エンタメ 千一夜物語

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ゲーム・オブ・スローンズのスゴさと最終章最大の欠陥、"夜の王"の機能不全

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8年間貯めてきた積立ファンドが半額になってしまったような、どうにもスッキリしないゲーム・オブ・スローンズの終りっぷり。デナーリスやジョン、ティリオンのキャラ展開に無理があったし~~~、地力のある役者順に死んじゃったから、最後はティリオンの語りまくりになるしかなかったし~~~、といろいろ不満はありなんでけど・・・

ゲーム・オブ・スローンズの圧倒的な素晴らしさと、どう考えても、構造的におかしいと考えられる部分を、しつこく掘ってみました。

 

 

 

 

ファンタジーとリアリズムが融合した原作

ゲーム・オブ・スローンズの圧倒的なスゴさといのは、まずもって原作『氷と炎の歌』シリーズのスゴさだとアタシは考えております。

原作のキモはファンタジーとリアリズムの統合、そして人間と人間の葛藤がさらなる葛藤を引き起こすというスキのないプロットの展開であります。

 

原作は傑作ファンタジーである『指輪物語』を下敷きにしているという解釈もありますが、作者のジョージ・R・R・マーティンは、

「アラルゴンは善良で公正な王として百年以上も統治したってことになってるが、アラルゴンの税制がどうなってたのかは分からない」

てなことを語ってます。

 

輝く純金の指輪の美しさと魔力に魅せられて、それを身につけた者たちは必ず蝕まれていく、だから指輪は破壊されなければならないというあまりにも有名でシンボリックなストーリーが、人間的欲望が諸悪の根源であるというコンセプトと相まって、単なるファンタジーを超えた傑作文学の評価が『指輪物語』には与えられていますが・・・。

マーティンは、その傑作の社会的リアリズム欠如を批判したわけです。

 

ですから、『氷と炎の歌』は『指輪物語』の批判的再構築であるわけですね。で、再構築にあたって、マーティンは『薔薇戦争』やらの豊富な英国歴史に関する知識を注ぎ込んで、ドロドロな政治的駆け引きと愛憎に満ち満ちた、革命的なファンタジーを築き上げたのであります。

 

だから、『氷と炎の歌』は、ソード&ダンジョンやドラゴンもののの人気を凌駕し、世代を超えて愛されるファンタジーとなったわけです。

 

 

ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」の魅力 

 

ほとんどのTV番組は、第1話がパイロット版として制作され、この出来でシリーズ化されたり、事前キャンセルされたりするわけですが、キャストを変えて取り直しされた第1話、映像美もキャスティングも見事というほかありませんでした。

 

冒頭、凍てついたゲートが開いて"冥夜の守人"たちが"壁"の北へと見回りに出る。温かそうな毛皮にくるまれた隊長のおボッちゃま顔と従う哨士たちの塩辛く、タフな面構え。哨士たちの黒装束の粗い毛織物のプリミティブ。

スターク家の女たちの衣装も、退色したような洗い毛織物に刺繍が施されていました。男たちが着る革のダブレットや刺し子。長旅をしてきた女王サーセイが纏う絹織物のくたびれた様子。一枚の衣装が貴重だった時代の感触が伝わってきました。

イングマル・ベルイマンとかピエル・パオロ・パゾリーニとかいう歴史的名監督たちが描いたらこうなるに違いないという、目新しいのに深層心理に刻み込まれた中世の可視化。

 

異世界の恐怖、ミステリーとともに、現実世界のリアリティが伝わる見事な映像美に惹きつけられました。

 

そして、キャスティングの見事さ。

 ショーン・ビーン(ネッド・スターク)の重苦しい存在感。マーク・アディ(ロバート・バラシオン)の貫禄。レナ・ヘディ(サーセイ)の陰影ある役作り。ミシェル・フェアリー(キャトリン・スターク)の情念。ピーター・ディンクレイジ(ティリオン・ラ二スター)の軽妙。これに、エイダン・ギレン(リトルフィンガー)、コンリース・ヒル(ヴァリス)というクセのある名優たちが絡んで・・・。

さらに、若く無名に近いけれども役柄にハマったキャラの美しい若手俳優たちは、俳優名を言うよりも役名の方がピンとくる感じで邪魔にならない。

 

充実したキャストのアンサンブルで、語られる物語に没入、堪能できたのでした。

 

第5シーズンまでは原作にかなり忠実に作られて、『氷と炎の歌』の魅力がそのまま再現されて、「ゲーム・オブ・スローンズ」はポップ・カルチャーの一大現象となったのでした。

 

原作なき後の予定調和的ドラマ展開

で、原作が存在しなくなった第6シーズンあたりから、失速しはじめた「ゲーム・オブ・スローンズ」。

 

例えば、ブラック・ウォーターの戦いに勝つためにタイレル家を引き込んだラ二スター家がタイレル家の台頭に悩まされたように、紛争の解決がさらなる紛争を呼ぶという厳しい現実を見せつけたシリーズ前半に比べて

スターク家はボルトン軍を倒して目出度し、目出度しという、超TV番組的シメに陥り始めたのですね。

 

マーティンならでは、葛藤が葛藤を呼び、紛争が紛争を引き起こすという話法をとっていれば、ジョンやデナーリスのキャラ展開も、もっと自然な流れになっていたかと思います。

 

原作には存在しない"夜の王"

さらに問題なのは、原作には出てこない、ドラマのために作られたキャラの辻褄の合わなさですね。

 

ゲーム・オブ・スローンズのファンタジーとしての巨悪"夜の王"は原作では存在しません。

存在するのは亡者とothers(他の者たち、異種の存在)だけです。彼らを操る主としての"夜の王"はいないのです。

 

人間の恐怖を最も掻き立てるのは、得体の知れない未知の存在です。

 

othersはジョージ・R・R・マーティンによると、

"are strange, beautiful… think, oh… the Sidhe made of ice, something like that… a different sort of life… inhuman, elegant, dangerous."

不可解で美しくて・・・ 例えば、氷でできたシース(アイルランドの妖精)というか、とにかく異種の生命体で・・・ 非人間的で、優雅で、危険なんだな。

 

スターク家出身で、冥夜の守人の第13代総指揮官はothersの美女に恋をして妻に娶ったといいます。

 

謎めいて美しく恐ろしい存在というのは、果てしなく人を魅了するものです。

 

それが、氷の剣を持ち鬼のような顔立ち王の姿で見えるものとなった時、恐ろしさは半減し、2頭身memeなども登場して、漫画チックになったりもします。

 

また、主を作ることで階級社会となったホワイト・ウォーカーと亡者たちは、人間同士の戦争と同様に倒すことが可能な敵となったのです。

 

 

"夜の王"の機能不全

 

ゲーム・オブ・スローンズのナラティヴでは、"夜の王"の意味付けは"氷"であり"死"であるとされていました。

"夜の王"の軍団が襲ったのは東壁やウィンターフェルという城塞だけで、ごく一般的な戦争と同じように展開したことにかなり違和感があります。

"氷と死"の猛威であれば、その襲来は城塞にとどまらず、天災のように通り過ぎた道筋に荒地や凍死、飢餓が残されていくのではないでしょうか?

 

また、"氷と死"を相殺できるのは反対の性質を持つもの、"火と生"の性質を持つものではないでしょうか?

"火と生"と言えば、デナーリス・ターガリエンですね。"氷と死"と"火と生"が出会って、お互いの性質にケミカルな変容が生じて、"氷と死"が効力を失い、"火と生"の中に"死"という悪が潜みいっとしたら、なかなか面白い意味付けになったと思います。

 

原作のothersを考えると、人間離れした美貌というところで、銀髪に紫の瞳のターガリエンを思わせます。

 

反対の性質を持つ者の相殺効果ではなく、アリア・スタークというランダムな刺客に"夜の王"があっけなく殺されて、"大いなる戦い"が一夜で終結するというのも、期待はずれなものでした。

 

さらに、ゲーム・オブ・スローンズの世界観では"夜の王"という象徴的な悪とサーセイに代表される政治的悪が並列しているのですが・・・。

"夜の王"の簡単な死で彼の存在自体が意味不明となり、両者のダイナミックスが明確になることもなく有耶無耶になってしまったことが、

『指輪物語』に代表される名作文学の象徴的整合性に比較した場合の、TV番組版ゲーム・オブ・スローンズの決定的な弱点です。

 

自然の猛威を前にしたとき、人間の持つ悪などは政治的なものであっても、ごく卑小なものではないでしょうか?"夜の王"が美しかったら、ちょうど彼とデナーリス・ターガリエンはコインの表裏のような等質なものに見えたでしょう。

 

"氷と死"と"火と生"、"夜の王"とデナーリスという神話的な猛威が激突して荒れ狂い、王都とサーセイを完膚なく破壊しつくして

"氷と死""火と生"双方の性質を持つジョン・スノウが中和、平和をもたらすという図式になったら、この壮大な物語の終焉としての最終章がもっと納得のいくものになったと思います。

 

 その物語の間隙を埋める想像力を持つのは、原作者のジョージ・R・R・マーティンだけでしょう。彼の巨大な才能あってこそのゲーム・オブ・スローンズ。

彼が生み出したのではないキャラが機能不全になるのは当然といえます。

 

本当に残念なことです。

 

ファンとしては、マーティン氏の第6巻を待つばかりです(涙)。

 

 

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