エンタメ 千一夜物語

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戦う女の情念がツラすぎるけど色っぽい... テリョーシキナの『愛の伝説』動画付き

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バレエというと、淡い乙女の夢とか恋物語、愛する男に裏切られて泣き崩れる女なんていうイメージが定着しちゃってますが、もっと色んなヒロインがいます。

『愛の伝説』のメフメネ=バヌーは、誰の言うことにも耳をかさず、自分で決断して自分を追い込んで、愛される機会すら失っても戦い続ける究極の女王。惚れます!

 

 ※全幕動画は、記事末尾に掲載しています。

 

 

 メフメネのモノローグはテリョーシキナ十八番

 込み入ったポーズやジャンプ、回転がギッシリ詰まった6分近いソロを、誰もいない舞台でたった1人で踊りきる

"メフメネのモノローグ"という上の動画の振り付けは、なかなか大変なものです。最初にキメるブリッジとか、胴体がテーブルみたいにまっ平でギョッ!人間の背骨は湾曲するようにできてるんで、ブリッジは逆U字型ってのが本来なのを、無理矢理この形に持ってって片脚上げるなんて酷。もちろん、できないプリマさんは沢山います。

続いてくるポーズ類もクラシックの常識ではありえない、高度な柔軟性を要求するアラビア文字みたいなクネクネ&ウネウネした不思議エロな形続出で、苦戦する皆さま多いです。普通やってるプレパレーションとは違う動きから入ってく大きなジャンプ類も難度が高い。なので、開脚が狭かったり、高さが低かったりのパフォを沢山みてきました。

あと、動きに囚われて演技を忘れ、なんんてのも多いです。

 

この、皆さまがどこかでこけて緊迫感が途切れる振り付けをダイナミックにこなした上に、ロシア人が妄想する東洋的な官能性とか、役柄の持つエキセントリックなまでの権力の誇示や一人の女としての苦悩を見せきったテリョーシキナの女王芸

これは、歌舞伎十八番ならぬテリョーシキナ十八番と、いつ見ても惚れ惚れします。

 

なんで、振り付けが小難しい?

なんで、振り付けがこんな風に妙に小難しくスタイリッシュかというと~~

 

『愛の伝説』って、ソビエト時代のロシアを代表する振付家ユーリー・グリゴローヴィチによる2番目の全幕作品なのですね。キーロフ(現在のマリインスキー)劇場に所属し、処女作の『石の花』が成功して新進振付家として脚光を浴びたグリゴローヴィッチが欲をだしたからです。

トルコ出身の詩人ナーズム・ヒクメットを脚本、アゼルバイジャン出身のアリフ・メリコフを作曲に迎えた作品。官能的なオリエンタルダンスの要素を存分に取り入れ、千夜一夜物語の異国情緒とを狙い、さらに踊るスタニスラフスキー・システムみたいなリアリズム演劇を作り出そうとした意欲作だから。

 

結果、大成功でグリゴローヴィッチはボリショイ劇場ににバレエマスターとして迎えられ、圧倒的な地位を築くことになったのですね。

 

物語は...

第1幕

オリエントの小国を治める美しい女王メフメネ=バヌー妹シリンが原因不明の重病となって心を痛め、腹心のヴィジエ(イスラム王朝の大臣をさします)に「なんとかしろ」と言い募っていると、衛兵たちが病気を治せると言い張る旅人を連行してきます。
治療の返礼にと黄金や王座を差し出しても承知しない旅人。彼が求めたのは、
の命の代わりにメフメネが美貌を差し出すという自己犠牲。女性としての幸せが求められなくなる不安と悲しみにかられながらも、メフメネは犠牲を受け入れます。

シリンは快癒しますが、メフメネは妹さえ目を背ける醜貌に変わり果てていました。

その頃、宮殿の飾り付けにやってきた画家のフェルハドがメフメネとシリンの眼を引き美しいシリンとフェルハドはすぐに恋に落ちます。

 

第2幕

折しも、メフメネの領地では泉が涸れ、民衆は旱魃に喘ぐようになっていましたが~~
宮廷ではふさぎ込む女王のための宴がたけなわに。それでも愛されない我が身を嘆き続けるメフメネ。

恋に有頂天のシリンとフェルハドが駆け落ちの約束を交わすのを盗み聞きしたヴィジエは、早速メフメネに報告。嘆きと怒りにたけり狂ったメフメネはヴィジエに当たり散らしながら、2人に追っ手を差し向けます。

捕えたところで、2人の裏切りに苦しむメフメネは、国境にそびえる"鉄の山"を切り開いて水路を完成させて旱魃から国を救えれば、2人の仲を許すという無理難題をフェルハドに与えます

 

第3幕

鉄の山に籠るフェルハドは、水路が完成してシリンと結ばれる夢を見ます。

宮廷のメフメネは後悔に苛まれながらも、美貌を取り戻してフェルハドに愛される幻想に酔いしれます。

そして、フェルハドを許してというシリンの願いを聞き入れ、姉妹は鉄の山を訪れることに~~

つるはしを持って作業を率先するフェルハドはいつしか民衆の希望の光となっていました。フェルハドの生きがいを察したメフメネは、狡猾にも作業を断念して宮殿に戻ればシリンの婿に迎えようといいますが、フェルハドが選んだのは民衆とともに困難を乗り越えていくこと。

メフメネとシリンの姉妹は、フェルハドに永遠の別れを告げるのでした。

 

 共産党のプロパガンダvs女の情念

なんでこの作品がバカ当たりしたのかっていうと~~

まずは、ソビエト共産党のプロパガンダにピッタリだったってことがあります。
権力者というのはエゴで根本的に腐敗している、民衆は民衆によってのみ自力更生するのであるっていうプロパガンダですね。

国民が苦しんでるのに恋という我欲に駆られて悪だくみを巡らすメフメネとヴィジエがその腐敗している権力の象徴で、権力ではなく民衆を選び、目覚めた知識人がフェルハドってことになります。これは、ソビエト政府としても宣伝効果が期待できる作品でした。

 

でも、キッチリしたプロパガンダって鬱陶しいものです。

共産党の宣伝臭を圧倒的に上回る、オリエンタルなエロスとメロドラマの力。ここが人気の秘訣ですかと。

 

初演メフメネ=バヌーはオリガ・モイセーエワ、セカンドキャストにインナ・ズボフスカヤ。お二方とも圧巻の女優バレリーナでした。だから、メフメネは生きて血の通った悲劇のヒロインとなったのです。
女王としてあらゆる富と権力を持っていても、自分で妹の命を救うことはできない。できることと言ったら、自分の女性としての幸福を犠牲にすることだけ。妹を救ったために、愛するフェルハドから顧みられない醜い存在となり、自分を犠牲にして救った妹に裏切られ、結果的には民衆のために身を引くことになる。権力者の盲愛というエキセントリックな要素を持ちつつ、常に愛する者のために自己犠牲を続けることになる。

そんな運命に傷つき、苦しみながらも、女王として戦い続け、愛し続ける。
愛とは果てしない自己犠牲なのかと考えさせっられる、なんとも魅力的な主人公となったのです。

モイセーエワ、ズボフスカヤの見事な芸は、やはり名女優のアラ・オシペンコに受け継がれユリア・マハリナに引き渡され、今日まで続いてきたのですね。

 

ヴィジエという腹心も、上手な役者がやると本当に魅力的。権力欲が強くて、あわよくば王座を手に入れたい的な邪念と、メフメネを一人の女として愛している男としての欲望。とはいえ、宮廷のヒエラルキーの中で彼の思いは成就しない。

メフメネと2人きりで絡む短いシーンでこの葛藤が表現できたら、ヴィジエのキャラは恋するヒーローのフェルハドよりも輝きが増すのです。

 

フェルハドとシリンは若く美しい同志だから恋をする。これは当たり前。その2人がなぜ民衆のための自己犠牲を選んだのか?脚本にも振り付けにも、そこを深く追求するところがないので、2人は単純キャラに見えてしまい、個性的でアクロバティックな動きにしか目がいかない。っていうことがほぼほぼです。

 

単純キャラより複雑なキャラ、ヤンデレなメフメネや葛藤腹グロ男ヴィジエの方に目が行ってしまうのは、単に自分の性分かとも思いますが、

やはり、悲劇を見るのはカタルシスがあるからで、それが噴出してこないキャラは頼りないなと思います。

 

テリョーシキナのメフメネって...

冒頭動画のモノローグは、第2幕で宴の芸人たちを下がらせ、孤独なメフメネが我が身を嘆くシーンです。

撮影されたのは2018年4月。30代の後半に入ったテリョーシキナは若いころの完璧な柔軟性を失った分、キャラの複雑な心情を奥深く豊かに表現するようになっています。

運命に押しつぶされそうなブリッジから、それに抗い力を誇示するように37秒当たりで脚を振り下ろす。足を振り上げるのは楽ですが、振り下ろすように見せるのは至難の技。でも、そうしないとメフメネの性根が見えない。この見せ方ができるのが、テリョーシキナの凄さですかと。

そこから官能的な懊悩とでもいうポーズが続き、悲嘆にくれていく。自分への憐憫や傷心に悩まされながらも、女王の誇りを持って押しつぶされまいと喘いでいる。音楽が高揚すると、嘆きが悲鳴やもがきのようになっていく。

運命を堰き止めるように両手を挙げて静止してから、打ちのめされて舞台奥に戻っていく背中に、我が身と我が国の重圧を感じているような...

なんとも爛熟した至芸です。

 

テリョーシキナは2000年代の中頃からこの役に挑戦してきました。最初のうちは、動きは素晴らしいけれども、情念の深さが感じられない浅はかなメフメネだったと記憶しています。

2012年のTVショー『グランドバレエ』のエピソードでこのモノローグを披露した時に、私なども、初めてテリョーシキナ版メフメネのひとつの完成形を見たのですね。

その時の解釈は、全身で運命に抗う怒れるメフメネでした。客席も視聴者も、その気迫に呑まれました。審査員としてアラ・オシペンコもその場にいて「やるじゃないこの娘」みたいな顔をしたのを覚えています。

 

以来、『愛の伝説』はテリョーシキナの代表作の一つとして定着したのですね。

 

全幕ライヴ版

上のモノローグを収録した全幕ライヴ公式動画は下記からご覧ください。

なぜずっと紹介しなかったかといいうと、全幕通しての出来がよくないからです。

3幕のそれぞれを別キャストにするというスタイルですが~~

第1幕のメフメネ、エカテリーナ・コンダウーロワは踊りが心もとないし、第3幕のアナスタシア・マトヴィエンコは芝居が難い。
第1・2幕のフェルハド役ティムール・アスケロフは踊りも芝居も軽すぎ、第3幕のアンドレイ・エルマコフは芝居は立派ですが踊りに無理がある。
踊りと芝居のバランスがとれたシリンは第1幕のオレシア・ノヴィコワだけ。
ヴィジエ役のアレクサンダー・ロマンチコフは芸が蒼すぎる。

ってな具合です。

 

最強キャストで、引退したイリヤ・クズネツォフは無理でも、せめてヴィジエにユーリ・スメカロフを出して欲しかったと、テリョーシキナ以外には果てしなく不満足なアタシです。

https://youtu.be/dKyHZx2JXfE

 

 

だいたい、2年前のテリョーシキナの映像を使うしかないというのが悲しいところ。

10年前のマリインスキーを思えば、ロパートキナやヴィシニョーワといったプリマドンナな皆さまを、テリョーシキナやソーモワが追い上げて、劇場全体がヒートアップしておりました。

テリョーシキナには冷や汗をかかせてくれる後輩がまだおらず、ソーモワやノヴィコワも一緒に年をとってしまい、相変わらず同世代でマリインスキー支えるような状況なのがつらいなあと思うこの頃です...

 

www.biruko.tokyo