をくすぐるモテ男だったりします。

 

まるで陽画と陰画のように絶妙なコントラストで親友コンビは描かれています。正反対だから反発し惹きつけ合う。相互補完的でありうるけれども、不幸なキッカケで離反してしまう可能性も見える、危ういバランスが見事です。

 

親友であることに挫折する瞬間

五条と夏油の親友という関係性を見ると、五条はあまりに眩く異質なのでより日常人に近い夏油に自己投影、感情移入してしまう人は多いかと思います。私も自身をあくまでも夏油側に立つ者と感じながら『壊玉・玉折』を読んできました。

 

輝くような美貌と才能を持つ友の隣に立つ能力があるのは自分だけだと確信、その友を諫める力があるのも自分だけだという驕り。それは自尊心にとってまたとない甘露です。得意の絶頂で毎日が過ぎていきます。
その一方で、何気なく才能を開花させ続ける親友に比較して、努力の末にやっと対等になっている自分という自覚も意識下にあり、不可解な不安を抱えていたりもします。

 

その友人が星漿体・天内理子護衛任務で暗殺者の伏黒甚爾により惨殺される瀬戸際で呪力の核心を掴み、それまでは無理だった"赫"や"茈"も打ち出せるようになり、甚爾を成敗してしまう。

日々呪霊を吞み込んで苦しい努力を続ける自分など眼中になく、不可侵や自己修復の反転術式をフルオートで出し続けることを可能にし、将に"独りで最強"になってしまう。

なんという苦しい体験でしょう。

何とか並んでいた親しい友がグンと成長して格の違いをっ見せつけられてしまう瞬間。学業や芸術などの厳しい競争環境の経ていたら、似たような経験はあると思います。
自分の劣等を認める苦しさ、嫉妬が絡んで自己嫌悪に陥ることもあるでしょう。時には、この差異への気づきがその道を諦めるしかないような挫折の経験になることもあります。

片方が挫折しきった能力的なライヴァル関係というのは歴史上の好例がありません。なぜなら、敗北したライヴァルは歴史から消え去ってしまうから。

例えば、カルタゴの将ハンニバルとローマの将スキピオ・アフリカヌスはライバルと言われ、スキピオは優れた戦術でハンニバルの無敵と言われた象軍を下してポエニ戦役を勝利に導いています。が、2人がライヴァルとなったのは戦場の立場ゆえ。その地を離れて遺恨を残すこともなく、後に再会して談笑したと伝えられてさえいます。

置いて行かれたライヴァルを史上に見出すことは、はなはだ難しいのです。

 

夏油の場合五条の最強化を自らの挫折と捉えないことも可能だったはず。
虎杖の成長に対して同級生の伏黒恵は、「俺も強くなる すぐに追い越すぞ」と相手を自分の成長への動機づけにするという建設的な受け取り方をしています。
神童から神がかった天才へと開花していく五条は、夏油にとって追い越せる存在には程遠いものではありますが…
五条の術式は自己中心的で攻撃特化、救うこと生み出すことには向いていない。受容し救い、新たな能力を絶え間なく備えていく自らの術式の優秀さを肯定することができれば、五条のサポート役として自分を肯定できれば、夏油の疎外感は爆上がりすることはなかったでしょう。

破壊的パワーを能力の目安とする視野狭窄これが五条との関係性で夏油を苦しめたものだと強く感じます。

 

世界観による敗北

一見すると能力差が明白となって夏油が置いていかれたと理解できる夏油と五条ですが、それ以上に世界観、認識において五条に後れを取っていたとも考えられます。


一般人出身で内省的な受容の人であり、吐き気を催させる苦行によって成長するしかない夏油は呪術師としてあり続け、力を行使するにあたり、強力な理由付けを必要とします。
ここで出てくるのが「"弱者生存"があるべき社会の姿 弱きを助け強きを挫く呪術は非術師を守るためにある」という思想。真に立派な認識論哲学に基づく倫理思想です。

対する五条の言葉は「それ、正論? 俺、正論嫌いなんだよね 理由とか責任とか乗っけんのはさ、それこそ弱者がやることだろ ポジショントークで気持ち良くなってんじゃねーよ」 

五条は力の行使に理由付けなど必要としていません。生まれ持った力だから行使する。 行使すべき立場という意味付けを考えることすら拒否しています。
自分というものに対する価値判断やポジションを必要としない生き方。西洋思想でいうと、「実存は本質に先立つ」という実存主義的力の行使ですね。

死の淵から帰って覚醒、伏黒甚爾討伐に当たった時も、五条は殺された天内の復讐という理由付けを必要としていませんでした。
「ごめん天内 俺は今 オマエのために怒っていない 今はただただ この世界が心地良い 天上天下 唯我独尊」
天上天下唯我独尊」に関して下々氏は、「不遜っぽい使い方が好きです」と語っていますが、本来の仏教的意味だと「この世ににただ一人の、何もにも代わりえない人間として、(富、家柄や地位など)付加価値も必要もなく、私は在るだけで尊い」という悟り。バリバリに実存主義しています。
実存主義の先駆と解されるニーチェにおいては、「知ること」即ち「認識論」と「倫理主義」で生き詰まっていた西洋思想に対するアンチテーゼとして、「知ることを拒絶する生の哲学」としてこの思想が生み出されたのですね。

 

つまり、五条の実存主義は夏油の旧弊な倫理思想を既に止揚していた。五条は果てしない自由に向けて開かれており、それゆえに天井知らずの成長を遂げえた。とも考えられるのです。

数学・物理学・化学の進歩を前に死に体の哲学ではありますが、作品考察の一視点として、思想史的観点はまだまだ面白い切り口ではあると考えます。

 

高いEQが目撃しなければならなかった悲劇

夏油の躓きの理由として、彼のEQ(Emotional Intelligence Quotient)の高さもあるでしょう。

EQというのは心の知能指数。人の感情や心の働きを察して理解し、自分の気持ちは上手にコントロールして円滑な対人環境を築く能力です。

「黒井や天内に相手が欲しい言葉を自然にかけられるのも、後輩の灰原から慕われるのも夏油の高いEQあってこそ。

 

星漿体であるために自分の人生を諦めていた天内を

「理子ちゃんがどんな選択をしようと 君の未来は私たちが保障する」と励まし説得し
「もっと皆と一緒にいたい」という本音を、生きる欲望引き出し
「帰ろう、理子ちゃん」とてを差し伸べた夏油に、理子が満面の笑みで「うん」と答えてその手を折ろうとした瞬間、その生命を一発の銃弾が奪ってしまう。

罪のない中学生の少女の命が目の前で奪われてしまう。人生を取り戻そうと決意したその瞬間に散ってしまう。惨い経験です。

 

呪術師特有の屈折ががなく「自分にできることを精一杯頑張るのは 気持ちがいいです」と、何処までも前向きな後輩の灰原が産土神信仰から生まれた呪霊祓除に失敗し、下半身を捥がれて殉職する。その死体も夏油は目撃せざるを得ない。
真面目に任務に取り組むほどに、仲間の屍の山を築き上げていく術師という職業の業の深さ
に気づいてしまうのです。

 

どちらの場合も立ち会うのはドライな五条ではなく、EQが共感能力が高い夏油だったというのは皮肉な不運です。
「○○さんが××で亡くなった」という事実を伝聞で認識するのと、生命の消える瞬間や無残な死体を目にするのは全くことなる体験です。

後者は眼から光が失われていく様子や、触感・体温・臭気といった死の現象をダイレクトに感じることになります。死者の無念さ、失うことの辛さや怒り、罪のない者を掬えなかった絶望の実感も段違いです。

それが共感力の高い夏油に起こっていったわけですから、腸を抉るような苦痛であったと察せられます。


理想主義が破綻するとき

高専夏油が標榜する「弱者生存」「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務」という思想は美しい理想。『鬼滅の刃』煉獄杏寿郎の生きる指針であったこの思想は全うできれば万人の英雄となれるものです。

夏油君や煉獄さんのような人は、正しく寛容な強者と慎ましい感謝を持つ弱者が共存する美しい世界を「弱者生存」の先に夢見ていることでしょう。

ところが、この理想は現実世界ではあまりうまく機能しません。

何故なら、弱者も常に生存競争にさらされており、弱者なりのヒエラルキーや食物連鎖に適応しなければならないのです。
現実社会に正義の強者というものは実に希少で、弱者を搾取しようとする強者やカースト上位の弱者が満ち溢れているのですから。生き抜くためには、弱者こそ忖度まみれになって、狡猾に嫌らしく立ち回らなければならないのです。

 

予定調和的な『鬼滅の刃』の世界では悪行は基本的に鬼周りに固められていて、煉獄さんは感謝に弱者を守り切って感謝されながらあの世へと旅立つことができました。

ところが、「全くの善人も悪人もいない(芥見氏談)」『呪術廻戦』の世界では、弱者生存の美しい調和は存在しないのです。

 

まずは、天与呪縛の存在があります。
秘術師とは比較にならない呪力量を持つ呪術師こそが強者である世界にあって、呪力0の天与呪縛のフィジカルギフテッドは因果律のバグとして、超人的な身体能力と五感を持つ例外的な存在です。
フィジカルギフテッドの伏黒甚爾は呪力による結界を通り抜け、呪力なしには見えないはずの呪霊を目視し、鬼神のような速度と膂力を持ち、水面を駆け、空に浮き、魂すら観測できるのです(後半2要素は死滅回遊編にて判明)。
呪力のない「猿」と自嘲する甚爾に親友を倒され、目の前で天内を殺され、自身も完敗して瀕死に追い詰められる。その上、取り込んでいる呪霊が面倒だからという理由で止めを刺されない。
呪力も倫理観もない殺し屋風情にここまでやられるとは、大変な不名誉。まるで因果律そのものからの嘲笑のよう。醜悪な猿への嫌悪は、瀕死の朦朧状態で聞こえた甚爾の「猿発言」がサブリミナルに働いた可能性大です。

さらに、猿への失態を挽回したのは自分ではなく親友の五条だった点も夏油の傷を深める要因となったでしょう。

甚爾を雇って、天内を殺させた盤星教信者たちの醜悪も酷いものです。自分たちの教理に反する穢れとして中学生の少女を断罪し、その死体に満面の笑みで喝采を送る。
集団の同調圧力に羊のように従い、善悪判断の思考停止状態でヘラヘラと与えられた状況に歓喜する無意識な卑劣全き善意として行使される悪意。これほどに醜悪なことはありません。
行動に意味を求めない五条には耐えられても、内省的な夏油には自分をジリジリと蝕んでいく醜悪でしょう。

 

理想家肌の青年が醜悪な世間に揉まれて闇落ちするという主題は、近代小説の草創期から繰り返されてきたものです。アベ・プレヴォーの『マノン・レスコー』に登場する騎士デ・グリューの放蕩。バルザックの『人間喜劇』に出てくる潔癖な苦学生だったラスティニャックが陥る魂の感動を失うような出世主義。枚挙はいくらでもできます。

これら現実に直面して変わり果てていく理想家の物語は、読者にも心当たりのある、普遍的な青春の一側面として需要があるということの証左といえるでしょう。

 

クールな個人主義者になりきれない男

その夏は忙しかった
 昨年頻発した災害の影響もあったのだろう
 蛆のように呪霊が湧いた
 祓う、取り込む、その繰り返し。祓う、取り込む
 皆は知らない呪霊の味
 吐瀉物を処理した雑巾を丸飲みしている様な
 祓う、取り込む、誰のために?

夏油が闇落ちした夏を振り返る言葉。特級術師に昇格してしまい、1人で任務をこなす多忙と孤独と反吐のような呪霊を呑み込む苦痛が続く毎日。
因みに、術師の階級は基本的に1級まで。特級というのは単独で国家転覆可能な力に達してしまった術師に与えられる異常値のカテゴリー。
なので、呪霊祓除程度は単独任務となるわけです。
とはいえ、夏油はまだ17歳の少年。あまりにも過酷な労働環境であり、心を病むのが当たり前くらいの状況でしょう。

こんな苦行を何故彼は続けていたのか?何故、誰にも苦悩を打ち明けることができなかったのか?

 

真面目で責任感と矜持が強い夏油の性格が相談することの足枷となったのでしょう。
特級という呪術師の最高位に達してしまった少年は、周囲の大人術師よりはるかに強い。それに見合った責務遂行を五条はしている。自分も周囲の鑑となる行動をするべきだ。自分が弱音を吐くわけにはいかない。

という形で休む暇もなく、抱え込んでしまった。その結果として精神も身体も疲弊し消耗した鬱状態となってしまっていたかと察します。
真面目な人ほど陥りやすい状況です。

 

例えば、灰原の死を目前で体験した七海
もうあの人(五条)一人で良くないですか?」と嘆息し、呪術師になる未来を見切って卒業後はサラリーマンに転身してしまう。ほとんどの術師が2級までで頭打ち人る中、1級になる能力を持っていても彼はその責務にさっさと見切りをつけてしまう。
この、北欧人らしい個人主義が七海に選択の自由を与え、成熟した大人になってサラリーマンも呪術師も「労働はクソ」という諦観を持った上で、「やりがい、生きがい」を求めて呪術界に戻ってくる

この個人主義的思い切りの良さと社会経験が、子供を守る大人という健全な思想を貫ける呪術師七海が出来上がったのですね。

 

真面目過ぎる夏油には、こんな責任回避はできない七海が七海自身を見切る言葉さえ、「必要なのは五条さんだけ。あなたは必要ないのでは」という夏油自身の無力さ、不要性への内なる批判の声のように解釈してさらに落ち込んでしまうことになったのでしょう。

 

こういう抱え込み過ぎて病んでいく人、日本には結構いますよね。
本当に夏油は逃げ場のない男です。

 

皆殺しのイデオロギー

それでも、特級術師の九十九由基と出会うまで夏油の苦悩に出口はなかったのです。

この時点では、特級は五条と夏油と九十九の3人しかいなかったのですが、九十九は呪霊を祓う対処療法ではなく、呪霊の生まれない世界をつくるという原因療法を探求する研究者肌の異端児。その手段として九十九は、全人類から呪力を無くすか、全人類に呪力をコントロールする力をつけさせるかの2択を考えていたのです。

九十九の壮大な論説に夏油が思わず吐露してしまった嫌悪からくる言葉。
じゃあ 非術師を 皆殺しにすれば いいじゃないですか」が
夏油君 それは"アリ"だ」と、数ある仮説の一つとして九十九に肯定されてしまった瞬間の夏油の戸惑い。研究者である九十九は思考の盤上にできるだけ多くの選択肢を揃え比較検討したかっただけ。
「…それが一番イージーだ。…だが 残念ながら 私は そこまで イカれてない」と、選択肢から除外した上で
「非術師は嫌いかい」と質問してくる。ここで夏油の重要な自問が語られます。
呪術は 非術師を守るために あると考えてました。
 でも最近私の中で 非術師の… 価値のようなものが 揺らいでいます
 弱者の尊さ 弱者の醜さ
 その分別と受容が できなくなって しまっている
 非術師を見下す自分 それを否定する自分
 術師という マラソンゲーム その果ての 映像が あまりに曖昧で
 何が本音か 分からない

血を吐くような告白です。この相手が人間味溢れる教育者の夜蛾であったら、夏油が追い詰められいることを悟って、しばらく現場を離れて休息を取るか、場合によっては術師を断念するかまでの忠告をしてくれたかもしれません。
ですが、告白の相手は研究者である九十九でした。研究者の公平な視点で、彼女はいかなる可能性も否定せず、判断を夏油の自由意志に委ねてしまった。
夏油にとっては人生の分岐点となる告白が、研究者の九十九にとってはあらゆる可能性を吟味する知的遊戯であったにすぎないのですね。

これも知識人を標榜する人に人生相談をしてしまった時にしばしば起こる弊害です。相談者は血の通ったアドヴァイスを求めているのに、知識人はあくまでも対象との間に距離を取り、あらゆる可能性を列挙することで自己満足してしまう。
相談すべき年長者としては、九十九は最も不適切な相手でした。

これまでは心情的なモヤモヤに留まっていた非術師嫌悪が「秘術師皆殺しによる社会変革」というイデオロギーになっていく悲劇的な転換点を九十九は提供してしまったわけです。

 

さらに、九十九は去り際に天内の死に触れる。
星漿体のことは 気にしなくていい
 あの時 もう1人の星漿体がいたか
 既に新しい 星漿体が 産まれたのか
 どちらにせよ 天元は 安定していると
九十九としては、夏油と五条の任務失敗への労いの言葉だったのだろう。
だが、命がけで守ろうとし守り切れなかった少女の死への悔いに苛まれてきたであろう夏油は茫然とショックに陥ってしまう。
巨大な因果律を守ることで安泰と繁栄を得る呪術界にあって、一介の術師も星漿体もただの捨て駒。個々の死は大勢に影響はない。努力にも個人の思いにも意味はなかったのです。
だいたい、旧来の権益にしがみつく体制というのはそんなところです。夏油も呪術界の諸悪の根源である総監部の腐敗に憤ることができたら、五条とともに体制改革の道を歩むができだろうにと、ひどく残念に思います。
権力の腐敗でなく、弱者の醜悪と彼らを抹殺するイデオロギーが病んでいる夏油の精神には残ってしまった。疲弊した人間の思い込みとは恐ろしいものです。

 

頭脳明晰で潔癖な青年が人生の壁にぶつかり、根深く持っていた優性思想から卑しい劣等者を排除することこそが社会正義であり、あるべき社会を実現するイデオロギーであると確信し行動してしまう。例えばドストエフスキーの『罪と罰』におけるラスコーリニコフの金貸し老婆殺害のように、これもまた、文学史の中に厳然と存在するプロトタイプなのです。

 

離反-村民鏖殺から親殺しへ

あの日から 自分に 言い聞かせている。
 私が見たものは 何も珍しくない 周知の醜悪。
 知った上で私は 術師として 人々を救う選択を してきたはずだ。
 ブレるな 強者しての責任を果たせ

盤星教の狂った信者たちの醜悪を目にして以来、夏油は上のような述懐で自分を戒めてきました。
とはいえ、この忍耐が崩れる日が来てしまいます。
住民112名の閉鎖的な限界集落に祓除に行った夏油は、村内の神隠しや変死を引き起こしているのが呪力のある双子の幼女だと村人が決めつけ、監禁し虐待しているのを見てしまいます。
恐怖に駆られた弱者たちが、さらに弱い立場に在る者たちに怒りや恨みをぶつけて暴虐の限りを尽くす。周知の醜悪の典型的な例です。

ですが、これが引き金となって夏油は醜悪な弱者の殲滅へと方向転換、幼女を救って村民を皆殺し、さらに自分の両親をも殺害して呪術界に反旗を翻します。

 

何故、罪のない両親を殺害したのか?非術師殲滅に舵を切った以上、自分の両親だけ「特別」扱いはできいないと、「もう私の家族は あの人たちだけじゃない」と、夏油は理由を尋ねた五条に言い放ちます。
非術師を害する呪詛師となり、これからは呪詛師を家族としていくと、夏油は暗に宣言しているのです。

悪意に満ちた村人たちの殺害には意味はあったかもしれません。でも、善良な存続殺害には、自分で自分の退路を断つという以外に意味はないのです。
村人を鏖殺しても、迷いはまだあった。それを自分から断ち切って、戻れないように追い込んだということでしょう。

 

新宿で再会した際、
秘術師殺して 術師だけの 世界をつくる
 無理に決まってるだろう」と言い募る五条に
傲慢だな 君になら できるだろ 悟
 自分に できることを
 他人には 『できやしない』と言い聞かせるのか?」と、夏油は反論します。
 

非常に偏った見解です。五条悟に非術師の皆殺しの能力はあっても、術師だけの新しい世界を生み出し導いていく力はありません
産業も経済も政治も、そんな変更をかけられるほど単純ではないというのは、小学生にも分かることでしょう。それでも視野狭窄に陥っている夏油には分からない。

 

とはいえ、とても本質的な質問を五条に投げかける。
君は 五条悟だから 最強なのか?
 最強だから 五条悟なのか?
「天元を呪術界を守護するというポジションを与えられた五条家に生まれ五条はと無下限の抱き合わせである五条悟。即ち因果律の守り手として最強なのか?」それとも、「最強ということだけがアイデンティティの男であるにすぎないのか?
私はこのように、夏油の質問を解釈しています。最強は責務なのか?エゴイズムなのか?と。

多分、五条悟が初めて向けられた存在論的疑念であったと思います。当然五条は答えられない。彼にとって、最強は当たり前のありようだから、何故最強なのかなどと考えたこともないのでしょう。
自分の在り方に疑問を持つ男夏油と、与えられたものを享受しているだけの五条はここで決定的に道を違えたと言えるでしょう。

 

殺したければ 殺せ
 それにはで意味があると言って、夏油は立ち去ります。
五条という存在に疑念を呈し、彼とはとは真逆の道に向かう、処刑対象の悪となることを受け入れる。そうやって同じ土俵に立つ。

これは、置いて行かれた親友が自ら決別を選んだ瞬間であり、再び友に並び立つ逆襲でもあったのでしょう。

 

優しく考え深かった真面目な男が、精神を削られて闇落ちしていく。
なんとも、悲惨な成長物語です。

 

狂いきれない男

闇落ちした後の夏油は、いっそのこと清々しい悪党となっています。
反対者(天内殺害の首謀者でもありましたが)を虐殺し、盤星教を乗っ取って、高度なEQで詐欺まがいの祓除を行って信者を集め、金と権力を手に入れます。

ところで、夏油は悪を極めた成功者になれたのでしょうか?
『呪術廻戦0』を見ると、どうもそうではないようです。 

非術師達をうまく操り富は得たものの、夏油の思想に賛同する家族となった呪詛師たちはほんの一握り。これでは革命は起こせません。術師達を納得させて初めて、理想世界が立一握りなのかのに大きなコミュニティを作るには至っていません。
何故一握りなのでしょうか?新しい家族たちは夏油傑という類稀な男に惚れ込んでいるのであって、共通の未来に賭けているようには見えません。学生時代の五条が夏油に夢中だったように、彼らも夏油に夢中なのです。
引き取って育てた双子も、夏油を盲目的に崇めているだけで、共に理想に邁進する存在には程遠い。
「大好き 大好き 大好き」
男性として最愛であっても、師ではないのです。

乙骨憂太が従える特級過呪怨霊、祈本里香を手に入れるために始めた百鬼夜行ですが、里香を手に入れても、彼女にできることは大規模な破壊だけ。新世界の構築には何の意味もないのです。

百鬼夜行の夏油は戦わずして負けていた。映画序盤の夏油は、狂った大敵のように振舞っていましたが、本心では自分が道を違えたことに気づいていたようです。

五条と袂を分かっても身に着けていた五条袈裟。呪術界を改革するために五条が教育の道を選び、育てた「強く聡い生徒たち」。その生徒たちを殺す意志はなかった夏油。
呪術師が消費されない世界をつくるには、時間がかかっても五条のやり方の方が適正であったのでしょう。

乙骨の学生証を大事に拾っておいた時点で、夏油は既に負けていたと言えるでしょう。

さらに、自分に止めを刺すのは五条だと知っていた。五条の手にかかり

「はっ最期ぐらい呪いの言葉を吐けよ」という言葉を残して、寂しい笑顔でこの世を去っていきました。

結局、夏油は狂いきることも悪に成りきることもできなかった。やさしい真面目人間の理由ある反抗が止まる機を逸したのですね。

 

痛ましい、挫折した理想主義者の敗北です。
だから七海も夏油のことは「責める気になれない」と語り(『ファンブック』より)、五条も「僕の親友だよ たった一人のね」と、言い続けることができたのでしょう。

 

そして、心ある読者や視聴者も夏油の姿に、潔癖で視野狭窄だった若い頃の自分が犯した数々の愚行や壊滅的な選択ミスを思い起こし、痛みを共有してしまうことになるのでしょう。
愚かであるとは思っても責める気にはなれない悲しい青年。責めると苦しいばかりの自分の間違い。それが共振するので、夏油を憎めない、どこか共感してしまうのでしょう。

 

最後に

さんざん考察されつくした漫画やアニメを、なぜ勿体つけて語るのか?と、思われる方も多いかと思います。
ですが、私としてはあらゆる物語には読み解くべき価値があり、学びがあると確信しています。

 

自分を少しでも優秀であると自負した経験を持つ人なら、周囲を愚者と蔑んだ経験があるでしょう。それを苦い経験として反省し共にあることの尊さを学ぶか、肯定して次のステップに進んでしまうか?
夏油の問題を読み解くことで、その分岐点を理解し人としてあるべき方向を模索する。それは、今ある世界を直視し、緊急の課題を解くことにも繋がると思うのです。

例えば、1960年には約30億人だった地球の人口は現在の80億人を突破しています。聡明で冷徹で資産とコネクションを持つ人物が、これをSDGsの観点から不適切と見なし30億人まで削減しよとしたら、それを可能にする化学技術も存在するのです。

ですから、夏油のような優性思想を持つ人物の心理、醜い弱者の行動心理を観察し、その人格や行動のプロトタイプを現代社会の分析に用いて我が身を律するのは有効。むしろ必要なことなのです。

コロナ禍が始まった頃、感染者を責める風潮が蔓延しましたが、これなども弱き者が恐怖にかられた保身の醜悪の典型例でしょう。
恐怖からくる保身は害悪を齎しますが、それに影響されることで自分も視野狭窄に陥り
生殺与奪に関わる間違いを犯すこともあるのです。

 

身近にあるものを読み、社会生活の歪みを分析し、何が起きているか知る契機にする。思考することを諦めない。

偉大なるリセットが目されている今日社会では思考を諦めない、あらゆる機会に思考実験を行い続けることが、生き残るために重要なのだと確信します。

深読みいたしましょう。

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