エンタメ 千一夜物語

もの好きビルコンティが大好きな海外ドラマやバレエ、マンガ・アニメとエンタメもろもろ、ゴシップ話も交えて一人語り・・・

ハンニバル3.08『レッド・ドラゴン ~序章~』自身から遁走する男たち 深読みネタバレ

ハンニバルの敵役の中でも人気の高いレッド・ドラゴンことフランシス・ダラハイド。マイケル・マン監督の『刑事グラハム/凍りついた欲望』として、ブレット・ラトナー監督作品として映画化も2回。『ハンニバル』第3シーズン後半として満を持してドラマ化。ブライアン・フラーのお手並み拝見です。

 

 

変身に憑かれた男ダラハイドとウィリアム・ブレイク

カフェに一人座りタイムズ誌の『ウィリアム・ブレイク特集号』を読む男。その表紙には、禍々しい絵画『The Great Red Dragon and the Woman Clothed in Sun 巨大な赤い龍と太陽を着た女』。因みに今回のエピソードの英語タイトルは『The Great Red Dragon』。『巨大な赤い龍』という絵画に対する偏執はダラハイドの核でもあり、書籍の表紙にもなっています。

ですから、第3シリーズ後半はブレイク作品へのオマージュとしてその世界観を反映し、後半タイトルはブレイクの作品由来になるんですね。
ブレイクは18世紀を代表する幻視者と言われ、善悪、天国と地獄、天使と悪魔といった2項対立の一方が否定されるものではなく、互いに活性化しあうものという世界観を詩や絵画により表現していきました。将にハンニバルとウィルのが打ち消し合うのではなく、対立しながら刺激し合うというドラマ世界の根幹と重なり合うものなのです。

 

で、視聴者はこの男がレッド・ドラゴンことフランシス・ダラハイドだと察するわけですが、彼の存在の不気味さは秀逸。

まず、アップになる手の動きに軟体動物みたいな、爬虫類的なキモさがあります。
筋肉の強化運動もただならぬ雰囲気。腹筋してるのにウネウネと筋肉が動くんですね。まるでネコ科の猛獣です。
ブレイク好きのアタシとしては、この人の超有名な詩「虎」を思いだして、役作りの深みにゾクゾクするわけです。

Tyger Tyger, burning bright,        虎よ!虎よ!煌々と
In the forests of the night;      夜の森で燃え輝くものよ
What immortal hand or eye,      如何なる不滅の手と眼が
Could frame thy fearful symmetry? お前の恐るべき均整を作り得たのか?

詩の冒頭だけ抜き出してみました。神聖なまでに猛々しい夜の捕食者のイメージが強烈です。ダラハイドのパワー指向にも合ってますねえ。
懸垂から口を開くところは虎のようでも蛇のようでもあり、脱構築したようなダラハイドの身体ムーヴに魅せられます。

 

ダラハイドは妖し気なチャイナタウンの店で刺青を入れ、歪んだ入れ歯を入手します。着々と進む肉体改造。
自宅ではシルクの着物を纏うダラハイド。それを脱ぐと背中には赤い龍の入れ墨。その部屋には『巨大な赤い龍と太陽を着た女』が飾られて...

 

ダラハイドが巨大な赤い龍へと変身することに憑りつかれているのが短いシーンでビシッと描かれ、見事な登場に感心しました。

 

さらに、割れた鏡の前で発声の練習をするダラハイド。彼が口唇裂のために発語の障害があること、割れた鏡からそういう自分を見たくない、劣等コンプレックスを抱いていることが分かります。そんな自分から逃げて、ドラゴンへの変身に憑りつかれているのだと。

 

そのダラハイドが満月の雪原で、血塗れの半裸で怪鳥のような雄叫びを挙げる。劣等感で抑圧された男ダラハイドが人々を鏖殺するドラゴンに"成った"というか、変成を始めたことが分かる、象徴的なシーンでした。 

 

リチャード・アーミティッジの起用と舞踏

ダラハイド役に起用されたのはリチャード・アーミティッジ。ダラハイド役を演じるに当たって「舞踏」の動きを取り入れたとういうのは有名な話。

日本発の「舞踏」ですね。土方巽氏が1960年代に創始し、肉体の歪みや病苦の痙攣、死体の硬直を表現した「暗黒舞踏」が1980年代以降山海塾などを経て洗練され、国際的に受け入れられた身体の脱構築的コンテンポラリーダンスが「舞踏」という説明で良いかと思います。
※暗黒舞踏に関しては土方氏の舞台をライヴで見ないと始まらないので、幸運にも最後の舞台に間に合った観衆として私見を書いております。

土方氏のドロドロした日本の怨念みたいなものは浄化されてしまいましたが、それでも西洋人が舞踏の動きを取り入れると、とてつもないインパクト。

 

アーミティッジ凄い!となるわけですが、アーミティッジはメソッド俳優なんですね。 自分の経験からキャラの心情を引き出して、役柄に全没入するメソッド演技。撮影期間中もずっとキャラのままだったりというメソッド俳優さんの難儀な役作りは有名ですね。
で、元ダンサーのマッツ・ミケルセンはメソッド嫌い。重いシーンの合間にフレッド・アステアの真似したりしてる奴なので、2人のソリはどうだったんだろうなんて、時々考えたりしちゃいます。

 

2023年現在アーミティッジもカムアウトしているので、起用の際の裏ゴシップなど語りますかと。

ブライアン・フラーはお気に入りの俳優を繰り返し使う製作者。フラー組ともいうべき俳優さんたちがシッカリいるのは定説となっております。
その中にリー・ペイスがいます。ブライアンが「最もクイアーなドラマ」と自画自賛している『プッシング・デイジー 〜恋するパイメーカー〜』の主演を務めたのがリー。アン・ライス作の『ヴァンパイア・クロニクルズ』の企画が出た時に、リーをルイ役(映画ではブラッド・ピットが演じた)に激推ししたというくらいのフラー組。

で、リーは『ホビット』の共演者イアン・マッケランに2014年にアウティングされておりました。
その『ホビット』でブレイクしたのがリチャードで、2人のお付き合いがここから始まったという噂が当時界隈を賑わしてましたっけ。イケメン大物俳優のカップル誕生に沸き立って、米国ゲイの5chみたいなとこにデートの目撃情報とか同棲憶測情報とか、凄い数のスレがたっておりました。

『ハンニバル』シーズン3終了後しばらくしてリチャードはイギリスに帰り、ロマンスは消えてしまいました。リーの方はバイです告白した後に、トム・ブラウンブランドの重役マシュー・フォーリーさんとお付き合い、今では結婚しています。
リチャードの方はもっとグダグダしていて、今年になってからやっと彼氏がいることを認めました。

 

このゴシップから何が言いたいかというと、セクシュアリティが曖昧で(ここは該当エピの深読みで説明します)アイデンティティに悩むダラハイドを、セクシャルアイデンティティの公言を憚るリチャードに振ったというのはメソッド的に不安定な精神状態の表現に寄与する、実に見事な采配だなということです。

 

記憶の宮殿に住まうハンニバル

このシリーズではお馴染みのノルマンニ教会でモーツァルトの『アレルヤ』を歌うボーイソプラノ、まさに天使の歌声に聴き入るハンニバル
いつに変わらぬ優雅な暮らしぶりですが、何故か髪が短い。

 

現実ではFBI行動分析課で身体検査を受け、3年間ボルティモア州立精神病院に収監されている。白を基調としたアパルトマンの内装のような室内に書庫もついて、独房とは思えないエレガントで瀟洒なのセルだけれど強化ガラス張りで24時間監視体制。
自由はない。だから彼は記憶の宮殿に退避して、無聊を慰めていたのですね。

 

シーンは心療室に変わって、白トリュフをつまみにバタール・モンラッシェをアラーナとともに嗜むハンニバル。
現実では、独房の強化ガラス越しにアラーナと向き合っているのです。カッチリした赤いスーツに身を包み髪を纏めたアラーナは、猛禽のような眼光でハンニバルに挑むように語ります。
殺害時点でハンニバルが心神喪失の状態だったという訴えが通り、死刑求刑を免れたこと。被害者の血を混ぜたビールを飲ませられていたトラウマで、ビールが飲めなくなったこと。精神病理学会では、ハンニバルは人外、怪物と見なされていること。アラーナとしては、ハンニバルはあらゆるカテゴライズに当てはまらないと考えていることなど。
ハンニバルの方は「自分は狂っていない。(マーゴとの)約束は守る」と。メイスン殺しの罪を被るという約束ですね。この約束があるから、囚人とはいえない厚遇を受ける裏通り引きがアラーナとの間にあったのでしょう。
話しながら、アラーナをボッティチェリの「剛毅擬人像」に寄せてハンニバルはスケッチしています。

ボッティチェリの画面にかつて素描されたのはべデリアとウィル。2人ともハンニバルから美しいと認められた上でカニバルの対象と見なされた人物。

 

アラーナの挑戦的、威圧的な態度からして、自由を手に入れたら彼女をハンニバルは食べる予定なのでしょう。ハンニバルとの取引は恐ろしいと、ゾッとした素描でした。

 

チルトンの空しい名声

白い液体に溶け込んでいく黒ずんだ液体の、少しばかり禍々しい映像。と思ったら~~

ハンニバルは独房に招いた前ボルティモア州立精神病院院長フレデリック・チルトンにナポリのデザート「サングイナッチョ」を供していたのでした。  
ここに出てくるサングイナッチョは、牛の血とアーモンドミルクをベースにしたダークチョコレートのプリン。
「伝統的には豚の血を使う」なんて説明を加えるところが、なんともハンニバルらしい。家でふるまってた時は、人の血だったんですね。
引き気味のチルトンに、「胃にやさしい」なんて勧めてます。

犯罪ノンフィクションのベストセラー『Hannibal the Cannibal 食人鬼ハンニバル』の作者になっているらしいチルトン。タイトルの付け方なんかを講釈、次の著書は"Tooth Fairy 噛みつき魔"に関するものだと告げます。

彼はあなたより広い層にアピールしますからね。あなたはファンシーな韜晦とけたたましい美学でニッチなアピールがあるでしょうが、彼の行為は普遍的なんですよ。一家まるごと、その家で殺しますからね。アメリカンドリームの核心を攻撃してるんです」と、長年の不運の元凶であるハンニバルを挑発します。

He is the debutante. 彼は社交界にデビューしたての少女みたいなもの。
More of a shy boy, this one. どっちかというと、シャイな坊やだね。
鷹揚に流しているようですが、ハンニバルはこの新参殺人鬼ご機嫌斜めですね。いつも犯罪者たちを坊や呼びしてますが、今回は「 debutante社交界にデビューしたての少女」まで言ってます。馬鹿にし具合が半端ない。

やっぱり、Tooth Fairyという呼び名から連想しるんですかね。この呼び名、犯人が死体に噛みついた痕跡を残すことから付けられたものなのですが、ドラマではなかなかその描写がありません。

ところで、tooth fairyっていうのは歯の妖精のこと。西洋の言い伝えではは抜けた乳歯をコインなんかの贈り物に変えてくれる妖精です。Fairyって、長い間女性的なゲイたちに浴びせられてきた蔑称でもあります。
だから「彼もその呼び名は嫌だろう」なんて言いながら、ネガティヴな意味にひっかけて debutanteなんて呼ぶとは意地悪が極まってるハンニバルです。

 

ハンニバルとの会食が終わったチルトンは、院長室の立派な椅子にふんぞり返っています。アレ、院長の座は追われたはずなんだけどと思っていると~~

やって来たのはアラーナ、「私の椅子に座るんじゃない」と、チルトンを追い立てます。ハンニバルを封殺する新院長は彼女だったんですね。凄い出世です。ヴァ―ジャー家の財力があれば、不可能はないってわけですか。

ハンニバルを檻に閉じ込めた功績を自分たちの手柄として寿ぎ、アラーナを味方につけたいようですが、「私たちは虚偽を申し立てたのよ」と、アラーナは拒絶します。
アラーナはメイスン殺しの件もありますから、ハンニバルが有利にるような偽証は当然してるでしょう。
「あなたは嘘だらけの本を書いたでしょう」
『食人鬼ハンニバル』のことでしょうか?チルトンのことですから、センセーショナルなハッタリエピソード満載で、とにかく売れる本を書いてるでしょう。
「あなたの嘘っぱちなんて、簡単にハンニバルに出し抜かれるわよ。あの人、『米国心理学会報』に素晴らしい論文を書いたのよ』
「あいつはいつも、自分の問題と関係ないことを論議してるだけじゃないか。囚人の言うことなんて相手にされないさ」と見通しの甘いチルトン。
「私たちの業界では、あの人は何したって注目を浴びるわ、フレデリック。痛い目に合うわよ」
アラーナはチルトンよりもハンニバルをよく知っています。明晰な頭脳も名声も恐ろしさも。憎んでいてもハンニバルの力量は認めている。賢明ですね。
「気をつけるさ」なんて気安く噛みつき魔に関する本の執筆予定を語るチルトン。
The Young Turk may inspire the Old Lithuanian to keep himself interesting.
青年トルコ人が老いたリトアニア人をインスパイアして興味を惹くかもしれないだろ。
青年トルコ人というのは1908年のオスマン帝国の革命の原動力。旧勢力に反抗する若者のことですね。つまり、ここでは噛みつき魔のこと。
ハンニバルが噛みつき魔に夢中になって、自分たちのことを忘れてくれるのをチルトンは期待しているようですね。目算の甘い男だなあ。

 

ダラハイドのエゴサーチとハンニバル

薄暗いフィルムの編集室のようなところに座るダラハイド。アナログ動画の編集なんて地味な仕事をしてるんですね。
小説『レッド・ドラゴン』が刊行された1981年にはオンな職業だったかもしれないけど、現代にもってくるとかなり無理のある設定です。

例の入れ歯から聞こえる囁きの幻聴にいらつくダラハイド。一体、これは誰の入れ歯なのか?気になりますねえ。

どうやら、熱心にエゴサーチしてスクラップまでしているダラハイド。老婆と少女が写った古い写真が載るページ。誰なんでしょうか?この老婆が、囁く入れ歯のオリジナルとなった人物でしょうか?気になりますねえ。

 

自分の犯行を伝える新聞記事も集めているのですね。自分の記事を"食人鬼ハンニバル"の記事の横に貼り付ける。ハンニバルを意識しているのですね。
だけど、そのヘッドラインにある"Tooth Fairy"の文字を塗りつぶします。やっぱり、この呼称が嫌なんですね。殺人鬼の王ハンニバルに並ぶ偉大なレッドドラゴンになっていくはずなのに、矮小な歯の妖精にされるのは我慢がならないのでしょう。

 

ハンニバルも同じ記事を切り抜いています。彼の場合、何かの目論見がない限り坊やに興味を持つとは思えない。
何やら手紙も書いている。今回は何を企んでるのか?楽しみです。

 

逃げ込んだ家庭で惑うウィル

雪深い地に立つ作業小屋、犬の群れに囲まれたウィルが作業をしています。そこにジャックが現れます。

満月なると起きる噛みつき魔による家族皆殺し事件の捜査に加わるよう勧誘しに来た様子のジャック。どうやらジャックを家に入れたくないようで、ベランダでコーヒーを出すウィル。とはいえ、事件のあらましは心得ているようです。
「そろそろモリ―とウォルターが帰ってくるから」と、ジャックが現場写真を出すのをウィルは嫌がります。
「話したくないから電話しなかった。もう僕は役にたちませんよ。もう、あんなことやれないんです」
遠くに釣り道具と魚を抱えて帰って来る、人の好さそうな女性と小学校高学年くらいの少年。これがモリ―とウォルターか、ウィルは子持ちの女性と結婚したんだなと察する視聴者。
ハンニバルの影響を逃れて穏便に暮らすには、平凡な家庭の父親に収まるのが一番。正しい判断ですね。

 

である以上は、ジャックを追い返せばいいのにディナーに招いてしまうウィル一家。「モリ―は捨て犬に弱いんだ」
モリ―を紹介する言葉は、まるで自分が捨て犬だと言ってるみたいなウィル。モリ―は、べデリアやアラーナ、マーゴといった難しい美女たちとは正反対なタイプ。平凡だけど愛嬌のある容姿。分かります。モリ―みたいな人は遠くから来た客をもてなすことなく追い返すなんてことしません。ウィルみたいにうらぶれた男が傍に来たら、面倒見てしまうでしょう。アメリカンドリームの象徴である子供のいる家庭も既に出来上がっているわけだし、ある意味、ウィルにとってモリ―はパートナーとして最適解。

なんですけど、
You have a nice life here. 良いご家庭だね」とジャックに言われて
Yeah, I'm lucky here. I know that. 今はラッキーですね。自分でも分かってます

なんて答えるウィル。ちょっと待てよお前、ラッキーなんて他人事みたいじゃないか?これは「幸せですよ」って答える所だろう。と不審を持つ視聴者。

 

だいたいね、最初から違和感ありアリなんですわ、ウィル。大好きな釣りなのに母子と一緒に行かない、独りで留守番してるの変でしょ。アビゲールと釣りする夢をいつも見てたんだから、新しい家族と行けばいいじゃないの?もしかして、本当は家族と思ってないの?

 

なんて考えてたら、何故かジャックとモリ―を残してウォルターと犬の散歩に出かけてしまうウィル。ジャックはここぞと、2家族皆殺し事件の捜査にウィルが必要だと訴えるでしょう。真っすぐな気性のモリ―は、ウィルに留まって欲しいと願っても協力することが正しいと判断するでしょ。ジャックにモリ―を説得させる計算づくなウィル。で、ジャックとの会話はその通り進行し、モリ―は諦めの表情になります。

 

ベッドで2人だけになったモリ―はウィルにキスして訊ねます。
How bad is it gonna be if you stay here and read about the next one?
ここに留まって次の事件を新聞で読むことになったら、どう思うの?
If you stay and there's more killing, maybe it would sour this place for you.
ここに留まって殺人が起きたら、あなたはこの家を苦々しく思うでしょ。
High Noon and all that.
『真昼の決闘』とかみたいよね。
High Noon 真昼の決闘』 はゲーリー・クーパー主演の西部劇の古典。主人公の保安官の名前は奇しくもウィル。新妻エイミーとの静かな生活のため、自分に復讐しようとする悪漢から逃れようとするけれども、最後は堂々の対決をするお話。聡いモリ―はエイミーのような足手まといになりたくないのですね。
「僕に(ジャックと)行って欲しいの?」お前がそう言うように仕組んだろなウィル。
「あなたが正しいことをするなら、私は満足よ」健気なモリ―。

If I go.....I'll be different when I get back.ついてったら、帰ってきた僕は別人になってるかもしれない…」そうでしょうね。捜査に加わったら、ウィルは元来の闇と悪に惹かれる人物、ハンニバルへの恋慕に戻ってしまうでしょう。
I won't. 私は変わらないわ変わらぬ愛を誓って励ますモリ―。"Murder Husbands" の呼び名でハンニバルとウィルがメディアを賑わしてることを知らないわけでもないでしょうが、真面目なウィルの日常を見て根も葉もない噂だとモリ―は思っているのでしょうか?健気だけど、目算が甘い一般人なモリ―です。

 

このシーンでも、グレアム夫妻の違和感が滲み出ますねえ。モリ―はウィルに触れるけれどもウィルからモリ―に触れることはない。これって、アラーナやマーゴといったこれまでの女性たちと何も関係性が変わってないじゃないですか?ウィルは愛の行動を起こさない。相手の欲求に受けいれているだけ。夫であり父でいて欲しいと望まれているからここにいる。アラーナやマーゴのような拒絶がモリ―にはない。だから「今はラッキー」なんですね。
おおまけに、モリ―の方から捜査協力するように言わせる狡い生き方だなあ。

夜中にモリ―が寝静まると、引き出しの奥にしまっあったハンニバルからの手紙を、暖炉の前で独り読むウィル。 
親愛なるウィル、我々は皆新しい人生を見出した。
とはいえ、物陰には過去が潜んでいる。
まもなくジャックが君を迎えに行くと懸念している。
友人として、彼が開いたドアから戻らないよう忠告する。
外側は闇で、狂気が待っているだけだ
噛みつき魔の切り抜きを同封しながら、前職にもどらないよう忠告するハンニバル。
手紙を炉にくべはしましたが、負けん気で捻くれたウィルは、ハンニバルが止めれば絶対出てくる。見事な逆心理学、さすがです。

 

ところで、モリ―役のニナ・アリアンダ、ウィル役のヒュー・ダンシーと長年の夫婦みたいに息が合ってますね。この方、2011年にブロードウェイの『毛皮のヴィーナス』っていう2人芝居で共演してるんですね。ザッハー=マーゾッホの高名な作品の翻案差宇品。勿論、ニナがSでヒューがMな関係性。2人のやりとり見てると、このダイナミックスが分かりますねえ。

 

ウィルと捜査チームの復活

視聴者の読み通り、ウィルはニューヨーク州バッファローにあるリーズ一家殺害現場にやってきます。
真っ暗な夜の家屋、懐中電灯で現場検証。って、『CSI:科学捜査班』みたいなんですけど、オマージュでしょうか?冷蔵庫にはクッキリと歯型のついた食べかけチーズ。

主寝室に入って電灯をつけると、そこには血痕の飛沫方向を辿る赤い糸の数々。ワーイ、『CSI』と『デクスター』のオマージュだよぉ!と歓喜する犯罪捜査ドラマファン。
というのは置いといて、殺害現場を見たウィルはいつも通り殺人を幻視します。
父親、母親、子どもたちの順で危害を加え、家じゅうの鏡を割り、その破片を眼や口という開口部に飾り、父親と子どもたちを床に並べてリーズ夫人だけをベッドに横たわらせて~~
I have to touch her. 彼女に触れなければ」と、犯人のデザインを語るウィル。
"触れる”がなんとも性的なニュアンスで、キモ賢いウィルの完全復活ですね。

 

元行動捜査班のメンバーだったジミーとブライアンも復職してきます。
遺体の瞳やガラス片から指紋を、前出のチーズの噛み痕から歪な歯型まで割出してしまう優秀な2人。
「陰唇に埋め込まれたガラス片からは人差し指の指紋が出た」と、ジミーがさり気なく告げます。
原作・映画ですと噛みつき魔は殺した家族を観客に見立てて夫人をレイプして噛み痕を残すと描写されているのですが、全国ネットTVドラマ『ハンニバル』では、その辺がぼやかしてます。噛み痕はチーズで見せてますし、レイプはウィルとジミーの言葉でサラッと示唆するだけ。上品に仕上げてますね。

 

再会

モーテルのベッドに横たわるウィル電話をかけるけれども誰も出ません。

分かりますよ。モリ―にかけてるんでしょ。しっかり者のモリ―に手綱を握ってもらって、闇深い元の自分、ハンニバルに会いたい自分を止めて欲しいのね。平和で平凡な日常に繋ぎとめて欲しいのね。
でもね、その穏やかな家庭生活を拒否してるのは、あなた自身でしょ。他力本願じゃ救われないわよ!と、冷ややかに見つめる視聴者。

 

翌日、行動分析班に出向いてハンニバルと会いたいとジャックに告げるウィル。
「マインドセットを取り戻したい」とか言ってますが、何のマインドセットなのか?プロファイラーとしてのってだけ?それは疑わしいですね。
相変わらず揺れてるウィルの心情。

 

髪にもシッカリ櫛を入れ、3年ぶりに独房のハンニバルを訪れるウィル。そんな、彼に見えてるのは~~

ノルマンニ教会の祭壇に白のスーツで司祭のごとく、花嫁を待つ新郎のごとく立つハンニバル。お前ら、メッチャ浪漫やんけ!と、突っ込む視聴者。
Hello, Dr Lecter.  どうも、レクター博士
Hello, Will.  やあ、ウィル

いつもの挨拶を交わす懲りない2人。愛憎バトルがまた始まるのね。

どんなに手を尽くしても、自分自身から逃れることはできない。と、諦観を得る視聴者でした。

 

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