ときどき、無性にベン・ウィショー作品が見たくなる。何でだろう?心に染み入るような声だから。脆さとか儚さとか、普段の生活の中では抑圧しとくしかない心の揺らぎに、喰い込むような瞬間があるから...。
てなわけで、2017年の英国BBCドラマ『 The Man on the Platform』を見まして~。思わず、涙ぐんでしまいました。
番組の背景
『 The Man on the Platform』は『Queers』っていうTVシリーズの第1話。イギリス英語でqueerって言ったら、男の同性愛者を指す侮蔑的な言葉だった時期が長いです。
今ではジェンダーに括られたくない人なんかも含めて、性的マイノリティ全体をさす感じで使われることが多いので、歴史的に見てすごく幅のある言葉です。
このシリーズはイギリスにおける「男性間の性行為合法化50周年記念番組」なので、番組名は、その幅を含んでつけられているのだなと納得してしまいました。
40周年時には『Clapham Junction』っていうオールスターキャストなTV映画が製作放送されました。ってことは、違法だったこと自体がイギリスの反省すべき黒歴史ってことですかと...。そこをあえて突くBBCの根性は立派ですなあ...
『 The Man on the Platform』に話を戻しまして...
シリーズ構成としては、多分ロンドンのとあるバーの1917年から2016年までの一コマ。顧客の一人がカメラに向かってモノローグする、全8話のオムニバス一人芝居。
で、『 The Man on the Platform』は、実らぬ恋の物語です。
A Certain Liquidity Of The Eye
舞台は第1次世界大戦終盤の1917年。
実らぬ恋ってか、オスカー・ワイルドの言葉をかりれば、"a love that dared not speak its nameその名を口に出すことさえ叶わぬ愛"のお話です。
ナンパブームみたいな人たちや、草食系の人たちからみたらシュールかもしれませんが、そういう時代もあったのです。
行動もできない、言葉にも出せないのにどうやって仲間認識するの?恋するの?ってなるんですけど。
ベン・ウィショー演じる一人主人公のパーシーは、"a certain liquidity of the eye"があるから分かるんだって言ってます。
なんて訳したらいいんでしょう…"ある種の流動性がある眼差し"とでも言っておきますか。
日常生活だと、さまざまなもの上を行き過ぎる視線がが、ほんの少しの間、必要以上に誰かの上で留まる。無感動だった眼差しが、一瞬柔らかくなって揺らぐ。そんな感じでしょうか。
それしかできない叶わぬ愛。残酷な時代だったのですね。
あらすじ
ネット上に動画はあっても、字幕はないはずなので、粗筋なんかも書いておきます。
イギリス陸軍の兵士のパーシーは、幼くして亡くなった兄と同じ名前を付けられた、痩せこけた第2子、アルバートという弟もいました。時々、母親に悲し気に見つめられるような、痛みが伴う幼年時代だったといいます。
15歳のある日、パーシーはレディング行きの列車を待つ駅で監獄に連行される途中の、鎖につながれたオスカー・ワイルドを見かけます。
※ワイルドはアルフレッド・ダグラス卿との不純同性交友を侮辱してきた、アルフレッドの父親クイーンズベリー侯ジョンに対して名誉棄損の裁判を起こして敗訴、卑猥行為によりレディング監獄に投獄されることになりました。その途中で出くわしたのですね。
ワイルドの頬を雨が伝っていると思ったら、涙だった。見つめるパーシーと視線が合って、"ある種の流動性がある眼差し"が交わされる。その瞬間、パーシーは気づくのですね。
"He knows me. He knows me for what I am. He can see it in me."
”彼は私が何者か理解している。同じ人種だって知っている”
And I start to shake.
そして私はブルブル震えだした。
And it's not from the cold, it's shame. And fear and.....terror.
寒さからではなく、恐怖に怯えたからだった。
野次馬が集まってきて、ワイルドに唾を吐きかける者もいる。震えるパーシーに、母親はにただやさしく微笑みかける。
その微笑みが心にかかって、パーシーはずっと行動できないでいました。アニーという娘さんとかなり付き合って、でも結婚なんて話もでずに開戦でうやむやになり~~
おかげで、「結婚は?」と聞かれても「してないけど、付き合ってた娘はいる」と言い訳できる程度の、わびしいクローゼット人生。
徴兵されてからは、目が悪いので野戦病院の当番兵になった、ある意味強運なパーシー。とはいえ、砲弾の閃光が恐ろし気な緑色に輝き、死にかけた兵士たちが次々運ばれてきて、屍体が山積みになって、肥えたハエが群がっている過酷な環境。
そんなフランス戦線で、パーシーはブロンドで睫毛が長く、笑顔が素敵なテレンス・レスリー大尉と出会います。
そして交わされる"ある種の流動性がある眼差し"。
多分、やや上流出身で寄宿学校生活なども経験しているレスリー大尉は、パーシーよりずっとサバケテいる。
「君はこの隊の誇りだ。女性のようにやさしい気遣いがある」
「テレンスって呼んでくれよ」とか
「パーシー、こっち来いよ」とか、ちょっと口説いてくるような感じがある。でも、パーシーは固まって、ほんの少し、いつもより長い間大尉を見つめるばかり...
うだるように暑いアミアンのある午後、テレンスとパーシーは、なんとなく自転車で遠出をすることになり…
キレイな池を見つけて、裸になって水浴びをして、草の上に寝転がって。うたたねするテレンスの横で、パーシーは黄金の髪や完璧なあごのラインを見つめて、多分キスしたくなるのだけれども、何も起こらず兵舎に戻ることになる。
そんな罪のない交流も部隊の噂となり、2人は別々の任地に転属されることになり。別れも言えない突然の移動。
乗り込む列車を待つプラットホームで、パーシーは別の蒸気機関車の窓から身を乗り出して、誰かと話すテレンスを見かけます。
別れを告げたいあまり、パーシーは荷物を放り出し、人込みを押し分けて駆け出します。
"So long, Captain Leslie? さようなら、レスリー大尉?"
含みのある表現ですねえ。"So long"には、また逢う日までというニュアンスがありますよね。戦地で別れて、2度と会えないかもしれないけれど会うことを願っている。テレンスって呼びたいけれども、周囲の視線が気になるので"レスリー大尉?"って疑問符をつけている。パーシーの複雑な心境が伝わってきます。
"So long, Perce."と応えて友人と話を続ける大尉。
多分、大尉にとってあの夏の日はなんでもない午後の一コマだったんだと、パーシーは思ったでしょうね。
ところが、機関車が動き出したところでテレンスはホームに降りて、パーシーの手を取って接吻する。その時のパーシーの思いは~~
There's no train then, there's no troops, there's no war.
もう、列車も部隊も戦争もそこにはなかった。
There's just his bramble lips pressed against the tips of my fingers...
私の指に触れる、彼の野イチゴのような唇しかなかった。
..and all the hair on my neck goes up on end.
…私の首筋は総毛だった。
And then the train lurches forward
列車が前進すると
and he's let go of my hand and all the blue lights go on, and...
彼は私の手を放して、青い光が前進して、そして…
Outside there's nothing but steam.
ホームの上には蒸気が残るばかり
Steam and darkness.
蒸気と闇が…
実らぬ恋がキーツの詩編のように…
「蒸気と闇が残るばかり」ってところで、ブツッとドラマは終わります。
言葉の余韻から、淡い恋は蒸気のように消えて、2人は2度と会うこともなく、パーシーの思いだけが残ったということが分かります。
とはいえ、こんな話をバーで誰かに語っているということは、パーシーも吹っ切れてゲイな交友を始めているということですね。
それでも、黄金のように輝く夏の日の思い出は、パーシーの心に大切に刻み込まれている。
他の俳優さんが語ったら、フ~ンで終わる話だったかもしれない。
それがベン・ウィショーの悲し気な囁き声だと、キーツの詩編のように美しく聞こえてしまうのですね。
あと、ベンの表情が、皮肉だったり、ノスタルジックだったり、人恋しげだったり、かすかな恐怖を示したり… 微妙に、微妙に変化するので顔のアップだけでも飽きないで見られます。
最後のシーンで片目からハラリと涙がこぼれる。微妙だから嘘っぽくならない。リアル感があるのですね。
2020年度はコロナのせいで一人芝居が多く、ヒュー・ダンシーのとか何本も見ましたが、中年オヤジのもんくタレは自宅内でやって欲しいよ。ウザいなで終わっちゃいました。
それに比べて、20分の一人芝居でこんなに心の琴線に触れるベン・ウィショーは、本当に素晴らしい!ってつくづく思いました。