エンタメ 千一夜物語

もの好きビルコンティが大好きな海外ドラマやバレエ、マンガ・アニメとエンタメもろもろ、ゴシップ話も交えて一人語り・・・

キリング・ストーキング  ウジンの執着愛がなぜメチャ不憫なのか? ネタバレ深読み

f:id:biruconti:20210423151344j:plain

すでにネタバレでご紹介したクギのマンガ作品『キリング・ストーキング』ですが、「これは精神疾患の話。オ・サンウとユン・ウジンの虐待関係に愛があるなんて考えるのは不謹慎」てえのが、全世界的な論調。健全な人生を送るには正しい見解だけど、そう言いきられると主人公のユン・ウジンが哀れ過ぎる!ストーカーで殺人者であるウジンの不幸が、なんでこんなに刺ささるのか?ってとこを探ってみました。

※家庭内暴力やいろんな虐待を語ってますので、トラウマがある方はお気を付けください。 

 

 

 

ユン・ウジンは、思いのほか身近にいる

子どもの頃、入院した母親と同じ病室にたいそう美しいご婦人がいました。でも、瘦せこけて極端に大きくなった眼が宙をさ迷ってて...。その女性は家庭内暴力に苦しんでいると、切り出した母親。
「そんな男の人とは別れなきゃあ」と怒ったアタシに
「普段はやさしい人だからって、説得してもきかないのよ」と、母親は憐れみと侮蔑交じりに言いました。
母が退院してその女性とも音信不通になり、消息も分かりませんが、あの女性はある意味でウジンだったのだと思います。

 

ユン・ウジンを思わせる人はアタシの視野の隅に、他にも存在していました。

例えば、みすぼらしくてサエない同級生とか、ウス汚い男子とか、へっぴりな同僚とか。性別を問わず、そういう彼らをアタシは見えないふりして生きてきました。
だって、カッコ悪いから。

ヘタレだって、"負け犬"だって嫌いじゃないんです。自分もそうだから。
それを反逆の武器やネタにできちゃう奴はカッコいい。だから、レディオヘッドの『クリープ』は皆の愛唱歌なんだ!我妻善逸が『鬼滅』の一番人気キャラなんだと。

でも、ただオドオドされるだけだとカッコ悪いって無視してしまう。だから、身近にいるウジンたちを自分は無視してきたのだと思います。

 

なので、ウジンが語り出した時、今まで透明人間のように扱ってきたウジンたちに、すごく申し訳ない気持ちになりました

人生のいろんな瞬間に、自分もウジンのように無力だったってことも思い出しました。

 

ウジンは、思いのほか沢山身近にいる。本物のウジンみたいなとてつもない不幸を抱えてしまうことはなくても、どこかでウジンとつながっている自分がいると、思ったのでした。

だから、ウジンの不幸が身に沁みるんですね。ということで、ユン・ウジンのバックグラウンド中心に、ウジン中心に作品を再読してみました。

考察していくと、見たくないことやキビしいことばかりになってしまうのですが、ウジンを理解しきるってことで、あけすけに書いてます。

 

愛されなくても生きてきた子だから

タイトル『キリング・ストーキング』の、ストーキングが象徴するウジン。何故、彼はストーカーにならなきゃなんなかったのか?まず、考えてみます。

小学生の時に両親がなくなり、貧しい祖父母と叔父に預けられて以降、ウジンの人生はネグレクトと虐待の連鎖。特に、一家の稼ぎ手である叔父の虐待は酷かった。

これって、重さや規模の違いはあっても起こりがちなことです。アパート住いで3人でキチキチの生活をしているらしい一家にとって、育ち盛りの子供が1人加わるということは大きな負担です。食費も増えれば、教育費や被服費もかさんでいく子供ですから面倒も起こす。

増えた子どもは厄介者以外の何物でもない。特に独身の叔父にとって、老いた父母に加えて甥の面倒まで背負わされって、苦い思いが募る。結婚できない理由は自分にあっても、その責任を甥のウジンに被せたくなるでしょう。

 

ウジンも両親の死というショックのせいなのか、元々小心な性格が災いしたのか、うちとけてなつく様子を見せない(第46話)。殴る蹴るや食事を与えないという極端な虐待が始まったのはウジンが思春期近くになり、問題行動を起こしてからのようですが(第26話)、子どもが家庭に期待する愛情表現はすべてネグレクトされてきたようです。遊び道具を買ってもらうことや誕生祝い、季節のお祝い、家族旅行や遊園地に連れていってもらうことなど、経験していない様子がサンウとでかけたテーマパーク編(第37・38話)から読み取れます。

 

虐待を受けた子どもは発育が遅れることが多々あるそうです。食事や栄養が十分じゃないと、当然発育不良になりますが、養育者から愛情を注がれなかった心理的影響も成育を妨げるんだそうです。この報告、小柄で骨自体が細いウジンにピタッと重なります。

 

元々小心でネグレクトされて育ったために自己肯定感が低い、体も小さく、身も心もいじけたウジン

学校に行っても、隅っこで存在感をほぼ消して生きていたのが分かります。だから当然、友達もいないし、カノジョなんて考えられないということが、幼馴染との出会い(第24話)やミン・ジウン殺害にいたる回想(第19話)で出てきます。

回想シーンのウジンの表情は暗くいじけて、眼がうつろなので、かなり不気味です。級友だったとしたら、見えないふりをしてしまう相手。

 

まるで、透明人間のように愛されることから見放されているウジン。でも、煉獄みたいな空白の中で生きていける人間はいません。なので多分、自分に少しでも好意をみせてくれた相手にウジンは執着してしまいます。口下手だし、両親の死後は愛情をかけられたことがないからどうすべきかも、多分わからない。濡れ雑巾みたいにソバにへばりついてたり、相手の持ち物を盗み持って、ぬくもりを感じようとする。

だから、ストーカー行為に走るわけです。スト―カー行為は警察沙汰になり、ウジンはさらに孤立して、家族に疎まれ、叔父の暴力や性的虐待にまでつながってしまいます。

  

性的虐待を耐えぬいたサバイバーだから

ウジンのレイプシーン(第25・26話)は、体罰と称してベルトで鞭うつ場面に続き、本当に苛酷です。克明に描かれているわけではなく、うずくまってるボディや、顔、手のアップなどで間接的に描かれているだけですが、吐き気がするくらいリアル

※トラウマをトリガっちゃう読者もいるので、マンガを読む時は気を付けていただいた方がよいかと...。該当部分を飛ばして読んでもいいのかなと思います。

むっとするような部屋の様子、しっけた布団の感触、布団の周囲に置かれた灰皿や酒瓶、トイレットペーパー、叔父のボテボテした腹の描写から、脂ぎった中年男の汗やタバコ臭い体臭、酒臭い息、底知れない悪意が伝わってくるんですね。

 だから、とんでもなくツライ読書体験

 

なんでこんなレイプ至ったのか?その経過を考えてみました。

思春期に入ったウジンは年上女性をストーキングして警察沙汰を起こすようになります。事件を表ざたにしたくないし、貧乏だから慰謝料を払えない叔父は恥を忍んで平謝り。これがウジンへの憎しみを増長したようです。「年中発情している女好き」とウジンをなじり、性器を取ってしまえと乱暴し、食事を与えない罰がが始まります。

 

ウジンのストーキングに性的な目的があったのか?なかったと判断します。単に、柔らかく女性的な温かみに触れたかったのだと。ここに性的な意味合いを読み取ったのは、独身に欲求不満の叔父の自己投影だと考えます。

というのも、夜、自室でシコッてる叔父が立てている息遣いや物音の意味が分からず、ウジンは盗み見してしまいまうからです。経験があれば、叔父との確執を考え、ヤバイ状況だと気づいて無視をするでしょう。分からないから好奇心で眺めてしままったと思うのです。

多分翌日のシャワー中に、叔父の行為を思い起こして妙な気持ちになっている。クギという戦略的に画像を入れ込んんでくる作家の体質を考えると、叔父の自慰行為をみたことがウジンにとって男の性的なメカニズムの発見ということになるでしょう。

また、叔父の方も、自分をフッて兄に嫁いだ義姉にうり二つなウジンと性的な興奮が結びついてしまった、あまりにも不運な覗き見事件でした。

 

このすぐ後、寝ているウジンに叔父は一物をこすりつけ、その摩擦でウジンは幼児にいたづらされる夢を見て夢精します。多分、これがウジンにとっての精通の経験ではなかったかとプロット展開上考えられるのです。それが本格的で習慣的なレイプと虐待に繋がっていくのです。
叔父はゲイではありません。少年を性的に虐待する加害者は、基本的に異性愛者であることが多いのです。加害者は、単に逃げ場のない弱者を虐げることに快感を得る人物。この叔父は悪意に凝り固まった顔のない化け物としか見えません。

ウジンが温かみを求めたストーキングが、叔父の怒りと性欲に火をつけてしまったというのは、なんとも言いようのない不幸です。

 

性的虐待は人間から自信や誇りを奪って、自分が何の価値もない存在だって思い込ませるって言います。
特に男性被害者の場合は、自分を恥る気持ちが強く出てしまうようです。女性みたいな立場で被害を受けてしまったことで、自分は弱くて恥ずかしい存在だと思ってしまう。例えば周囲に告白しても、「抵抗できなかった、自分を守れなかったお前は情けない!」的な扱いを同性からされてしまいます。だから、圧倒的な罪悪感を感じて黙ってしまうことが多い。もろ、ウジンに当てはまります。

ただでさえ低い自己肯定感が、どん底まで突き落とされてしまう。成人したウジンは食事シーンでも、まともに物を食べているようには見えません。自己嫌悪に裏打ちされた摂食障害にも見えます。

 

どうしようもなく辛くてリストカットしても、同情してくれる人も助けてくれる人もいない。だからウジンは虫ケラみたいに小さなって、迷彩状態で壁にへばりつくように生き抜いてきたのだと思います。

 

絶望して自殺してしまってもおかしくない状況でも、ウジンはなんとか生きることにしがみついています。BPDの精神疾患に陥るしかないって思います。

※BPD(境界性パーソナリティ障害)に関しては、下記「ウジンの病み」で詳細に語ってます。

ストーカー行為を続けることで、なんとか生きることにしがみついているのです。
ストーカーといっても、暴力的な傾向や痴漢行為に発展することない迷惑犯。

犯罪者ではありますが、すごく悲しい奴です。でも、生きてきただけでエラいぞって思います。

 

ウジンと少女マンガ的主人公の違い

日本の大御所少女マンガ家の方々も性的虐待の物語を描いておられます。けっこう克明に描かれていますが、『キリング・ストーキング』は比べようもないくらい悲惨

ファンタジックなまでにゴージャスな世界を描く少女漫画だと、いろんなことがシュールに思えてピンとこない。そこを生活臭で満たされたリアリズムで描かれると、どこでも起こる話なんだと納得して、読者は現実の出来事として受け止めるんですね。

 

もう一つ、少女まんがのピンとこない点は、主人公の特権化にありますかと。
大富豪の子息で「誰をも惑わすほどの美少年」なんていう特権化です。美少年だからなんていう装飾は必要ないと思うのです。レイプはパワーとコントロールの快感なんだから、抵抗できない立場の人間にはいつだって起こりえるってことを、忘れないようにして欲しいんですね。

"虐待萌え"みたいな描き方には、すごい抵抗があります。

おまけに、機能不全でも白馬の騎士志願男がソバにいて、なんとか助けようとしてくれるんですね。ウジンには、そんな都合のいい抜け道とか与えられていません

 

確かに第1話でアップになったウジンの顔立ちは整っています。でも、髪の毛は小汚く固まってるし、服装はしょぼいし、顔色が悪くて隈が目だってて、暗くて貧相でお世辞にも素敵とか、魅力的とか言えない


悲しいことですが、たった一人で最低な自分感の中で生にしがみついているウジンがキラキラ魅力的なわけがないのです。

この、残酷なリアリズムがビシッと刺さるので、ウジンをまるで生きてる人間みたいに心配してしまうのです。

 

それでもまじめに頑張った子だから

この作品、基本はストーカーと連続殺人鬼であるウジンとサンウの関係を描くサイコホラー。ウジンの過去はフラッシュバックで出てくる形だから読んでいられるのだと思います。
時系列順にストーリーが展開してたら、多分苦しくて読んでいられないかと...。

 

犯罪者の生い立ちとかを探ると、虐待を受けて育った男性像がかなり出てきます
彼らは副主人公のオ・サンウみたいに他罰的な暴力性を炸裂させることで、復讐心を満足させたり、自己肯定感を取り戻したりしているのですね。

これだと次世代への虐待や他人への暴力が連鎖していくという、恐ろしい結果を生み出します。

 

ウジンの場合、人格障害やストーカー行為はあるけれども、自己嫌悪や恥を暴力に転化することはなかったのです。ひたすら、自己否定を内面化してしまうというサバイバーのパターン。

 

彼の性格形成に関しては、アドラー心理学の「人間の性格は幼児期の育てられ方でほぼ決定する」という意見など説得力があるかと思います。

例えば、サンウは中流家庭で育てられたけれども、精神不安定な母親からネグレクトや虐待を受ける不安な幼児期を過ごしてします(第52話・最後の「クリスマス特別編」)。愛され体験が不安定なので、愛することの意味づけが欠落して、「男はこう振る舞うべき」とされる行動規範の毒性のみが育成されているのですね。

※この詳細は予定中の「サンウの母親ウンソの読み込み」のところで、しっかり観察したいと思ってます。また、ウジンに能動的攻撃性が欠落しているのは、本来の性別が女性あるからという見方もあると思うのですが、この点に関してもウンソに関する考察で見ていきたいと考え、今回は基本的に男性であるという視点から語っています。

ウジンは厳しいけれども良識ある母親に愛されて、しっかり育てられているようです(最後の「クリスマス特別編」)。

この安定した幼児期があらゆる不幸にもかかわらず、良き人であり続けようとするウジンの人間性を形作ったのかと考えられます。

 

第1話で、ウジンは4年遅れで大学に入学したと書かれています。これは何故かなと考えてみました。

同話で語られるウジンの境界性パーソナリティー障害の治療のせいかなと疑いましたが、投薬治療を続けているようでもないので、この推測はなし。
境界性パーソナリティー障害の診断は徴兵時の人格検査で出てきたのではないかと推察します。日常生活に支障がないと判断されれば、鬱や人格障害で徴兵免除にはならないということなのです。

それでは、何で4年の空白が起こったのか?サンウ宅内に拉致監禁された時、ウジンは家賃2万円程度のアパートで独り暮らしをしています(第14話)。

この点と叔父の虐待を考えると、成人してすぐ(19歳になる年の1月1日に年齢切り替えなので18歳)か、高校を卒業してすぐ実家を飛び出して、最低賃料の部屋で1人暮らしを始め、チビチビ受験勉強しながらアルバイトしてお金を貯め、4年かかって大学にたどり着いたのではないでしょうか?
大学1年の時も兵役を終えサンウが大学最終学年になっている5年後も、ウジンは同じ服を着ています。食も細く遊びにも出ない性分なので、その生活のつましさは並ではない。サンウへのストーキングで家のドアの暗証番号を250通りもチェックし続けるのでも分かるように一度思い込んだら執念深い性質です。だから、4年かけて大学に行くというのも十分ありうる状況です。

 

何故、ウジンはそこまで努力するのか?
人並みにキチンとした人生を送るというのがウジンの悲願だからではないでしょうか?
ストーキングという若年犯罪の常習者にはなってしまったけれども、それなりに真っ当に生きようと惜しまなかった努力を察して感動したアタシでした。

 

人に裏切られ続けた子だから 

 やっと大学入学したウジンを待っていたのは、人並みのキャンパスライフではありませんでした。
環境を変えてもいじけて委縮した人間性は変化しないので、クラスの片隅で友達もなく過ごす毎日。そこでクラスの人気者であるサンウを見かけて憧れを抱くけれども、サンウにとっては透明人間、気づいても貰えません。

 

さらなる不幸は、1学期を終えたところで徴兵されたこと。小心で虚弱なウジンは先任兵に眼をつけられ、しごきと言う名目で常習的に性的暴行を受けることになってしまいます(第1話・第50話)。ある日、同時期に入隊したサンウが止めに入るまでこの事態は続いていました。

懲罰としてのレイプは攻撃性を尊び、支配と絶対服従を要求する軍隊ではしばしば起こることと報告されています。そして、加害者は同性愛者ではない単純に力を行使する放埓な権力者なのです

20歳を超えて再び性暴力の被害者になってしまったことは、ウジンの自尊心にさらなる打撃を与えたと考えられます。

除隊後で復学したようにも見えないし、3年後にはアパートの家賃も滞納し部屋も散らかり放題になっていました。ウジンの心は、静かにジワジワ壊れていったとしか思えません。

 

壊れてしまった理由には、軍隊で暴力から救ってはくれても、名前すら憶えてくれないサンウを市内で偶然みつけ、彼に恋してストーキングすることしか考えられなくなってしまったという理由もありますが...

 

やっとたどり着いた恋だから

ウジンは、27(または28)歳になって、やっと初恋にたどり着いたのです。多分、叔父の家から逃げ出して10年近くたって、恋する心の自由を取り戻したのだと。

性被害を克服され健康に暮らされてる方は多いですが、中には色情症hypersexuality)やセックス依存に陥ったり、性的快感を罪悪視し否定してしまう方もおられるようです。摂食障害をおこしているようなウジンは、後者だったのではないかと推察します。

同性から性被害を受けた男性の特徴としては、肉体的な接触で快感も起こってしまうことや、性的な混乱も見られます。例えば、ノンケの少年の場合、 自分はゲイなだから男を惹きつけたのか?というような疑念を持ったりすることもあります。
当然、本来ゲイの少年が虐待により自分の性向を否定してしまうこともあり得るでしょう。ウジンはこのパターンではないでしょうか

 

こう考えた手がかりは、まず、成人したウジンが女性に興味を示さない点にあります。

男というのは単純な生物なので、常に欲望の対象を視線で追っています。
サンウを例にとるなら、殺人の対象として選んだミン・ジウンの胸元やミニスカートの太股に視線を送りがちです(第15話)。ウジンの浮気相手と疑ったジヘと会った時も豊かな胸元に視線が釘付けになり、そこからエロな妄想を展開していました(第57話)。

ウジンは、この"男ならではの視線"を欠いています。高校時代にジヘが密室で裸を見せた時もウジンが注視していたのは、虐待されていた彼女の傷跡で、性的な行動につながることもありませんでした。「同じような境遇に深い同情を感じた僕は彼女を好きになってしまった」と、ウジンは述懐しています。ジヘのバストを目の前にしても、その視線は欲望というより、自分を置き去りにしてボーイフレンドを見つけた彼女への非難に終始していました。

これだけですと、少年のウジンは性的行動に拒否反応があったという判断だけで終わるでしょう。ただ、成人してからも無関心状態は続き、ジヘや幼馴染ユンジェの元カノと再会しても、ウジンの彼女たちに対する行動は、サンウのために何かするのに必要な金の無心をすることだけでした。

 

そんなウジンにとってのターニングポイントは、どんなセックスをするのかと妄想していたサンウを除隊後に見つけ出したこと。
サンウをSNSでもリアルでも追いかけまわし、一緒にいる女性にヤキモチを焼く毎日。男根のように屹立するベッドポストを撫でまわして涙を流しながら「自覚している 自分が何を欲しているのか 心の中では否定し続けてきたけど」と独白するシーン

捨て駒がないクギの作風ですから、ウジンが自分のセクシャリティを受容したことをシンボリックに表したシーンだと解釈するのが適切だと判断します。

 

そこから先のウジンはエロモード全開。サンウがウジンのアパートを引き払うためにその部屋を訪れた時にみつけた大人の玩具も、使い込んだ"受け用"グッズばかり。開発努力に頭の下がる思いです。

 

狡さも生き残る術だから

実家を離れてから10年かけてたどり着いた恋。何10年かけてもそこまでたどり着けないサバイバーもいるので、感動的です。相手がトラウマを抱えて狂った、暴力的でサイコな心理操作癖がある連続殺人鬼のサンウでなければ、心底応援できるのですが...

サンウ宅に無断侵入したら殺されそうな女性を見つけてしまい、暴行地下監禁ってことになり。最初のうちはウジンが生き延びられるのか?逃げ出せるのかっていうのが、読者の興味の焦点になっていました。

 

撲殺されそうになったところでウジンは片思いの告白をします。これがサンウの好奇心を刺激して、両足を折られはするけれどもウジンは命拾い(第2話)。その後は「一緒にいたい。何でもします」で、母親代わりに家事をやったり、サンウの機嫌を伺いながらDV生活を生き延びてきます。

捜索願いが出されている可能性をにおわすために、叔父と住んでいると嘘をついたり(第5話)。
隙を狙ってサンウ毒殺を企んだり(この件もサンウの計略で、偽毒ではありましたが)、薬を盛ったた食事で中毒したと思い込んで体調を崩して、いろいろ詰問されそうになると「(一緒の)テーブルで食事したい」と言い出したり、裏切り行為はとにかく「好きですモードやセックスのお誘いモード」で誤魔化そうとします(第4・5話)。

この時点のサンウはウジンの芝居を見抜いてますから、ごまかしはサンウの心理操作をさらに巧妙にするだけなのですが、ウジンは今日を生き延びることで手一杯

生き延びるためなら、何でもする、ウソもつく。何でも耐え忍ぶ。これがウジンの基本的な姿勢。無抵抗であることで被害を最低限で食い止めるという狡い自己保身。
脱走に失敗して首絞め・水攻め・あご切りの罰を下された後は、ゲイの中年男殺しの従犯にされてしまうことも、抵抗せず受け入れてしまっています。

ウジンの監禁に気づいて家宅捜索に来た警官ヤン・スンベから隠れるのも、殺人の共犯にされてしまっているのがバレたら恐ろしいから(第13話)。

サンウが逮捕され警察に保護された後は、あくまでも監禁暴行の被害者として証言を続ける(最終話上)。これも自分の従犯や殺人罪が明るみでて有罪になったら、刑務所では生き抜けない恐怖があるから。ウジンはとにかく自分を守るのに必死です。

 

でも、悲惨な子ども時代から保身第一主義が生まれたのが分かるので、責める気にはなれないのです。

ウジンが叔父のレイプを抵抗せずに受け入れてしまった理由は、「先のことを考えると怖くてできませんでした...もっと不幸になるだけだから」
セックスで暴力を懐柔するって、沁みついてしまった保身行動、とても悲しいです。 

 

命がけの執着愛だから

ウジンの「 好きです。一緒にいたい。何でもします」攻撃に対して、サンウは抱きしめたり、キスしたりエロいタッチやセックスを許容したりと好意を返したり、虐待したりを交互に繰り返します。

※サンウのウジンに対する執着は下記で読み込んでいます。


サンウの反応は、猫がネズミをいたぶるようなゲーム感覚だったり、ウジンの本心をためす試練だったりします。

ウジンの側からしたら、自分の思いが受け入れてもらえているのかもしれないという、かすかな希望の種みたいに働きます。なので、ウジンはどんどん混乱していきます。

 

最初は自分を守るためだったサンウに対するウジンの愛情表現が、ストックホルム症候群を超えた執着愛なのではとアタシが思い始めたのは、大学の文化祭に連れ出された辺り(第15・16話)。

逃げ出すチャンスはいくらでもあったのに、下級生のミン・ジウンとステージでデュエットするサンウを見たウジンは、トイレにこもって嫉妬で泣き続けていました。
ウジンの人生の中では、サンウただ一人が自分をやさしく抱きしめてくれた人。だから、誰にも取られたくないことに気づいてしまったというわけ。

 

緊張すると幻覚症状を起こすウジンですが(第7話他)、救いようもなく狂ってるとギックリしたのは、監禁状態から警察に保護された時(第32話)。
「(自分たちは)付き合っている」というサンウの言い逃れを聞いて、「サンウはずっと 付き合ってるって思ってくれてたんだ」と、ウジンが思い込むところ。お前、何言ってるの?どんんだけ虐待されてるか思い出せよ!と、読者はイラツクのですが...

サンウの真意に疑いを持ち、ずっとゴラムみたいだったウジンの顔つきがここで突然落ち着いて、とてもキレイな表情になるのです。

ここから先のウジンは、完全恋愛モードに突入してスンベ巡査の尋問から、サンウを庇って庇って庇いぬきます。共犯の疑いをかけられ、殺された被害者の写真を見せられて、いつかはサンウに殺されると脅されても、その答えは
お巡りさん 僕みたいな...人と キスしたりできますか?
僕みたいな人と一緒に寝られますか?
ごめんなさい 今すごくサンウに会いたいです」(第34話)

 

理性が正常に機能していたら、これが恐怖の毎日から逃げ出すチャンス。

でも、ウジンにとった「付き合っている」というサンウからの承認が総てを上回ってしまう。殺されかけた虐待もレイプのような扱いも、恋愛しているという確信さえあれば受け入れてしまうのですね。何故なら、サンウ意外に自分を愛してくれる人がいるわけがないとウジンは信じているから。

ウジンの命がけ執着愛は普通の人間にはギョッとするホラーだけど、不思議に切ないものがあります。

 

ツライのに生きようと必死だから

ウジンが警察を怖れた心理の背後には、サンウの後輩である美少女ミン・ジウンを自分が殺してしまったという事実もあります。

サンウはウジンを文化祭に連れ出して、ジウンとデュエットするところを見せて嫉妬させ(第16話)、打ち上げに連れていき孤立感を味合わせ (第17話)、彼女を家に連れ込んでセックスしているのを見せつけ(第18話)、ウジンを刺激し続けて彼女を殺させようとします(第19話)。

サンウにとって、これはウジンを殺人犯に仕立て上げ、自分たちの運命共同体としての結束を不動のものにするための策略

包丁を持たされても、最初は拒絶反応で固まってしまっていたウジンでしたが、追い詰められたジウンが怒りに駆られて「キモい!! 死ね!!」と叫んだことで、高校時代のトラウマが蘇ってしまいます。

上述のジヘに冷たくされたために彼女へのストーキングを始め、思いを込めた手紙も無視されて言い合いになり、彼女が父親にレイプされているとクラスで叫び、自分と付き合っていると言いふらしてしまった。当然ながら激怒したジヘに「死ね 変態クズ人間」とののしられ、頭からジュースをかけられた記憶が蘇り、ジウンがジヘに見えてしまい、ウジンはジウンをめった刺しにしてしまうのでした。一度受け入れてくれたジヘの裏切りと侮辱が許せず、ウジンの意識下で真っ黒な深淵となっていたのですね。

 

ネグレクトした祖母や虐待した叔父や軍の先任兵、ウジンの痛みを無視し続けたり、弱さにつけこんで意地悪したり...ジヘに加えて、それまでの人生でウジンを苦しめてきたあらゆる人々への押さえつけていた怒りが一気に爆発したのだとしか考えられない、刺しっぷりでした。

 

BPD 特有のストレス時の幻覚症状に陥ってたのは確かですが、何の罪もないジウンを殺してしまったことは許されていいことではありません。本来であればこの罪と向き合って、心神喪失で実刑は免れて治療を受けるべきだと、この時は思いました。

 

そして、この殺人は意外な事実を明らかにします。
ウジンはサンウと生活する家の外にある世界を怖れているということ。

布団の中に逃げ込んだウジンをディルドゥレイプしながらサンウは言います。
ツライのに生きようと必死にジタバタと…」
山中でウジンに墓穴を掘らせてジウンを埋めた後は
他人におちょくられて押さえつけられるだけの哀れな人生
お前はそこから抜けだしたんだ」と。

 

サンウは残酷な男ですが、それだけにウジンが抱えている奥深い怒りを、それ外に出して毒抜きする必要があることを察知しています。

肉親に裏切られ社会から見捨てられた者同士。サンウはウジンを蝕む根っこに気づいているし、そういうウジンを受け止めて、無理矢理カタルシスを与える方向に引っ張っていく。だから、サンウから離れることができないのだと納得したシーンだったりしました。

 

やさしい幼子の心を失ってない子だから

こう書いてくると、ウジンはトラウマと保身と情欲のバケモノみたいですが、彼は同時に幼子のようにピュアでナイーヴな心も持ち合わせています。

ジウンの死体を埋めに行った山林の小川でみつけたカエルに心癒されたり、サンウの父親が埋められた地面を踏んでしまい、それを責められたら泣いて謝ったり(第21話)。

叔父のレイプを無理矢理告白させられた上、「触んじゃねえ 汚い」と侮辱&拒絶されたら包丁でリストカットしちゃったり、10代の子どもみたいに過激で必死(第26話)。

何度も書いてしまいますが、警察署でウジンの忠誠を確信したサンウが、デートといってテーマパークに連れ出してっくれたら、生まれて始めて来た嬉しさと好奇心で子どものように駆けだしたり

ジェットコースターでは悲鳴を上げて、「叫ぶって気持ちいいね」と少年のような表情で語ったり。プレゼントのキーホルダーや記念写真を宝物のように握りしめたり。

サンウは「城に閉じ込められたお姫様じゃあるまいし」と言いますが、人との関りが少なかったウジンは、本当に初々しいところが一杯あります(第37話)。

焼肉レストランでデートしたり、リッチなラブホに泊まったり、ウェアを買ってスキーに連れていってもらったり...。デートの真似事を重ねるうちに、愛され感が深まると、サンウの機嫌を伺うようだったウジンの表情が、どんどん柔らかく、子どもっぽくなっていく。読者からてしも、ウジン本来の可愛らしさに気づくエピソード。

恋する思春期を生きることができなかったウジンが、初恋にときめく少年に戻っていく。ウジンに魅力を感じる女子も出てくる。でも、ウジンは連続殺人犯のサンウとの生活を守ることだけ考えてるのが、とても切ないのですね(第41話)。

 

愛に殉じるしかない子だから

順調にいってるように見えても、サンウはとことん殺人鬼ですから常におどろおどろしい影が立ち込める2人の同棲生活。

サンウの愛の表現ときたら、ウジンの目の前でレイプ魔の叔父を殺してしまうこと。トラウマを再体験させて、肉親を奪って退路を断つという、ある意味恐ろしい仕打ち。思いやりの欠如に一旦は激怒しても、「ごめんなさい! 僕が悪いんです」と、受け入れるしかないウジン(第46・47話)。サンウと暮らすって、果てしなく残酷を許容することなんです。

そんなウジンを心から哀れに思い始めたサンウはセックスに関しも思いやりを示すようになって~~

ウジンはサンウとの結婚の誓いめいたものを願うようになり
「あなた(여보yeobo夫婦同士で互いを呼ぶハングル語の呼称)」なんて呼び合いたがったり(第53話)、
内緒でエンゲージリングを用意したりし始めます(第58話)。

ウジンはサンウと一生、連れ添って生きたいのですね。

サンウの方は、この時点で人生を諦めてしまっていて、ウジンに一緒に死んでくれる相手を求めている(第53話)。だから、ウジンが望むものを、結婚の誓いに値するものを与える。そのうえで、心中の誓約みたいなのをウジンにのませてしまいます

「死ぬまで一緒」ということへの2人の意識の差が空恐ろしいと思う瞬間です。

 

おまけに、「あなた」というのは、サンウの父親を殺してサンウを夫代わりにしようと企んだ母ウンソが使った呼びかけ(第53・54・60話)。なので、母ウンソが代理夫になることを拒絶した彼をレイプした挙句に殺そうとしたサンウの記憶も蘇ってしまいます。

ウジンとの関係が深まるほど、母ウンソの影は激しく付きまとうようになり、ウジンが母親のように浮気して自分を裏切り、毒殺しようとしているのではないかというサンウのパラノイアも激しくなり~~(第58・59話)。サンウは結局、物語のはじめと同様のDV男に戻ってしまいます(第63話)。 

 

愛があれば、トラウマが引き起こした狂気の暴力衝動が癒されるなんてことはあり得ません。一時は安定しても、ちょっとしたキッカケで再発してしまいます。この辺のクギの残酷なリアリズムに腰が砕けそうになります。

 

ボコボコにされて半死半生みたいなウジンは、しつこいスンベ元巡査の違法突撃家宅捜査で発見されます。その時の大立ち回りでサンウに加担してスンベを殺さなかったので

「お前はもう用なしだ 最初からこうするべきだったんだ...何もかも後悔だらけだ...」と罵られ、殺されそうになります(第65話)。

救出されさまざまな後遺症治療のため何か月も入院治療を受けることになりますが、ショックでサンウの顔が思い出せなくなり、上述のようにあくまでも誘拐された被害者として、サンウを憎んでいると供述し続けます(最終話・上)。

とはいえ、それは口裏を合わせていただけ。入院以来、ウジンは人と目を合わせないか、憑りつかれた眼付になっている状態。ウジンの心を占めていたのは「(様々なショックで顔が思い出せなくなっている)サンウに会いたい...サンウは僕を殺そうとした もう僕のことを愛してなんかいない… 僕はサンウにとって何でもなかったんだ」という煩悶。おまけにエンゲージリングを肌身離さず持っていました。

で、サンウが終身刑に処せられてもう会えなくなると知って、大火傷で入院しているサンウに会いに行く決意をする。指輪を渡して関係を清算して、もう2度と会わずに再出発するという理由づけなのですが、であれば指輪を渡す必要などないウジンは愛に破れたと思い、混乱しているようです。

 

ヘタレのウジンですから1度目の再会決行では病院にも行きつけず、2度目でやっとサンウの入院先にたどり着いたものの、サンウは既に亡くなっていて、遺灰を渡されただけ。サンウの死に目にも会えず、別れの指輪も渡せなかったのです。

このシーン、心に風穴が開くくらい、強烈な虚しさに襲われましたよ。

※この詳細な経緯は下記の「 不条理すぎるエンディング」で詳細に語ってます。

さらに、病室から一歩外に出ると、周囲には見知らぬ人々の、得体の知れない悪意に迎らるばかり。幸せな体験も愛された思い出も、サンウから与えられたものしか自分にはないことにウジンは気づくしかありません。

そして、死ぬ間際のサンウが自分の名前を呼んでいたことも、偶然知ります。サンウが最後に求めたのは自分だったと知ったところで、ウジンの正気は消し飛んでしまい~~

ウジンはサンウ宅に戻って、サンウの遺灰まみれで悶えているうちにサンウの幻覚を見て彼を追い、第1話のように見知らぬ女と横断歩道を渡るサンウの後ろ姿に向かって赤信号にツッコミ、車に轢かれて亡くなってしまいます(作者談)。

 

「生きようとじたばた」していたけれども、幻想の愛に惑わされてウジンは死んでしまいました。他の女性にサンウが取られてしまうという幻覚による失意のうちに、ということはノンケであるサンウの愛をどこか信じ切れないままに彼を追いかけて死んでしまったのです。

結局、ウジンも狂気の執着を繰り返すしかなかった生きてこうとじたばたしてたのに、サンウと約束した後追い自殺と同じ結果になってしまったというところが、なんとも、なんとも不憫で痛いのです。

 

ウジンに別の幸せはあったのか?

ウジンは、これでもか、これでもかという不幸を背負わされた主人公。韓国の作家は、こういう身も蓋もない残酷なリアリズムを描いてしまうという、恐ろしくも優れた特質があるのだということも、その後何作かのマンガを読んで知りました。

 

合理主義的な欧米の読者たちは、サンウとウジンには精神科の治療とセラピーが必要だったのだと、よく言いきります。

確かにそうなのですが、ここまで壊れてしまっている2人ですから、長い療養生活が必要になるでしょう。向精神剤投薬で感覚が鈍り切って人格が壊れていくこともあるし、セラピーはよくなりたいという気持ちが本人にないと効果はありません。一生入院生活を必要とする可能性もあるでしょう。従犯であるウジンの方は、一生入退院を繰り返すしかないかもしれません。そういう人たち、周りにいます。

 

精神の均衡を取り戻したとして、誰と幸せになれるというのでしょう?

入院中のウジンはジヘに看病されていましたが、彼女の狡さにウジンも気づいているという描写があり、ウジンは彼女に一切関心を示しません(最終話・上)。

サンウの他にウジンが心動かされた相手はスンベです。サンウのバイト先でスンベにトイレに閉じ込められて詰問された時、ウジンは不思議に無抵抗でした(第28話)。スンベがサンウ宅に家宅侵入してきた時も、彼を庇っています(第30話)。ウジンは、スンベが残酷な詰問をするけれども、自分を守ろうとしてくれていることに気づいています。スンベもウジンを従犯ではなく、あくまでも被害者とするべく尽力したり、紫のバラの花束を持って病室を訪れたり、警察官として立場を超えた感情をウジンに持っていたようです。
その時ジヘと付き合っているのではとスンベに聞かれたウジンは、怒ったように即座に否定しています。ウジンが病室を抜け出したこと知ったスンベは、必死でウジンを探し回ります(最終話・上下)。結果としてスンベがウジンをひき殺してしまうのですが(作者談)。

ある種のつながりを感じさせる2人ではありますが、彼が抱えてる闇も含めてウジンを愛するにはスンベは常識人過ぎますかと。ウジンのサンウへの愛は心の病気(ストックホルム症候群)で治療可能だと言いきる男ですから。解放後長期間経過しても憎悪は見せかけで、サンウとともに生きることしか考えていないウジンがスンベには理解できない。理解したとしても、同情はあっても対等な者として愛は育たないでしょう。

 

サンウとウジンはともに狂っていたから、お互いの闇を抱え込んで、なおかつお互いを必要としていたのですね。

最後のクリスマス特別編には、赤ん坊のサンウと幼子のウジンがともに初雪を見る、サンウとウジンがソウルメイトであったような表現もあります。

暴力殺人鬼がソウルメイトだなんてあまりにも惨い。でも、短いウジンの生涯で、幸せな期間はサンウと暮らしたうちの数週間だった。最後まで、ウジンにはサンウしかいなかったというのも、余りにもひどすぎる話。

 

『キリング・ストーキング』は虐待が引き起こすトラウマと精神障害、障害を持つ者の孤独と生き難さ、虐待が生む犯罪と悲劇の連鎖を驚くような説得力で描く傑作です。

でも、こんな風に図式化して整理してしまうには、ウジンの不幸はあまりにも生々しい。

 

赤信号の横断歩道に飛び出したウジンの幻覚の中で、サンウは振り返りはしないけれども、女性の幻覚は消えてサンウにウジンが追いつこうとしてる。幻想でもいい、最期は少しでも幸せを感じて欲しいと願う、痛い読者のアタシでした。

 

 

www.biruko.tokyo